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作品に正解はないが、間違いはある。

間違えるアーティストは、いない。「間違い」は、意図的な悪意である。
このトピックでは、創作活動のタブーについて、知ることができる。クリエイターとアーティストたちが生き抜くための、一助になるだろう。

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太一(映画家):アーティスト業界情報局
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 作品の正解と、アーティストの間違い 』

どんなに完成度の高い作品であっても、正解ではない。
創作の可能性は無限であり、その作品が正解かどうかを図る術はない。

一方で、無限探求のアーティスト活動には、“間違い” が存在する。
あれも良い、それも素晴らしいが、「これだけはダメだ。」ということだ。
どんなに著名な成功者であろうとも、間違うことだけは許されない。

なお、「失敗」と「間違い」は似て非なるもので、まったく異なる。

失敗とは、誠実な作業の先にあるエラーであり、リカバリーを必要とする不運のことだ。一方で「間違い」、これは、愚策の果ての暴挙であり、創作活動における“重犯罪”である。実績在る世界的な巨匠であろうとも「間違い」を犯す権利はなく問答無用、アーティスト生命を以て、万死に値する。

「作品に正解はないが、間違いはある。」

これは、「鬼滅の刃」を手がける、若き女性アニメーターの言葉だ。
彼女は映画史上最大の成功と世界からの注目という “ニュース報道” に立ち会いながら、作品の価値を、見誤らない。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:CNN、“歴史的なニュース報道”のNFT販売、急成長しているNFTの分野に参入へ

ワーナーメディア傘下のケーブルニュースチャンネルは、"Vault by CNN "と名付けた新しい商品で、急成長中のNFT分野に参入する。

同社は6月下旬から、CNNの41年の歴史の中で記憶に残る瞬間を集めたNFTをFlowブロックチェーン上で「鋳造」する。その後、デジタル・コレクターズアイテムとして一般に販売する予定。ニュースの「瞬間」の第一弾は未定だが、同社によると、大統領選挙の報道やCNNの独占放送、世界史の瞬間などが含まれる可能性があるという(ベルリンの壁が崩壊したときのCNNの報道を所有したい?今がそのチャンスかもしれません!)

トークンホルダーは、所有するモーメントを「Vault」内のユーザーページに表示することができる。CNNによると、サードパーティ企業と協力して、一部の限定セット用にNFTの“物理的バージョン”を制作中で、"スクリーン上にモーメントの物理的な表現をレンダリングするプレミアム ビデオ ディスプレイ ケースが含まれる "という。

CNNは、このサービスに関するFAQの中で、「Vault」を立ち上げた根拠を説明している。「これまでは、こうした瞬間を『収集』する方法がありませんでした。ユーザーは、古い映像をオンラインで見つけたり、ドキュメンタリー番組でパッケージ化されたものを見つけたりすることはできますが、それらを "所有 "したり、紙の新聞や雑誌のように展示したりすることはできません。」

NFTとは、美術品や音楽、そして今回の場合はテレビのニュース報道など、現実世界のアイテムを表現したデジタルアセット。NFTは、デジタル証明書のような役割を果たし、ユーザーは保有するデジタルアイテムの権利を販売または取引することができる。NFTは、ブロックチェーン技術を利用しているため、暗号通貨と関連づけられることが多いが、ブロックチェーン技術とは別の用途である。

NFTは、NBA Top ShotのようなNFTプログラムの成功を見たエンターテインメント業界の目に留まることが多くなり、他の企業もそれを自分たちのために適応させようとしている。最近では、Fox社がBlockchain Creative Labsと呼ぶ事業部の設立を発表し、1億ドルを出資して、Fox社のプロパティをベースにしたNFTコンテンツや体験の創出を目指すとしている。
 - JUN 16, 2021 THE Hollywood REPORTER -

『 ニュースのよみかた: 』

Discoveryと組んだワーナー傘下にあるCNNが“過去資産のニュース”をNFT化して販売。表示するモニターごとケースに収めて届けよう、ニュースの再利用権利は一切渡さないが、所有権を公式に表記する、という記事。

大仰な記事になっているが記者が芸術資産に詳しくないことにより、同社のプレスリリースに乗っただけの内容に終始している。
だが、注目すべき点がある。

市場で提供されている他の多くのNFTとは異なり、ユーザーは暗号通貨で支払う必要はなく、“クレジットカード”でCNNモーメントを購入することができるということ。ユーザがBloctoでデジタル ウォレットを作成する必要があるのはダサいが、マーケットを一部のマニアから“一般層”に広げる力を持つ。

そんな中、好むと好まざるとを問わず我々は、認め、学ばねばならないことがある。「価値化」への“真摯な企業意思”である。

このところ、“消費されるコンテンツ”が問題になり始めている。
新たな刺激や情報を求める需要を優先する余りに過剰な作品投入を行い結果、供給過剰を引き起こし、作品価値が暴落している。プロフェッショナル品質の作品を生み出すアーティストの絶対数は増えていず、制作環境は悪化、過労の果てにメンタルヘルスに悪影響をもたらしているのだ。

この悪循環はともすれば、
「作品の価値」を見誤ったマーケターの“間違い”による。

一方で本記事は、新潮流の販路に便乗したいち企業が、保有するIP.の再販でマネタイズしようというシンプルな図式でありながら、「枯れていた作品」に新たな価値を見出すという効果を生んでいる。ライブラリーに眠っていた情報や作品に“分割所有権”を与えることで、“作品への想い”を生みそれは、「価値」を増強することになる。僅かばかりの収入がアーティストや“スタッフ”に配分されるとは想えないが、もしかしたら、報道に従事するアーティスト本人が自らの作品を公然と“保有”する路でもある。
こういったアクションには、賛成し続けたい。

作品は、生きている。
やがて必ず破損するHDDのアーカイブスに、眠らせてはいけない。

『 漂白社会と、アーティストの世界 』

人類社会は、ルールとマナーそして、道徳でできている。

しかし、“アーティストの世界”においては少々、基準が異なる。
正直な犯罪者は、本物だ。信ずるに値する、価値ある存在である。
嘘つきな常識人は、偽物だ。恥ずべき、無価値な害悪である。

虚飾もマウンティングも社交辞令も愛想笑いも、「嘘」だ。
作品の中で嘘は、グロテスクな腐臭を発する。しかし残念なことに、アーティスト“役”を演じながら嘘を重ねて生きる“社会の常識人”が、増えている。偽アーティストが駆使する“嘘”という、「悪意」がまた、作品という純粋の“価値”を汚している。“本物”たちは、見逃していない。やがて、衝突は観える化されるだろう。

著名なアーティストたちは“無意識”をも見逃さず、嘘を排して正直であろうとする。漂白された社会と正直なアーティスト世界はこの瞬間を共有できないままに乖離していき、生き辛い創作人生を構築しているのだ。

これは、平穏を演じるために漂白された社会から逸脱した、余談である。
通読する上での立腹と不服はごもっともなにしろ、
わたしは「アーティスト」本人である。

『 本物と偽物の見抜きどころ 』

アーティストの性質は100%、彼らが生み出す作品の中に現れる。
本物のアーティストならば正直なままに、レベルの低さも意識の高さもすべてがそのまま。また悪意ある嘘は「偽物」としてそのままに。カウンセラーや高度な検証を用いて確認する必要もなく、臭えば判る。

映画なら冒頭の初演技で、衣装ならポケットの中、アニメなら8枚のモーションとBG.、芝居ならセリフ前の呼吸、演奏なら楽器を構える瞬間、モデルなら指先の意思、彫刻なら耳、絵画ならキャンバスの側面を観察すれば、正直な本物と、漂白された嘘の純白を、見抜くことができる。

アナウンサーやタレント、宗教家や創業者ではない事業家はそもそもに判別できず、作家の書籍やマスタリング後の楽曲に“証拠”は残らない。“厚塗り”が過ぎるためだ。作品はどうせ、皮膚呼吸もしていない。

“漫画とゲーム”は単純に、
わたし個人が見抜く術を持っていないことをお詫びしておく。

『 作品という価値 』

一般観客の目は騙せても“偽物”は、アーティストの作品愛からは逃げられない。時には私欲に正直過ぎる“前科者のアーティスト”が、社会的には善良な若き偽物の虚飾を斬る世界である。

アーティストには、
すべてに正直であり、嘘偽りなく作品と対峙することを求められる。
社会的な常識に反し不運には、法を犯すことを厭わない場合もある。

基準は、創作者である自身が作品に対して、どこまで正直かどうかである。

悪人ならば汚れた魂ままに、
弱き臆病は繊細な限界を晒し、
偏愛の果ての異質者は非常識な理解を臆することなく晒す。

それが、創作活動であり、
その結果と常識社会との差が作品性を生み、ともなう“アーティストのダメージ”こそが作品価値を決定づける評価基準のひとつである。

異論はあるだろうが、事実だ。

全弾ホームランの打者、全試合一撃KOのボクサー、イルカより速い選手が現れたなら評価はされず、業界のルールが変わるだろう。アーティストや表現者は常に、常識社会との比較の中で評価され、傷つくことを求められている。それが、「価値」だと認知されているのだからしかたがない。幸福で穏やかな毎日に家族サービスを最優先するアーティストなど、生息できようもない。

世界をどれだけ歩いても、成功を追うアーティストが成功する姿を観ない。
目的から逆算することこそがプランニング、マーケティングの基本でありながら、アーティストは、成功を求めることが赦されない。

作品に相応しい価値、「真価」だけを追求することがルールであり、自身を偽らないことがマナーであり、それ以上を求めるあまりに“作品の先にある成功”を求めないことが、アーティストの道徳である。
間違いを犯したなら、その“偽者”に、作品を生む資格はない。

「正解はないが、間違いはある。」

『 編集後記:』

ミレニアル世代との連携が多い。彼らはとても正直で感覚的に判断し、行動することに躊躇いがない。とても賢い立派な若者たちだ。
と、これが“ジジイ目線”からの一般論。だがわたしは根っからのアーティスト、つまるところの世から外れた機械であるので、彼らの「覚悟」に目を見張る。夢など描かず現実を見据え、保身の準備に人生を消費せず、瞬時の判断に人生を賭する覚悟を持つ戦士たち。まるで兵士のような洗練を生きる彼らが、愛おしくてしかたがない。

覚悟というあきらめを愛し大人にならない挫折を認める、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

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