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アーティストは業界の壁を、越えていい

ビジネス社会に馴染めなくても、アーティストなのだからしかたがない。
このトピックでは、非常識を突破して注目を集める方法を、知ることができる。クリエイターとアーティストたちが、より自由に世界観を構築できるようになるだろう。

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太一(映画家):アーティスト業界情報局
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 怒られない 』

これを読んでいる方の中には、社員1,000名を抱える事業家も、立派な一般社会人の方がいらっしゃることも知っている。だからこそ、申し上げる。

アーティストの無謀な活動は、許される。

常識的な話はしていない、それはわたし自身がアーティストであるので、ただ「効果的な創作活動」についての具体情報をシェアしているに過ぎない。逮捕されたり親族から縁を切られたり家族から後ろ指を指されたり破産したり怪我したり中には、運悪く亡くなる方もいるかもしれないが、アーティストなのだから構わない。アーティストが不遇な環境にあるほど、作品は輝き、価値が生まれる。ここまでは、前置きである。

アーティストの多くは残念ながら、社会に詳しくない。
社会システムには知見が浅く、経済には無知で、人間関係から導かれるあらゆるビジネス常識になど、意識を向けたこともない。若くして業界に収まり、外界を知らずに大人になった。社会を、恐れながら。

アーティストには、美しい人々が多い。
正直で穏やかで、でも情熱的で、臆病だ。
イマジネーションの中ではあれだけ大胆なアーティストたちは、大人しい。

まず、“業界の外を覗く”ことから、はじめてみよう。
そして、想像してみるといい。その新天地の中央に立ち、人類史上最悪の傍若無人さで想うがままの創作活動を展開する自身の姿を。どれほど、最悪だろうか。

実はそれ、たいしたことではない。
アーティストの傍若無人、破天荒な大立ち回りはその業界に“刺激”として受け入れられ多くの場合、“褒められて”しまう。

怒られる覚悟は、いらない。
アーティストの無茶はまた、作品の一部におさまる程度の色である。
アーティストは非常識を恐れず、なんなら誰かをあやめない程度の違法性にも臆することなく、突き進むべき。

「バンクシーって誰?展」がはじまる。
“バンクシー”を知っているだろうか。そう彼は、犯罪者である。
突き抜ければ、「価値」だ。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:クエンティン タランティーノ監督、新刊小説の“予告編映像”を発表

クエンティン タランティーノ監督の“ノベライズ版”「ワンス アポン ア タイム イン ハリウッド」について、「公式予告編」を公開した。

監督の9作目の同名長編映画の未公開シーンが満載されている。"ハリウッド "は、カンヌ国際映画祭でのワールドプレミアを経て、2019年7月に劇場公開されると、批評家と商業者の間で大ヒット。全世界で3億7,400万ドルの興行収入を記録し、アカデミー賞10部門にノミネートされ、ブラッド ピットが助演男優賞を受賞した。

Entertainment Weeklyで独占的に見ることができる「Once Upon a Time in Hollywood」“ノベライズ予告編”では、タランティーノ監督が劇場用カットで未使用だった映像を紹介している。

同作の劇場公開時間は161分だが、タランティーノ監督が組み立てたカット実に約4時間にも及ぶ。

「脚本を元に、それを小説にしただけではない。私は小説として物語を、語り直したんだ。だから、『ああ、そうか、いくつかのシーンが残っていたから、脚本をノベライズしていくつかのシーンを追加したんだな』とは想われないだろう。編集室で余ったシーンを放り込んだだけではなく、ストーリー全体を完全に考え直したんだ。5年間書き続けていたから、書いたものや調べたものの中には映画になるわけがない、タイプしたこともない要素がたくさんあった。私はこのキャラクターたちの“小説的なバージョン”を伝えようとしているんだ。もし本が先に存在していたら、映画はその素材から私が映画を作ることになる。“扱いにくい小説を映画にしようとすること”があるだろう? 私にとって映画とはそういうものだ。これはその、“扱いにくいバージョンの映画”なんだ」。

“ノベライズ版”「ワンス アポン ア タイム イン ハリウッド」は、6月29日にHarper Perennial社から発売される。 - JUN 21, 2021 IndieWire -

『 ニュースのよみかた: 』

タランティーノ監督が間もなく発売する、“ノベライズ版”「ワンス アポン ア タイム イン ハリウッド」について、「予告編動画」公開。「予告編も未公開カットだし、小説は映画の焼き直しではなく、まさにオリジナルだぜ!」という記事。

「小説の予告編動画」、この可能性しか感じない刺激的なワーズに、胸躍る。タランティーノ監督は映画人でありながら、本作を確実に大型ベストセラーにするだろう。同じことを繰り返さずに常に新しいアプローチを生み出し続ける“映画監督”、ならでわのマーケティングだ。

素晴らしいのはタランティーノが本件一連を、“ファンのための全力サービス”だとブランディングできている点だ。彼は、ビジネスマーケティングのプロフェッショナルである。国際マーケター、ファウンダー、プランナーを単身でこなし、自ら世界中を飛び回って各社各人と対面しながら、作品のためのポジションを生み続けている。

この土臭いアプローチこそ、加速社会のデジタルマーケティングをも凌駕する、“最速の実行力”だ。

タランティーノ監督は本件で、既に収益化を終えてアーカイブスに向かっていた自身の映画作品を、再び“価値化”することに成功している。言葉の上手い彼がインタビューで何を語ろうとも、“映画脚本を元に小説”を書き、“未使用カットの流用で予告編動画”を生んだ、その事実は変わらない。

これは、世界中のどの映画監督にでも可能な方法でありながら、実現した話を聞いたことがない。タランティーノ監督は、誰でも可能な環境から方法をみつけだし、「価値化」を成功させた偉人。本件は、“小説”という出版界のウィークポイントでこそ爆発できる、戦略的な作品発表の形であるなにしろタランティーノ監督は、こう語っているのだから。

「これはその、“扱いにくいバージョンの映画”なんだ」

本作は、出版界の小説部門で世界公開される世界初形態の「映画」である。

『 どの業界のアーティストも、コラボしたい 』

むしろ、他業界からやってきたアーティストを、歓待しない業界などあるのだろうか。わたしは知らない。どの業界もそれぞれの実績と課題を抱えており多くの場合、難題も抱えている。そして、解決のために動けていない。

そんな中に現れる他業界からの使者がビジネスマンなら、業界の瓦解を案じて恐怖し、拒絶もするだろうしかし現れたのがもし、“アーティスト”だったとしたら。得意の想像力を活かして、シミュレーションしてみるといい。

貴方の前に、他業界からのアーティストが現れたことはないだろうか。互いの作品に関心を寄せながらそもそもそれほど関心があるわけではないので、大いに話が弾むことはない。だが、互いに相手の力になりたい、そう感じたはずなのだ。そして、何もできないままに時間を過ぎ、関係は疎遠になり、持ち前の人見知りが発動されてもう、二度と連絡を取り合う可能性は無い。

実に惜しい。
たしかに対面では、コラボレーションにも限界がある。
しかし、現代には膨大なプラットフォームが用意されている。
さらに、“完成作品”だけではなくむしろ、「その制作過程こそが価値」だと認識されはじめている現在、アーティスト同志のコラボは、自在だ。

『 具体:異業種アーティスト同士の、コラボ方法 』

具体的な、方法を教える。
これはわたしの発案ではなく、各国業界の国際アーティストたちが実践している“ベタな”コラボレーションのモデルである。

① 互いの作風を確認する
② 互いの“未発表作品”を確認しあう
  (※ここからがコラボレーション)
③ その作品が完成するまでの“全資料”を持ち寄り、提供する。
④ “自分の作品×相手の全資料”で「大喜利」をする
⑤ 互いの“大喜利”を持ち寄り「接点」をみつける
⑥ 合意した接点だけを遵守し、両者の大喜利を作品化する
⑦ 2人のアーティストそれぞれの2つの「コラボ作品」が誕生する
⑧ 2つのコラボ作品の製作プロセスをドキュメンタリー基準で作品化する
⑨ 確認する。「(もともとの)完成作品×2」「コラボ作品×2」「コラボ作品の製作ドキュメンタリー」合計5作品が誕生している
⑩ プラットフォームを活用して「コラボ作品の製作ドキュメンタリー」を発表する
⑪ その無反応な実績にめげずにSNSマーケティングを始動する
⑫ 一般企業や個人へのスポンサードを働きかける(※“作品支援パートナーシップ”が目的なので絶対に“お金”に夢中にならない)
⑬ パートナーシップの協力も得て「(もともとの)完成作品×2」を発表
⑭ メディアニュース化を働きかける
⑮ 最良のタイミングで「コラボ作品×2」を発表
⑯ 合計5作品と「ここまでのマーケティング反応」を“世界観化”する

そして、「⑧」に戻ることで、
二人のアーティストコラボレーションは継続可能になる。
アーティストは個ではなく、組んで活動する時代である。
ルールはシンプル。「上下関係厳禁」「友だち持ち込み禁止」「収益化は二の次」「全情報開示」「正直(※良いことも悪いことにも)」

まだ、2年は使用可能だ。
それ以降は“企業”が参入してくることで純度が薄れてブラックボックスが誕生しやがて、観客とファンが興味をなくし、アーティストが逃げ出し、
このモデルは、使用不能になる。

『 立ち入り禁止業界、ある。 』

ただしそれは、“アーティストがいる業界”に限る。
我々のような、社会常識の外を生きる社交辞令のための言語を持たない生物たちを導いてくれるのは、その業界の、アーティストたちである。“不要不急の業界”には、アーティストがいる。そこが、目指すべき場所だ。

ただし、気をつけるように。

“生活に欠かせない業界”つまり、「ダサい業界」に、アーティストの居場所はない。ダサい業界は、アーティストが示すところの近未来や価値の再発明、無駄という輝きや残酷という優しさを、一切理解しない。彼らは真っ直ぐ、「維持と最適化と継続」にしか手を動かさない。アーティストのつけいる隙は無いのだ。街と同じだ。ヤバい相手はたいがい、ダサい。その業界は、隈研吾さんや佐藤可士和さんたちのような、天才型地球外生命体に委ねた方がいい。

社会を知らないアーティストは、業界と相手を間違えることもあるだろう。
だが心配はいらない、見極め方は簡単だ。

ダサい業界の人物には、表情と心がない。

『 編集後記:』

アトピーもちであって、汗をかく季節には体調を崩す。炎症が生活を乱す。さらにわたしは小児喘息に苦しんだ、無残な幼少期を経てもいる。毎日8時間、布団に寄りかかって座ったままに星と語った。なんて可哀想なわたし。なんて苦しい人生。

などと、実のところわたしは、「具合が悪い自分好き」だ。
同情されて、優しくされるのが好きであった。
また、弱い自身の繊細さが“他方面での強さ”であることには、園児の時に気付いていた。偏った読書に明け暮れながら、健康で毎日遊んでいる人々を可哀想だとすら想っていた。

体調不良は効果的に社会からの隔絶を実現し、新たな創作チャンスとなる。寝不足にぶっ飛んだ頭はイマジネーションの宝庫であり、耳の奥を流れる血の音を聞き続けた13年間が与えてくれた極度の集中力には、限界がない。たとえばこのトピック程度なら毎日、あと3本書ける。仕事外でだ。便利この上なくまた、愛しくもある。

だがこの歳になると、“普通” という美しさに気付くことになる。
もう少し、早くてもよかった。

刺激と常識のバランスに焦りながらも“普通”に学ぶ、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記