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プロデューサーという覚悟に、ありがとう。

ともすれば作品、活動、表現にも自身を誇りたくなる。だが、アーティストが創作活動に専念できるのは、支えてくれる存在のおかげ。
「プロデューサー」という生き様に、一礼してみても良い。

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太一(映画家):アーティスト業界情報局
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 最近のはなし: 』

若い才能に胸躍る日々。

50歳になった映画監督のわたしは今日、60代の文化人との定例会議を終えた。その席を支えてくれたのは、30代のアーティストと、20代のプロデューサー。席の指揮を執ったのは、プロデューサーだった。

20代の彼は明らかに知性に富み、発想に溢れ、情報は最新でありつつ誰よりも、まわりの話を聞く。熱心に聞く。さらに解釈し、提言を添える。

まったく今時の若者ってやつは、
バランス感覚があり情報リテラシーが高く配慮が上手で先輩への敬愛を忘れず華飾を排した、紛いなき正直者だ。なんて美しい。なんて誇らしい。

ジジイの実行力は、若者の為にある。

さて、はじめよう。

『 アーティストという生活 』

創作活動という苦悩の結晶を、作品というのかもしれない。
閃きに胸躍るのは深夜だけで、陽が昇れば、否定するための作業が始まる。

人生を賭してインプットを続けてきた学びとは、真似ないための捨てる作業だったりもする。完成に向けてプロセスを丁寧に積み上げる作業は同時に、妥協を重ねる痛みでもある。アーティストの日常は、静なるバイオレンスである。

その果てに誕生する作品を“我が子”と表現したひとはもしかしたら、
やがて己の手を離れて巣立つ、別れを伝えたのかもしれない。

『 プロデューサーという覚悟 』

アーティストの創作活動、
それを潤む瞳でみつめている存在こそが、プロデューサーである。

プロデューサーの仕事始めは、アーティストの創作活動よりもはるかに前。世に作品が誕生する日があるならば、その魂が芽生える瞬間とは、プロデューサーが“企画”を想いたつ瞬間のことだ。

スタッフもキャストも決まっていず、脚本も無く、あらすじどころかそれが映画かどうかすら決まっていない状況でただ独り、“企画開発”をスタートする孤高こそが、プロデューサーだ。

協力者はいず、予算は無く、そもそも企画が完成する保証すら無い。あるのはただ1つ、胸躍る情熱だけ。その夜にプロデューサーは、自身の考えを一気にメモし始める。気付けば夜が明け、2万文字の妄想が、最初の姿を現す。

それを企画概要と呼ぶには雑記が過ぎ、メモと呼ぶには熱高く、誰かに読ませたところで理解すら不可能な、情報伝達のためのシナプスをそのまま観える化しただけのカオス。それを明確に言い示すなら、「覚悟の記」である。

プロデューサーは長い準備期間を経て、
アーティストの実力に惚れ、
新作を生み出すことを目的としている。

アーティストが創作活動をはじめる時それは、全身全霊を賭してきたプロデューサーが夢見た瞬間だ。

『 アーティストとプロデューサーの関係 』

苦悶に平穏を保てなくなるアーティストが感情を吐き出せる唯一の存在が、プロデューサーである。その時、大人としての配慮や気遣いはいらないのかもしれない。

なぜならプロデューサーは既にこの企画の中で、
アーティストの創作活動に匹敵する苦悩と痛みを経験してきているから。

まだ企画が存在しなかった頃、プロデューサーの言葉はただの妄言として無視されてきた。渾身の企画書は、手応えの無いプレゼン席で軽んじられてきた。プロデューサーは来る日も来る日も、「この企画には価値がある、この企画は必ず完成する、この企画が世に届き、人々を魅了する」と信じて今日も、己を奮い立たせて営業に向かう。

アーティスト諸君、
貴方の背後に穏やかな笑顔で立ち続けてくれるプロデューサーにひとこと、
「ありがとう」を伝えてみてはどうだろう。
苦しい毎日、だからこそ。

あぁ、ところで。
まだ日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際News:映画プロデューサー108人が集結、低賃金への対処のために組合結成

映画プロデューサー108人が、「プロデューサーズ ユニオン」と名乗るこのグループの結成を宣言した。プロデューサーズ ユニオン」は、プロデューサー料の下限を設定するなど、最低限の基本的な契約を交渉したいと考えている。このグループリーダーの、レベッカ グリーンが語る。「私たちは、撮影現場で組合のない部署の数少ない人間の一人です。映画プロデューサーたちは映画に関する、すべてのお金を稼いでいるように観られています。しかし、大多数のプロデューサーは、映画の支払いに苦しんでいるのです」プロデューサーは、法律上、監督または雇用者とみなされる。8,000人の会員を擁する全米プロデューサー組合は、プロデューサーを代表してスタジオとの労働交渉に臨んできたが、裁判所や全国労働関係委員会(National Labor Relations Board)は、プロデューサーという存在が連邦労働法の適用を受けないと判断し、その努力は水泡に帰した。「アメリカン・パイ」のプロデューサーであるクリス ムーアは、今こそ組合結成に挑戦すべきであると主張した。代表のグリーンは、2019年のプロデューサーの収入が2万5,000ドルに満たない人が41%もいることを明らかにした。また、プロデューサーが不安定な経済状況に置かれており特に駆け出しの頃は、職業としての声の多様性が制限されていると主張した。プロデューサーの79%は白人で、10%がアジア人、6.4%がラテン系、黒人はわずか4.9%だ。さらに、映画への資金提供者との契約はすべて雇用目的であり、プロデューサーに映画の所有権はない。「私たち映画プロデューサーは、映画の外で、私たちが誰であるかについての物語や認識を描こうとしているのです」 - MAY 20, 2021 THE Hollywood REPORTER -

『 編集後記:』

スタッフたちからも儲けていると想われている映画プロデューサーの半数は、年収300万円に届かない。108人で集まって、スタジオとの交渉権を獲得したい! という切実な告白である。

これは映画業界にもっと広く、知られていい常識である。
映画の企画開発から撮影開始までの膨大な準備期間、全責任はプロデューサーにある。しかも、撮影に入れる作品は膨大な映画企画の中のごくごく一部つまり、撮影に入れなかった作品に関する準備はすべて、プロデューサーの自己負担となる。事業家やVC.に知見ある方なら、そこに儲かる可能性すら無いこと、想像に容易いだろう。

それでもプロデューサーは、企画に挑む。
アーティストが創作活動に没頭できる日を信じて、今日を生き抜いている。

昨日を信じたように今を生き抜く、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

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