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【フェイク情報を観抜け】アーティストが騙されてはいけない

情報に溺れ、フェイクにすがるアーティストが増えている。彼らはやがて信用を失い、盲信族となる。本物の情報だけを観抜かねば、未来は無い。このトピックでは、「選ぶための情報精査力」を、知ることができる。善良な自身でありたいアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 プログラムたれ。 』

アーティストには、善人が多い。愛が溢れた心を全開放し、生きとし生けるものの安らぎを願っている。感情的だったり短気なのは、デリケートすぎるその弊害に過ぎない。アーティストは、いいひと、なのだ。

だから、「偽情報」を観抜けない。
偽情報を信じても、善人にはなれない。ただ嘘と妄言に溢れた、陰謀論者が完成するだけだ。メディアの看板を信じても博学にすがっても法に依存しても、解決にはならない。

アーティストである貴方自身が明確な知識と技術を実装し、効果的かつ確実に機能する上質なプログラムでなければならない。観客を導くのは、あなたが生み出す “作品という情報” なのだから。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:ニューヨーク連邦判事、“9.11映像”の映画使用に判決を下した

フォトジャーナリストAnthony Fioranelliは、彼の撮影した映像が映画に使われたと主張して訴訟を起こした。9月11日にニューヨークで起きた同時多発テロから20年、ニューヨークの連邦判事は、極めて壮大な著作権判決を下した。その間に二年もかかったことからも、複雑な問題であったことが判る。

世界貿易センタービルへの攻撃の後、Fioranelliは災害現場に入ることを許された4人のレポーターのうちの1人だった。彼はすぐに地元の放送局に映像のライセンスを供与したが、さらにCBSがライセンスの範囲を超えて使用していることに気付いた。

最終的にFioranelliの映像は、彼が直接許可していない“映画”にまで広がった。それは、オリバー ストーン監督の「ワールド トレード センター」、マイケル ムーア監督の「華氏9.11」をはじめ16作品に及んだ。

これらの作品の中で、Fioranelliの映像はほんの数秒しか映っていない。だが使用時間は短いかくても、訴訟の対象になる可能性はある。16本の映画のいずれにおいても、9.11の素材はっきりと“視聴の対象”になっており、2本の映画を除いて、画面全体を占めている。

そこで、「フェアユース」(※公共性があれば許可不要という法原理)が問題になる。

一部の作品は、“陰謀論”についての使用だった。後世のために9.11の出来事を写真で記憶する、という当初の使用目的とは明らかに異なる。またさらに、オリバー ストーン監督が映画「ワールド トレード センター」や映画製作に関する特集で、この映像を“簡単に”使用していることも見逃せない。前後のカットにより意図的な演出を加えてある本使用を裁判官は、“改変”だとみなしている。

一方で、そもそものCBSに対する契約違反の主張は、時効により却下された。 - AUGUST 05, 2021 THE Hollywood REPORTER -

『 ニュースのよみかた: 』

フリージャーナリストの撮影素材が無許可使用されたが、改変してあれば問題なし、という記事。

各国各州、各判例において軽々しい結論は下せない問題である。しかしながらアーティストたちの創作活動には“歴史の描写”は必要でありその場合、過去のアーカイブスによる記録映像の使用も、候補のうちだ。特に大予算をもたないインディペンデント作品においては、「フェアユース」の規定も考慮しつつ、合法的な判断を下すべきだ。

ここ「アーティスト情報局」で語られた“フェアユース”に関するトピックを、掲載しておく。アーティスト、クリエイターの保険になるだろう。

『 悪意のない情報こそが、悪 』

ネットに偶然、プロのメディア人が気付かない重大情報が落ちている可能性など、ゼロだ。陳腐な妄想情報を嬉々として拡散している情報弱者たちに、悪意はないだろう。だが、精査しないままに妄言を流布した人も結果、悪である。

精査なく盲信しても構わない情報は、2種のみ。
貴方自身が体験した「一次情報」と、「完全なる敵意」だけだ。愛にも正義にも“意図”が介入するしかし、敵意は正直だ。純度をもった言動であり、信じるに値する。

悪意無く盲信する現代の遭難者たちは努力を怠っているわけではなく、「情報の相場価格」を知らないのだ。国家機密なら、1億円で買えるなわけもない。そんな高価な情報がなぜ、毎週毎週ネットに転がっていると想うのか。そもそもに、拡散が必要な程度の情報に価値など、在ろう筈がないのだ。

『 騙されない、絶対的な方法 』

騙されないための絶対的な方法は、“騙さない”ことだ。
確証のない情報を拡散することは、相手を騙す行為だ。悪意がなかろうとも、結果は変わらない。無責任な情報には、関知しないことだ。

言い訳が通用するのは、被害者と対話できる環境に限る。
アーティストは観客に提供する作品に、責任が在る。
言い訳は、できないはずだ。

残念ながら、
貴方にその情報を運んできた方は残念ながら、「危険人物」である。

『 正しい情報の入手方法 』

「相手を観て判断しろ」という昭和の教えがある。嘘だ。
その情報が、「どこに在るか」で選ぶことがデファクトスタンダードだ。

情報とは常に、“相応しい場所”に在るものなのだ。それを別の場所まで運ぶ専門職を、「ジャーナリスト」という。ジャーナリストでもない一般人が持ち出した情報など、信用ならないおぞましい物体なのだ。

では、「どこを信じる」べきなのか。

情報による。専門店で買うべきなのだ。お判りだろうか、「買う」べきなのだ。対価を取るということは、販売者が購入者への責任を負うということだ。あなたは相応しいアーティストでいる為に労を、経費を、惜しむべきではない。

留意してほしい。“情報提供者を信用する”ということは、相手に責任を押しつける、卑怯な行為だ。観客を導く責任は、アーティストの貴方にある。


『 編集後記:』

わたしは撮影以外で外出する必要を感じないタイプの人種だ。生活に重要なのは安定した大容量電源と、ハイスピードWi-Fi。窓と照明はいらない、寝具は10年前に処分した。

にもかかわらず、住む街にはかなり、こだわりがある。企画内容に合わせた最速移動を最適化するために年に4カ所移転することもあるわたしは、身軽の末に準ミニマリストだ。その中でも最重要なのが、街選びだ。

便利さには興味がない、遊びは必要ないしかし、住人たちの気質は譲れない。意識、言動、歩くスピードにも街の色が出る。

あなたの街は、どんな色だろう。

まだ観ぬ観客を想いながら観果てない、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記