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【アーティスト生活】理解されないことで、生きていく方法

経済と芸術が急接近している現在アーティストは、チャンスと危機にある。
このトピックでは、「創作活動と社会の整合性」を、知ることができる。自身を社会に解説できずに苦悩しているアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 アーティストが、語る時代 』

経済的なチャンスにあるアーティストは同時に、極度の格差社会にある。
原因は“作品差”ではなく、“解説力”の差だ。“創るプロ”のアーティストは自身の作品を、ましてや自身を、解説する力が無い。

ならば、知るしか無い。準備を、はじめるしかない。
現代ではもう、語らない、という選択肢は無いのだから。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:アカデミー賞受賞女優ニコール キッドマンと、グラミー賞コメディアン俳優クリス ロックが、演技論を展開

話題のシリーズ作「FARGO:シーズン4」で主役を務めたクリス ロックが、ニコール キッドマンと、Varietyの舞台で対談した。

キッドマン:以前お会いしましたね。
ロック:僕はあなたの友人とデートし、あなたは僕の友人とね。みんな君の身長が7.5フィートだとは知らなかったよ。
キッドマン:やめてよ!そんなことないから、仕事がもらえなくなるじゃない。ねぇ、どうやって他の偉大なアーティストと仕事をしてる?
ロック:話をします。良い役者は質問をするものだと。それが僕の学んだことだ。
キッドマン:膨大な準備をするの?相手の歴史をすべて調べあげたり?それとも?
ロック:自分とキャラクターとの、共通点を見つけていくだけ。あなたは?
キッドマン:考えたことがないの私はいつも、感覚で。その時、自分の身体や心に何が起こっているかによって変動するの。アーティストが直面するすべての問題、つまり大企業を相手にする、という点においてもね。「いや、これはアートだ」と思っているの。あなたは?
ロック:あなたが良い人なら、僕はあなたが好き、ってね。だったら、あなたの話を聞こう、って。
キッドマン:論理的なのね。
ロック:そうだね。困ったな、君には物足りないかもしれないね。
キッドマン:父が心理学者なの。物事を多面的に見る能力を持っていて。私はいつも、変化することを望んでる、自分が間違ってるなら、いつでも謝りたい。
ロック:偉大な俳優は、自意識が高いよ。
キッドマン:わたしはいつも俳優として、コントロールフリーク(※状況の支配欲/心理学用語)になってはいけない、と。自分の感情へのアクセスはどう?
ロック:感情への、アクセス?
キッドマン:そう、難しいの。わたしは生活の中で、もろい自分を感じてる。だから、演技をするときには、そういう状態になれる。でも、怒りのようなものは、アクセスしにくいの。
ロック:あなたは不思議だ。スクリーンで観るたびにあなたはいつも、その為だけに存在しているたった独りの俳優のように見える。あなたには、役者としての骨が無いのではないか、とすら。
キッドマン:え!?
ロック:ええ、あなたを見るたびに。あなたはいつでも、ただの主役です。キッドマン:わたしは脇役を演じてきた俳優よ。ロックダウンの影響はあった?
ロック:ええ、中断されました。
キッドマン:わたし、ロサンゼルスに戻ってきたとき正直、怖かった。怖かったわ。演技をするとき、「あなたに触れることができる」「あなたに息を吹きかけることができる」と確信したかった、だって、演技はエネルギーだから、自由であるから、私たちは役者だから。そんな感じ。
ロック:そうだね。ふー。それはまた別のインタビューでね。
 - JUN 28, 2021 VARIETY -

『 ニュースのよみかた: 』

空気読みの天才にしてアカデミー賞MCもこなすコメディアン俳優のクリス ロックが、憑依型女優ニコール キッドマンと率直な演技論を語る、という書き起こし。たまには、と趣向を変えて対談動画から抜粋した。

ニコール キッドマン、
多面的な性格ままに生きた彼女は演技の高評価と一方で、晴れ舞台の高慢な態度と、繊細すぎるプライバシーを生きている。10年前なら考えられないほど、彼女は正直に語っている。時代だ。

クリス ロックのことは、知らない。面識なく芝居には、陰と陽の2面しか感じず、語るだけの知見がない。

『 創作活動と社会 』

アーティストは作品を、自身を、“言葉で”語らねばならない時代になっている。当然、カメラの前に立ちマイクに向かって、だ。

アーティストが語る、とはどういうことか。
「創作活動と社会の整合性をとる」とういことだ。

アーティストは、社会を知らない。あまりに不勉強でそのくせ、自立するには経済力に弱く必然、社会の一部に依存して生きている。

一方現代の社会は“大企業依存経済”の瓦解の臭いを感じて巨大オフィスを投げ売り、留保していた膨大な資金を運用せねばならない危機にある。その一端は期待と共にしっかり、“芸術界”へと流入している。受け付けているのはブローカーとプラットフォーマーだが、アーティスト自身に、関心が集まっている。

アーティストとは、「無から価値を生む鶏」だと想われているのだ。実際には、“小石を磨く宝石屋”なのだがまだ、気付かれてはいない。魔法の錬金術師を名乗ったタレント活動を受け入れないなら、いよいよ、「本当の自分」を語らねばならない。

偽YouTuber風番組やら安コラボやら、無価値な短編動画を価値に見立てるだけのコミュニティ運営は、ただの詐欺活動だ。自身を語っているとは言えない。

『 アーティストは社会に、理解される必要が無い 』

アーティストはいまこそ、「正直」に語る時だ。一般的に正直に、というと“自身の弱さの露呈”だと想われるがこの場合、そうではない。アーティストとは、尊大で傲慢で差別主義者で無責任な、愛のかたまりである。国を滅ぼすことも厭わない残忍さで、落葉にも涙するアンバランスな生物だ。

社会にとってはノーマークだったこのアンバランスな生物たちが、言葉を発するのだ。正直に。それは危険でもあり、美しい。

心配はいらない。

社会に理解されようなどとは、おこがましいじゃないか。
アーティストの仕事は、社会を魅了することである。
作品でも、創作者の貴方自身でも。

『 編集後記:』

傘がひらきはじめた夕刻、大きな交差点が青になると一団の中から、小柄な女子高生が進み出た。マスクの上に少女が残る清楚は化粧っ気もない制服姿で、アップにした髪を左右に踊らせながら。手ぶらの両手を振りながら理想的な反復で彼女は、100点の“スキップ”をしている、ヤバい色はなく。なんて美しい。あぁ、なんて美しい。

だが、こんな“演出”は使えない。
現実とはいかに嘘くさく、とりとめが無く、非合理的で唐突で、美しいものか。映画は、現実を描けない。

ならばこそその先を目指し、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記