「演劇実践者のための哲学ワークショップ」に参加して

1月20日 国立オリンピック記念青少年総合センター 中練習室41
「演劇実践者のための哲学対話ワークショップ」
講師:梶谷真司

▶梶谷先生が哲学対話をはじめた背景
梶谷先生が哲学対話と出会ったのは5、6年前のこと、ハワイの学校でPhilosophy for Children(P4C)の実践を見たときだという。ハワイは先住民とアメリカの関係から、人種や貧富の差が激しい。なかでもカイルア高校はハワイで最も荒れていた学校だった。あるとき、そこの先生の一人が哲学対話を社会の授業に取り入れた。お互いのイメージを聞くところからはじめると悪口が挙がったが、その根拠を問いていくと、そのイメージは親や周りの友人から聞いたものであることが分かった。カイルア高校は今では屈指の有名校である。

学校だと、先生は教えて、生徒はそれを聞く。そこに生徒自身の問いはない。P4Cでは、ホワイトボードに生徒が挙げた問いを書いていく。先生は何もせず、生徒がやろうとしていることを見守ったりサポートするだけである。このとき、優れた問いを出そうとしてはならない。テキトーに問いを出し、そこからみんなが考えたい問いを決める。このP4Cの実践を、子どもに限らず大人相手にもやってみたい。そう考えた梶谷先生はPhilosophy for Everyoneとして哲学対話を始めることになった。

▶哲学対話とは
哲学が問うて考えることであり、対話が語り聞くことであるならば、哲学対話とは問う・考える・語る・聞くの4つが伴うものである。問うとは、外側から強制されるものではなく、自分が問いたいものを問うことである。はじめからうまく問えない。たくさん問いを積み重ねること。そして具体的な問いを問うこと。考えることとは、問いと答えを積み重ねることである。考えが進んでいくと、興味が広がっていく。そうして理解が深まっていく。そして、考えたことを人に語ろうとすると、自分の考えがまとめられる。語ることで自分の言葉で説明できるようになる。そうやって自分の考えを伝えられることで、人と人とがつながれる。また人の話を聞くことで、自分と他人の考えの違いを知り、そこから自分の考えが広がり、深まる。それはお互いを認め合うことにつながると同時に、新たな問いに広がっていく。

学校には哲学対話のような4つがあるだろうか。学校には自ら問うことはあるだろうか。自らの問いを考えることはあるだろうか。自らの考えを語ることがあるだろうか。他人の意見を聞くことがあるだろうか。学校で行われていることは、教科書の問いを答えることである。正しい道筋を理解することが目的で、問うたり、考えたり、語ったり、聞いたりすることはないのではないか。学校というのはむしろ、それらを抑え込むような仕組みになっている。よく学校の先生に「うちの子は素直なのに、主体性がないんです」と言われるという。それは当然の話だ。素直に先生の言うことを聞く子どもというのは、つまり主体性のない子どもだろう。極端に言えば、授業がつまらないと思ったらその通りに行動できる学級崩壊の子どもの方がよほど主体的である。

▶哲学対話の準備
哲学対話を進める前に、対話のルールを確認する必要がある。学校のルールが、正しくあること、良くあること、先生の意に沿うというような、人を縛るものだとして、対話のルールは参加者が自由にするためのものだ。哲学対話の実践者によってルールの数は異なるが、梶谷先生の提案するルールは8つある。①何を言ってもいい。②人の言うことに対して否定的な態度をとらない。③発言せず、聞いているだけでもいい。④お互いに問いかけるようにする。⑤知識ではなく、自分の経験に即して話す。⑥話がまとまらなくてもいい。⑦意見が変わってもいい。⑧分からなくてもいい。

発言ができるのはコミュニティボールを持っている人だけ。発言したい人は、発言したくなったときに手を挙げる。手が挙がったからと言って、その人にすぐに渡す必要はない。話終わってから、手を挙げている人に渡せばいい。コミュニティボールは話す人・聞く人という役割が明確になるだけではない。話している人の手持無沙汰を緩和させる働きもある。

梶谷先生が哲学対話をはじめる前に行うアイスブレイクは質問ゲームという一つだけ。4、5人のグループに分かれる。一人が質問に答える人、それ以外の人が質問する人になる。一人あたり2、3分で、その間ひたすら質問と答えの応酬をする。このとき、あまり考えずにテキトーにやることがポイント。このゲームを通してお互いのことを知ることができるし、同時に哲学対話に必要な、問う、答えるという基本動作の練習になる。

10~15人でできるだけ小さな輪になる。学校の講義では座り方からして、先生が上で生徒が下、先生が発言し生徒が聞くことになる。輪になるのは、対等であること、お互いがお互いのために語り聞くことを示すため。小さな輪になるのは、参加者の密度を高めるためだ。

▶実際に哲学対話を体験して
まずは参加者から問いを集めて、ホワイトボードに書き出す。このとき、あらかじめテーマがあってもいい。漠然としたテーマに答えることはできないが、問いをたくさん挙げて、問いと問いの関係を考えるだけでもテーマに迫ることができる。問い出しのとき、なるべく参加者の仕事に直接関係しないものがいい。なぜなら、仕事に関する問いだと悩み相談になり、先輩が後輩に仕事を教えるという上下関係が生じるから。

参加者からいくつも問いが挙がった。そのなかで「なぜ人は若く見られたいと思うのか」という問いから哲学対話をはじめることになった。まずはその問いを挙げた人に、どうしてその問いを挙げたのか理由を尋ねる。その人が話している間に別の人の手が挙がり、コミュニティボールが続いていく。問いと答えがあるが、いろんな話を聞いていると、そこには明確な問いと答えはない。いろんな話が飛び交うし、話が行ったり来たりする。若く見られたいという話は、年を取ったと感じる瞬間とつながっている。あるいは、若くあるとはどういうことなのかそれぞれの人の考えが述べられる。選んだ問いは、選ばれなかった別の問いにつながることもある。

あれこれと話があがっているなか、時間がきたところで終了した。梶谷先生は普段、40~50分、短いときは15分ほどで終了するという。結論としてまとまっていないが、それでいい。哲学対話をすることで、余計に分からなくなることもあるが、それは漠然とした理解がより深い理解となったが故である。

▶余談
哲学対話には自己紹介は必要ないという。質問ゲームや哲学対話を実際に体験してみると、それはよく分かる。名前や肩書を聞いたところで忘れてしまう。けれど、その人がどんな問いを出し、どう答えたかはよく覚えている。その人がどんな人かは、その人がどう問い、どう答えるかに表れている。言い換えれば、哲学対話をすると参加者同士は仲良くなるのだ。このことを利用して、婚活に哲学対話を取り入れたことがあるそうだ。市役所などで婚活が行われるとき、パーティーのテーブルはきれいに男女に分かれてしまうそうだが、パーティーの前に哲学対話を行ったところ、意図せずして男女がペアで会話しているのだという。

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