見出し画像

自分にとって競馬とは

結論から言ってしまえば、競馬は人の心を映す鏡であり、人生の教科書にも似てると思う。

先ず、俺はベーシストだ。
人間として自分を紹介するならば、自分の年代の周りの人と比べるとあからさまに劣っている。
未熟者だ。
だから、競馬や本で学んでいる。

さて、競馬の話をしよう。
競馬とは、動物と人間が一体となる競技だからこそ、面白味がある。それこそ嘘なんてすぐにバレる様なスポーツだと思う。
ギャンブル性もある。なぜなら、お金を賭けることが出来るから。だからこそ、総合して人の心を映す鏡なのだと思う。

命懸けのスポーツだし、馬は人間の言葉を話せないから人間がより馬に寄り添う他ないし、何より負ける事が圧倒的に多いスポーツ。だけど、ギャンブル。
ギャンブルとなると、人生の道を踏み外す事がある。しかし、それは元々そういう制御が出来ない人間だから踏み外すわけであって、元がそういう人間だから自己責任を騎手になすりつけたりする。
ただ、近年ではホースマン達や馬に敬意を払う人が圧倒的に増えているから、競馬場の民度も良くなっている様に思える。

競馬は人生を学ばせてくれる。
俺の人生を救った騎手、現・調教師といえば福永祐一さんだ。
彼の考え方は、競馬を競馬で何とかしようとするのではなく、違うジャンルの技術から学び、それを競馬で昇華したらどうなるだろう?を実践した方だ。
そして、研究を怠らない。学びに関しても、好奇心旺盛な方である。

自分も学びには貪欲だ。
脳科学研究者の岩崎一郎先生著書を読んで脳の仕組みを学び、自分の劣っている部分を補うためには何をすべきかを貪欲に考える様になった。
そして、福永祐一さんも調教師試験の勉強をするために、先ず脳について勉強していた。

自分は、音楽的にも人間的にも弱点を補うための方法最終的に読書とカメラを選んだ。身体の仕組みは、ボディビルダーや武術から学んだ。
これも、祐一さんが競馬を研究するために行なっていた方法から影響を受けたからこそだ。

自分の向き不向きを知る事は大切だ。
それを知るために何をすべきか?
自分の場合は読書、カメラ、そして、競馬と武術を自分に落とし込んでベースにアウトプットしようとしている。

競馬から学べる事は沢山ある。
だけど、競馬はただのギャンブルだ!としてしまうなら、そこでお終いであり視界は全く広くならないどころか何も拓けない。
だからこそ、人を映す鏡なのだと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?