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なんか暗い。

新聞記事の切り抜きだ。朝日新聞で夏目漱石の「こころ」が連載されていた時のもの。もう5年とかそれくらい前になるのか。私はまだ高校生で、実家に住んでいた。ちょうど学校の現代文の授業で「こころ」を扱っていた。現代文の授業は好きだったし、少し昔の文学作品を読むのは、内容も雰囲気も、それを読むという行為自体も好きだった。文学少女に憧れを抱く普通の高校生といった感じだ。

紙モノが捨てられない傾向にあるので、ポスターやチラシ、ハガキなどはなかなか捨てられない。それに加えて高校生の頃は新聞の気に入った記事は切り抜きをしていた。それも捨てられずに実家にしまってあるのだが、この切れ端を見つけて今の家に持ち帰ってきた。

人生の中で大切にしている言葉、というのはいくつかあるような気がする。世界史の先生が年度末にプリントに刷ってくれたチェーホフの言葉はお気に入りだ。うろ覚えなのだが「いつも朗らかでいるように。人生をあまり難しく考えてはいけません。本当はもっとシンプルなものでしょうから」みたいな言葉だった。ほんのりと明るくていいじゃないか。

それに比べてこの「こころ」の一節はなんだか暗い。これを持ち帰ってきたことも少し忘れていた頃にこの紙切れを見つけた時、「なんだかなぁ…」という気持ちになった。でもこれが何というか、人生の事実の中心なように思える。こういう暗いものを、私はいつから好きなんだろう。

ほの暗いものが好きだ。昔から少し切ない曲や失恋ソングを好んでいるところがある。小学生がそんなん聴くもんじゃないよ、と今となっては思う部分もあるがまぁいい。いわさきちひろの描く子どもはそういう活発な部分だけじゃなかった、というのを昨日テレ東で見たので安心している。
それにしてもマックス恋愛モードみたいな時に振られた女の歌を聴いているのはどうかと思うけど。

常に暗いわけじゃない。割とネガポジ〜みたいな変換装置も持ち合わせているし、グジグジしていたいわけでもないし、日光浴とか好きだよ。でも一定部分におけるこの好みはずっとそうなのかもなぁなんて思っている。

恋愛においてもちょっと暗い人を好きになる。このろくでもない好みは疲れる。自分だってそこそこ暗い人間なんだから明るい陽キャ⭐︎みたいな人(ド偏見)と付き合った方が絶対に楽だと思う。でもこれに関しては最近諦めがついてきた。好きなもんは好きだから仕方ない。私は疲れた顔をした人や何処となく暗い側面を持ったメガネなどを好み続けるのだろう。


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