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ホタテ丼を作る前に。

久しぶりにFacebookを開いたら、東ティモールの映画「カンタ!ティモール」のオンライン寄付上映のニュースと知人の訃報が舞い込んで来た。

投稿にリアクションをするだけで寄付も何もしていない東ティモールの洪水。今回のオンライン上映はその寄付のために行われるらしい。これは見よう、投稿もシェアしようと思うだけの私。

知人が亡くなったというのは本当に急な話だった。私が何かを言えるほどの親しさでもなく、Facebookがある今の時代だから繋がっていられた人、という感じだ。そんな希薄な関係性の、2度そこらしか会ったことのない私にも、誕生日に毎年「おめでとうございます」とメッセージを送ってくださった。あのメッセージに私は毎年「ありがとうございます」とだけ返していたが、直近の誕生日は仕事が忙しい日でいいねだけ返していた。あの時コメントもしていればよかったなぁ、と思うのはほとんど自己満足の感情だ。その人のことについて私が紹介できるような関係性ではないけれど、いつもその人のことを必要としている人の側にいて、何が必要なのかを考えている人だったように見えた。それゆえに、人との対立もあったようだけれど。

Facebookを開くと、2年前に2ヶ月で辞めたインターンの情報がどんどこ入ってくる。一時期はそれがしんどくて、でもその情報を遮断するのは嫌で、そのためにFacebookをあまり開かないという時期があった。そこの商品は本当に素敵で、日々新しい試みを続けている。応援しています、の気持ちでいいねを押すものの、私はそこの商品を一度だって購入したことがない。この間クラウドファウンディングのページにようやく行き着いたくらいだ。個人の寄付が少ない国の一国民、という感じだ。このインターンのことや仕事のことはまた改めて書きたいと思っている。

自分の過去の投稿を見た。この数年で随分人との関わりが減っている。成人式の投稿に、「20歳になっても思っていたような大人になるわけではなく、幼い頃の自分に申し訳なくなる」「ゆっくりでもいいから、いい大人になりたいね、と友人と話した」と書いてある。この私はどこかへ埋れてしまったのか。日々の仕事をこなせずに追われる日々と、その解消に怠惰な睡眠と消費を貪る日々が恥ずかしくなってくる。

そう思いつつほろよいクリームソーダ味にいちごのMOWを乗せてクリームソーダを作った。昨日250円で買った最高に美味しくて可愛い形のイチゴもトッピングした。この後は1時間程度散歩をして、朝に届いて殻剥きをしたホタテで漬け丼を作って食べる。消費ばかりしている自分に嫌気が差しつつも、こうやって楽しみを作れる自分のことは結構好きだったりする。

大してキャパがないくせに、持っていたいものが多すぎる。その答えがすぐに見つかるわけでもないし今のところ全然バランスが取れていない。Facebookを開いて、最近の自分は何をやっているのだろうという気持ちになってしまった今日だった。

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