カラフルな布

夜のお堀で。

お堀沿いを歩いていると、ビワの木があった。こんなお堀沿いじゃ誰にも採られないだろう。勿体無い。

「今日の夜さ、ビワ採りにいかない?」友人に連絡をする。

日付を越えた頃、暗がりの中に私と友人は居た。お堀沿いの道は大通りだが、平日のこの時間ではタクシーがたまに通るくらいだ。
正直な話、こんな小さなビワに固執する必要はあまりない。ただこういうことをしてみたくなっただけだった。昔、社宅にあったビワの木を思い出す。この木よりもがっしりしていて背は低く、実はもっと大きかった。社宅の男の子たちと木に登って実をとって食べていた。鳩の子供だか目玉だかが落ちた、と誰かが騒いでいた。

ビワの味だって特段好きなわけではない。果物屋に売っているものではないと、酸っぱくてなんとも言えない味がする。その辺に生えているものだったら、社宅の斜面に生えていたヘビイチゴの方がよかったような気もする。思えば小さい頃の私はその辺のものをよく食べていた。ツツジの花の蜜、小さなピンクの花の蜜、スミレの花も食べた記憶がある。今思うと危なっかしいような気もする。

柵を越えて、滑らないように気をつけながらビワを採る。細身の木ではあるが、背が高いわけではないので登らなくとも手は届く。小さめの実が沢山なっている。多少減っていてもまあ平気だろう。そもそも、ここになっているビワに一体何人の人が目を留めるのだろう。余程好きだったり思い入れがあったりしないと気に留めないのではないか。後は暇そうにゆっくり歩いている人とか。私みたいに。

本当はそんなに暇そうに歩いている場合ではないのかもしれない。私たちはまだ若く、今からこそがスタートなんだと人は言う。まだ体力も気力もある私たち。成長を求められる私たち。やっぱり死に損ないだな、なんて思ってしまう。そんなことを思っては良くない、格好つけた戯言だなんて百も承知、千も承知だ。しかしそう思った事実はどうにもならない。何も知らない純な17の時、このまま空気になって消えてしまいたいと思った心は間違いではなかった。
それでも時間は過ぎていく。綺麗でもないのに別に死にたいわけでもない私は毎日を明るく楽しく過ごすことだってできるし、特段辛いことも苦しいこともない。私の人生は、今までそれほど苦しい出来事や条件はなかったはずなのに、どうして私の中には虚しさや寂しさが存在するのだろうか。


「ねえ、食べないの?」
「皮剥いてほしい。」「いいよ。」

ビワの皮を剥く友人を眺める。ビワの皮はつーっと向けないから面倒臭いだろうに。彼女はそういうことは気に留めないのだろうか。それともそういうことを思った上で剥いてくれているのか。

「割と酸っぱいよ。」
「あぁそう。」

おそらく十年振りくらいに食べるビワは酸っぱくて、少し渋かった。自分の中に十年という時間軸が当たり前にあることに驚く。

「これゼリーに入れたら美味しいかな。」
「少し甘くした方がいいかもね。」
「ごろんてして可愛いと思う。」「…確かに。」

持ってきたビニール袋に幾つかビワを入れる。家での自分へのお土産だ。
友人の言うようにゼリーにしたら可愛いだろうが、家にゼラチンも寒天粉もなかった気がする。

少しの高揚感と一緒に、こんなことをずっとしていたいと思う。これは夜の感情だ。夜は昔よりも格段に短くなって、朝はあっという間に私たちを迎えに来る。この頃は寝つきが悪い。抱き枕が二つ欲しい。

そろそろ帰ろうか。そう言って私と友人は柵を超えた。家に帰って、ビワをまた一、二個食べるんだろう。帰り道、あと三十分はこの気持ちに浸れる。


※この文章はフィクションです※


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