しぃのアトリエ歴史探訪〜「パラレル鏡」の発見〜

2011年のしぃのアトリエといえば、その前年に起きたカモメサーバーダウンによるスレのDAT落ちという悲劇をすっかり乗り越え、最古参である箱氏の連載『世界征服を企むギコ』シリーズの佳境、TAI2による『History〜文明のはじまり』スレッドへの殴り込み、大型新人ジムジム氏手掛ける新キャラ・モナップの大活躍など、2006〜2007年の黎明期を超える盛り上がりの只中にあった。

誰かが思ったのである。「こんな人気スレなのにエロパロスレがないのはおかしい」と。「アトリエスレでえっちなAAを書きたい」と。

2ちゃんねる(当時)の深淵、「エロAA板(通称アロエ板)」。そこに、一人の勇者が「しぃのアトリエ〜アロエブルグの錬金術師〜」というスレッドを建てたのは、2011年5月の事であった。

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名前欄をご覧いただければわかる通り、そのわずか一月後に名作『ギルガメッシュの夜』シリーズを開始する例の作者である。こいついつも伝説作ってんな。

スレトップに描かれた美しいのAA。その後の注意書きにもある通り、「このスレで描かれるネタはあくまで鏡に映った並行世界=パラレルであり、長編板にある本スレとは全く関係がないよ」というスタンスを強調している。

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あくまでパラレル、本スレとは無関係。「パラレル鏡」によるスタンスの明確化により、誰もがアトリエスレのえっちなAAを後腐れなく描けるようになった。そう、「アトリエスレでえっちなAAを書きたい」という欲望は誰もが抱きうる普遍的なものであり、実際アロエブルグスレは大層な盛り上がりを見せた。筆者とて例外ではなく、いっぱい描いた(どれも名作だ)。誰もがアトリエスレでえっちなAAを描きたかったのである。パラレル鏡は、見事その欲望の受け皿となったのだ……。




さて、しぃのアトリエスレは複数の作者が舞台や設定を共有しながらそれぞれに作品を手がける「参加型スレ」だ。参加者が増えれば増えるほど、互いに相入れない設定の衝突が起こる事は避けられない。

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"誰よりも"他作者の描いたキャラクターや設定を尊重し、それらを巧みに取り込み組み合わせることで魅力的な物語を描いて見せた箱氏の、極めて例外的な一幕。この宣言後もそうした基本スタイルがぶれることは無かった。

どうしても繋がれない他作者の作品と自分の作品をパラレル=無関係のものとして切り離す行いはなんら特別なことではなかった。ましてやここは3日と空かずに新作が投下され続ける超人気スレッド。ネタ被りや設定の齟齬を気にしていては書ける物語などありはしない。多少の矛盾は見て見ぬ振り、読者も参加者も好みの設定をそれぞれが採用すればよい。同時期に最大三十余名ものAA書きを擁したアトリエスレの繁栄は、己と他者の世界を切り離すパラレルという概念を抜きにして語る事ができないものだ。


もう少し俯瞰でスレの流れを見てみる。スレ発起人「N/A氏」は、当初アトリエスレを加齢式(キャラが一年毎に歳を取り成長する)の世界として設定し、また主人公(の一人)であるツーデルがAtelier.Cを後にするまでの期間を「5年」と明言した。しぃのアトリエスレは、一方通行の時間が流れる世界として生み出された筈だった。

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しかし、キャラクターが歳を取るのは2007年の定期検診が最後となった。2020年の今もシーナ・タウンゼントは22歳のままであり、モランス・ホープライト(16歳)の頭身が伸びる事はない。2010年にツーデルがシーナと別れることもなかった。本来あるべき時の流れを切り離す事で、5年という設定されたタイムリミットを大きく超える繁栄を成し遂げたのだ。

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2012年に行われた「テンプレ祭り」でスレ冒頭を飾るキャラ紹介テンプレートが大きく更新されたが、キャラクターの年齢・外見に変化は見られない。

時の流れを感じさせるような、不可逆の変化を感じさせるような取り返しのつかないネタをパラレルとして切り離し続ければ、永遠に変わらない今を描くことができる。スレの外を流れる年月に対して見て見ぬ振りを決め込めば、何も色褪せ害(そこな)われることがない。

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『錬金術師シーナ・タウンゼントの日常』より。捨てられたキャラクター達がスレの構造そのものに対して喧嘩を売るという取り返しのつかない物語は、スレの本流からは当然「なかったこと」として扱われる。

誰一人歳を取らず、老いの苦しみも成長の痛みも無く、誰も決定的な一歩を踏み出さず、想いは胸に秘め続け、別れることも結ばれることも夢を叶えることもなく、昨日と同じ今日を誰もが生き続ける。多くの参加者がそんな世界を望んだ。だからアトリエスレは今も変わらず在り続ける。かつて生み出された魅力的なキャラクター達を、我々は変わらず描き続けることができる。

パラレル鏡は2011年のアロエブルグスレに於いて必要に応じて生み出されたものではなかった。改めて「発見」され、目に見える形を与えられたにすぎない。それは黎明期からスレに遍在し、世界を構成する要素の一つで在り続けた。

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以下、『ギルガメッシュの夜』シリーズの結末に関する記述を含む。未読者の方は是非、本編を読み終えてから読み進んでいただきたい。




神の浮き舟を堕とした事により、スレ本筋からパラレルとして切り離されてしまった超越者《堕円軌道》。

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彼は自身の「DAT堕ち」を免れるため、自分自身を描いた物語である『ギルガメッシュの夜』という一夜を永遠に描き続ける道を選ぶ。

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己の外の世界を自分自身から切り離し、閉じた世界を描き続けることで永遠を手に入れようとする。作中で「正気の沙汰じゃない」と諭されながらも、彼の決意がぶれる事はなかった。


しぃのアトリエスレはどうだったか。

参加者が増え多くのキャラが生み出され、ギャラリーに恵まれ作者間のコミュニティも円熟。他スレ・過去ネタの再現模倣をテーマとした錬金術が主題となる作品は次第に減っていき、参加者の多くはスレ内部でのネタのやり取りに執心するようになっていった。際限なく膨れ上がるネタの内圧によって新規参入者のハードルは上がっていき、時の流れと新陳代謝を拒絶した世界はどこまでも内向きに閉じて、閉じていった。

そんな閉じた世界を描き続ける事で、誰かが永遠を手に入れようとした。この幸せで素晴らしい日常が、いつまでも変わらず続きますように。その望みは叶った筈だ。描き続けることさえできたなら。


本質的には同様の行いによって、自分の外の世界(スレ)の方が先に滅んでしまった様子を、《堕円軌道》はどんな顔で眺めているのだろう。そんなことを考えていたあるAA書きに、一つの着想が生まれた。

アロエブルグスレは、しぃのアトリエ本スレでは描けない「パラレルの向こう側」を描くことのできるスレだ。鏡の向こう側の出来事であるという条件を付け加えたならば、どの登場人物も容易に一線を踏み越えてあんなことやこんなこと、よりどりみどりのお話が書けるのである。

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アロエブルグスレ『ろぜったおねえさんじゅっさい』より。本スレでは永遠に訪れる事のないキャラクターのその後、未来のお話だって、自由に描ける。

しぃのアトリエスレに最後に残る作者であり、読者でもある《堕円軌道》。彼がこの鏡と出会い、永遠に一夜を繰り返し続ける自分とは無縁の、自ら描く事も出来ない未来を手に入れる鏡の向こう側の登場人物達を眺めた時に、何を考えどう行動するか。『それでもスレは廻ってゆくのか』という連作はつまり、そうした着想のもとに描かれたものだ。


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アトリエスレの日常の象徴・Bar.タカラギコの閉店、ツーデルの親友・ニラッチュの死。「取り返しのつかない」出来事の洪水に翻弄されるツーデルに、「鏡」の向こうから何者かが語り掛ける。
「お前が望むのなら、いつも通りの昨日に帰れる」と。

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停滞して滅ぶとばかり思っていたらとんでもないことになってしまった令和のしぃのアトリエ本スレに、颯爽と登場した「三人目のエンキドゥー」。本記事がその理解の一助となれば幸いである。なってほしいな。たのんだよ。






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