フー・ダシガラットの日常⑤(終)
「この路地に見覚えは?」
なんの変哲も無い、薄暗い路地だった。二つの華やかな大通りに挟まれて、大型のダストボックスが窮屈そうに佇んでいる。これで案外人通りがあるものと見えて、ポイ捨てされているのは最近出来たなんとかという公衆浴場の真新しい宣伝ビラだ。土地勘のある者が抜け道にでも使っているんだろうが、ど真ん中で胡乱な男女が剣呑なやりとりを交わす今の状況ではその役割を果たせそうにない。
「あるわけないわなぁ。当然や。」
男の言葉はタバコの煙に似て、吸い込む程に毒されるような胸の悪さがあった。貴重な情報ではある。鼻をつまんでもうしばらく付き合ってやってもいいが……
「今のワレには、不要なモンやろからなぁ……"あの教会"との繋がりは。」
「アンタ、色々と詳しそうだな。」
やめた。コイツの副流煙は相当カラダに悪そうだ。
「……おお、怖!こんな善良な一市民に、武器突き付けて脅かそうて?」
「いたいけな一科学者をこんな路地裏に連れ込んで、そっちにも考えがあったんでしょうが――」
Glock17C。前史文明の遺物、その再現。参照元の知名度により高い安定性を誇り、アタシのように非力な女性の護身用に人気が高い拳銃だ。そいつを鼻先に突き付けられて小揺るぎもしない態度はさすがにカタギでは無いものの貫禄を伺わせるが、
「――ボルトゴッチ。」
更なる奥の手ならどうだ。
路地裏の狭い空を塞ぐような影が男の背後に屹立する。天を衝く13頭身の巨人。忠実な鋼鉄のしもべは必要とあらばアタシが引き金を引くより早くその鉄拳を振り下ろすだろう。
単なるゴロツキならこれで流石に進退窮まる筈だった。
「……"超人ボルトゴッチ"。遺跡から発掘された鋼鉄巨人。」
「なんだよアンタやっぱり詳しいんじゃんか。」
思わず舌打ち。ここまで織り込み済みとは。
「なぁ、『遺跡』ってどこの事か、記憶にあるか?そいつを『発掘』した記憶は?」
「『地球が何回回った時ぃ〜』ってか?小学生かよおっさん。……言いたいことがあンなら今から10秒以内に済ませろ。」
「穴だらけの記憶、継ぎ接ぎだらけの過去。知りたいか?ワレが、一体どこの誰の"出し殻"か。」
「是非知りたいね。もう10秒やる。」
「……本当に、知りたいか?ワレに、それを知る覚悟が」
「ぐだぐだぐだぐだまどろっこしいんじゃこのボケェーーーッ!!」
引き金を引く。淀んだ空気を破る破裂音は男の背後から。
後頭部を襲った衝撃に怯んだ男の鼻面を追い打つ真っ赤なパンチンググローブ。圧縮コイルバネの弾性エネルギーが間の抜けたびよびよ音と共に炸裂する。崩れ落ちる男の背後で残心をキメるボルトゴッチの手には純白のハリセン。
四次元ポケットの空間圧縮機構を転用した圧倒的科学的おちょくりアイテム《びっくりGlock》、ボルトゴッチが誇る108の超人技の一つ《ハリセンツッコミ》が、路地裏に完璧なチェインコンボを成す。……決まった。
「あいッ……!?」
顔面と後頭部、どちらの痛みに対処すべきかわからず悶える男に先程までの余裕は影もない。ざまあみろ、そのツラが見たかった。
「尺の一つも読めッてんだよ!『衝撃の事実!真相はCMの後!』って何べんやりゃあ気がすむんだアホか!」
溜めに溜めた鬱憤がばくはつする。
「どいつもこいつも人の顔見りゃ思わせ振りなムーブキメやがって腹立たしい!そーいう"暗躍"?みたいなのはアタシみたいな圧倒的科学者にこそ相応しいモンであってお前ら全員役者が違うんだよ三文芝居も大概にしろ!」
よく見ると男は涙目だった。いい気味だ。
「ぷんぷんぷんぷんアッチコッチでこーまで匂わされりゃあアホでも察するわなんだアタシゃあホムンクルスかアンドロイドか水槽に浮かぶ脳か?せいぜい驚かせてみろそんでもって
どこの
誰が
何をどうやって
アタシをこんな有様にしたのかを今すぐ洗いざらい知ってる限り教えろ簡潔にまとめろ産業でまとめろ今すぐにだ」
「……い、」
多分昨日の夜とか寝ずにネタ出しして、鏡の前でかっこいい悪そうなセリフの練習とかしてきたんだろう、恥ずかしいヤツめ。悲嘆と困惑に暮れて涙ながらに問い詰めるアタシの姿でも思い浮かべていたのだろうが、誰がそんな陰気な筋に付き合ってやるものか。今やなんとか鼻声を絞り出す男の有様は哀れの一言。
「言ったら、どうする。それを教えたら……」
質問を質問で返すとはつくづくふてぇ野郎だ。アタシは握り拳を男の眼前に突き付け、
「決まってンだろォ!」
そして親指を突き上げる。真っ直ぐ上に。
「GJ(グッジョブ)って、言ってやんのさ。」
怒りを超えた高揚が、アタシの口角をあげていた。分厚い眼鏡越しの両目はさぞかし青々と輝いていることだろう。
「"このアタシという最高のネタ"をこの世に生み出した誰かさんへ、心からの賞賛をくれてやる。」
男は呆けたような顔で目を見張っている。何か信じられないものを見たかのようだ。ばかばかしい。
それ以外に、一体何があるというのか。
「わかったらさっさと洗いざらい吐きな!こちとら暇じゃないンだ、問いただしたいヤツらが他にも……」
言いかけてギョッとする。男が肩を震わせていたからだ。俯いて……どうやら、笑っている?
「……あー、おかし。傑作や。"捨てる"?"無くす"?"奪われる"……?何をアホな。オドレから、なぁ。」
アタシは慎重に間合いを図る。当たりどころが悪かっただろうか。ボルトゴッチのツッコミ出力を調整する必要があるかもしれない。
「その目。まんまや。あの頃のまんま。いや、現実を知らないガキとしてのそれじゃ無い。"クソッタレの灰色の現実"を真っ向受け止めて笑い飛ばし、"虹色の夢"に変えようとする、筋金入ったドアホの目ぇや。ああ、これが見たかった。これだけが見たくて、ワイは……」
何を言っているのかわからないが、こちらにわかるように言って聞かせているつもりも無さそうだった。さっきまでのコテコテ露悪ムーブよりよっぽど反応に困るが……ん?「あの頃」?
「オドレが、急拵えの、デクの、出し殻であるもんか。こんな目ぇできるのは、一人だけや。なぁ、フーズマリー。フーズマリー・トラウム!」
フーズマリー・トラウム。
なるほど、という不思議な納得があった。それがアタシの名か。
その響きを反芻する間もあればこそ、目の前の男のまるで憑き物が落ちたような顔に、古い記憶が刺激される。いや、当時ですらこんなさっぱりした笑顔を見ることはなかった筈だが……間違いない。
「アンタ……まさか"ワルモノートン"!?ウッソだろおいすっかりオッサンじゃん!」
「よう覚えてるわ、光栄や。オドレらの"ヒーローごっこ"の後ほっつき回して、いちいち知った風な事言うて冷や水浴びせにかかってた、こまっしゃくれた悪ガキ。」
思わぬ旧知との再会に頰が緩む。この歳になると当時の関係性の良し悪し多少に関わらず嬉しいものなのだ。昔の知り合いが人を思わせぶりにたぶらかして路地裏に連れ込むお仕事をしていると思えば多少の物悲しさも感じるが……
「オドレなぁ、ワイの憧れやってんで。」
「は?」
聞こえなかったわけでは無い。どうやら、脳が理解を拒んだ。
「あの頃、ワイ、ヒーロー好きでなぁ。いや、実を言うと今でも。……いうて、その趣味開けっぴろげにする度胸もなくて。だから、何のてらいもなく"ヒーローごっこ"しとるオドレらがな、羨ましくて眩しくてたまらんかった。」
なにか、大切なことを話されている気がする。気がするが、アタシの言語野は言葉の意味を捉えて咀嚼する機能を失ったようだった。「気が気じゃ無い」と言えばそれに近い。
「『まぜて』の一言がどーしても言い出せんで、わざわざ付け回して、あんなオトナから聞き齧ったつまらん話ばーっかり……思い出すたび顔から火が出る、トラウマや。せやから、なぁ、今はワイから誘わしてくれ。コレ、付き合ってくれんか?」
反応を即座に返す余裕は無く、手渡されるまま受け取った紙ぴら二枚を、一人取り残された路地裏でためつすがめつする。ボルトゴッチはスリープモードに入り、「ブルスコファー、ブルスコファー」と寝息を立てていた。
***
「告られただとゴラァ!?」
翌日の昼下がり、テゥゼント邸。膝を揃えてうなだれるアタシに食って掛かるのは他ならぬミューティオ女史その人だ。驚きと興奮のあまりかお得意の"百面相"が火を噴いている。
「えっ……ちょ、詳しく、詳しく聞かせておくれやすぅ、どないしなったのぉそれでぇ?」
上下に四角く大開かれた口はたちまちすぼまり、相手を懐柔し情報を聞き出す「商いモード」に入った様子だ。
「いや……これ渡されて。別に何も返事は、何も。」
「んまっ!観劇のチケットやないのぉ〜!何着てくぅーとかいくらでも相談……」
「いやコレ……子供向けヒーローショーじゃん。絶対イタズラでしょこんなん。」
百面相が徐々にいつものやわらか笑顔へと収束してゆく。常より下がり気味の眉尻がもの言いたげではあるが。
「めかし込んで行ったら囲まれてバカにされるやつじゃん……明らかにそういうことしそうだしアイツ……」
「フーちゃんそういうとこよぉ?そういうとこだと思うのよぉ私……」
年頃になってからというもの、あまりの男っ気の無さに良くこうしてお節介を焼かれたっけ。
つぎはぎの記憶もあれば、そんな他愛のない、けれど確かな思い出もあるものだ。
縁結びのペンダントは返すことにした。チケットは、アタシよりお子さんの方が喜びそうだと置いていこうとしたら真顔で説教されたので、渋々持ち帰りはしたが。
ダシガライダーヒーローショー。あまり流行っているという評判は聞かない。そのネーミングには引っ掛かりを覚えないでもなかったが、今のアタシはそれどころじゃない。そう、色恋どころの話でも無いのだ。
なにせ、ダシガラット・アカデミーのチビどもは今も非常勤講師たるアタシの授業を待っている。授業がイヤでも腹は減る。気の良い怪物ウサギに任せっきりにするわけには行かないし、他の講師陣はアタシが監督しなけりゃめいめいロクでも無いことばっかり教える始末だ。
その上で、アタシは今のアタシのルーツを知らなきゃならない。アタシの代わりに親友を救い、腐れ縁と付き合って、この街で様々な繋がりを結んだ、アタシでは無い誰かの事を。
アタシの……そう、「不在」の間にアタシとしてこの街に生きた誰か。そいつの肩を叩いて労をねぎらい、美味い酒を飲み交わすまで、この探索は終わることはない。
忙しいので……まぁ、チケットのことは保留だ。とりあえず今夜、しょぼくれているだろうマーラの奴のケツを叩いて、あの夜のまずい酒を飲み直すとしようか。
***
「……えぇ、えぇ。あとはセンセェにお任せします。ワイの方はもう、概ね気が済みましたさかいに。……胸につかえた一言二言、センセェにもあるのとちゃいますか。」
ここには居ない何者かとの会話を終え、男はタバコに火を点ける。深く煙を吸い込むその顔は晴れやかなものだ。
「……ああ、全くの同感や。あの強情っぱりに与えられるべきが、《海》の底でのしみったれた罰である筈がない。」
白く晴れ空に吐き出された独白は、まるで祈りのようでもあった。
「あたう限りの感謝と賞賛、そうであるべきやろ。」
***
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