「みならい僧侶」小野龍光という生き方を考える
僕は人と会うことが仕事であり、
人生の喜びでもある。
先日の「田原カフェ」で、
また、とても刺激的な方に会うことができた。
小野龍光さん。
2022年10月にインドで出家した、
「新米」の僧侶だ。
小野さんはIT系の起業家であり、
年商100億円をたたき出すCEOだった。
これが小野さんの「前世」だ。
小野さんは出家前の自分の半生を、
「前世」と呼ぶので、こう書く。
前世はいわゆる「勝ち組」だった小野さんが、
地位や財産を手放し、出家した。
剃髪し、僧侶の袈裟に身を包み、
足下は雪駄履き。
家は持たず、わずかなお金で暮らし、
都内の移動は徒歩だという。
いったいなぜか。
小野さんはビジネスで成功し、
数字は伸びた。
しかし、「成功」を感じたことは一度もないという。
新しいサービスをつくり、
人々の役に立ちたいと考えていたのが、
いつしか「数字」が目標になっていた。
ビジネスという無限のレースに
疑問が生じただけでなく、
その過程で「他人をひきおろす、けとばす」
ということをやってしまっていた。
これは違う、と確信した小野さんは、
インドで出会った日本人僧侶、
佐々木秀嶺さんに導かれ、
「出家」という道を選んだのだ。
僕は小野さんにこうぶつけてみた。
「僧侶にならなくても、
いっぱいお金を稼いで寄付すれば、
人の役にたてるじゃない」。
挑発的な僕の質問に、
小野さんは静かにこう答えた。
「寄付すれば救われる人もいるだろうけど、
欺瞞、自己満足だと思いました。
明日食べるものがあるかどうかわからない、
実際そういう方をたくさん見ていますが、
日本人以上に、ものすごく幸せそうな顔をしてます。
一方で3000億円持っていても、
自殺したい、という人を知っています」
僕も10代の頃、
「宗教」に強い興味を抱いたことがある。
高校生の時、
仏教のある宗派の合宿にも参加し、
「生まれ変わるというけれど、
じゃあなんで人口は増えるんですか?」
などと質問攻めにして追い出された。
以降、特定の信仰はもっていないが、
人間にとって宗教とは何だろうと、
今もしばしば考える。
小野さん自身は、
「自分は宗教者ではないのかもしれない」という。
「お釈迦様の教えは、
宗教ではなく『哲学』だと考えています。
お釈迦様は例えば、
『自分を助けられるのは自分しかいない』
という言葉を残している。
これは哲学だと思います。
お釈迦様の教えに、
突っ込みも入れますよ」と笑う。
思えば、10代の僕は、
天理教の教えに対して、
「突っ込み」を入れていたのだ。
小野さんに近しいものを感じて、
うれしくなった。
小野さんは、
東京大学で生物学を専攻した。
だから現代社会を、
生物学の視点で見る。
「生物は集団で生きるのが本能。
それなのに今は個人で稼ぐ、
個人の権利が強調されすぎている。
ゆえに、少しずつ心のバランスを崩す人が、
増えているのではないか」と語る。
僕も、まったく同感だ。
現代の人間のつながりは、
ほとんどがビジネスだ。
だから自殺が多いのではないかと考えている。
現代にはビジネス抜きで、
「人と人がつながる場」が必要だ。
「田原カフェ」もまさにそんな場だ。
小野さんの出家、生き方には、
正直わからないところもある。
しかしそれがまたおもしろい。
世の中にはいろんな人間がいる。
すべて理解できるわけではない。
またこれからも多くの人と会い、
つながっていきたいと改めて思う。
撮影 佐藤洋輔さん