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数学とはどんな学問か?

ブルーバックス 津田一郎

というを読みました。昔、僕は非線形物理学をやっていて津田さんはその時カオスをやっていたので、まあ、同じ分野の研究者だったといってもバチは当たらないと思う。

本書は要するに「数学は難しいから嫌いだ」という人をちょっとでも減らしたいという本である。つい先月だした拙著は「数学が分からなくても機械学習が解る様になりましょう」という本だし、来月は中学数学を漫画でわかりましょうという本が出るみたいだし、先々月は講談社現代新書でこんな本が出ていたし、講談社は数学を身近なものにしようという組織的な活動を開始したのかもしれない。

津田さんは本書で「数学とは人間の心を正しく動かすためのただ1つの方法だ」と喝破する。所詮、正義は誰かにとっての悪。「誰かの×は誰かの○で世界は回っていく」じゃないけど、正義と悪は立場で変わってしまうものだが、心を正しく動かす=数学を使うことで議論の余地がない正しさが手に入る、と津田さんは言う。

同時に数学は心の動かし方なのだから誰でも使えるはずだ、と津田さんは言う。心をもっていない人間はいないのだから、心を正しく使うための唯一無二の方法である数学を使えない人間などいないはずだと。

そんなこと言っても数学わかんないよという人が多いと思う。そこで津田さんは、昔数学が人間の心から生まれた瞬間を振り返って、抽象化されてしまってわかりにくくなってしまった数学を人間の心を結び付け直すことを試みる。負の数は借金の末裔だし、積分は土地の面積(=富)を正確に測りたいという欲望のなれの果てだ、みたいに。

この本を読んでも、津田さんが望むような意味で、心を正しく(=数学的に)使えるようには多分、ならない。それでもこの本を読めば、無味乾燥で自分とは関係ないものに見えた数学がきっとちょっとは身近に感じられるかもしれない。そうすればきっと「微分なんて高校を卒業したら役に立たないものを教えるのはやめろ」とか思わなくなるかもしれない。だって、それは「心を正しい働かせるための訓練」なのだから。高校を卒業したらサッカーなんか一生やらないかもしれないのに、高校でサッカーを教えるのは無駄だという人は少ない。それは高校でサッカーを教えるときの本当の目的はサッカーがうまくなることじゃなく、体力作りとかチームワークとかそういう二次的な物だからだ。微分を習うのも、微分ができることが目的なんじゃなく、「正しく心を働かせる訓練」だと思えばいい(津田さんは「数学者は詐欺にあわない」と書いていたがこれは本当なのだろうか?)

というわけでとりあえず、「数学なんて、見るのも嫌だ」というひとにこそこういう本を読んでほしい。そしたらしたり顔で同じく数学嫌いな友人に向かって「お前、まだ数学嫌いなの?遅れてるな」と言えるようになるかもしれないから。

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