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画像生成系AIの学習に無断で人間が描いたイラストの学習に用いることの是非について

上記のツィートについて「人間ならオーケーでAIならだめという区別は多分機能しない」根拠が無いと指摘されたので書いておきます。
その前に僕は「画像生成系AIの学習に人間が描いたイラストを勝手に使うのは良くない」という立場ですが「実効(技術)的に禁止は不可能だろう」という立場です。

何が問題なのか?

簡単に言ってしまうと学習すること自体が問題なのではなく、学習データを用いてイラストが作成されてしまう結果、人間が労力を払って作成したイラストと同程度の品質のものが安価に無限に作れてしまうという点が問題となっています。なので仮に画像の生成がとても大変で人間がイラストを描く以上のコストがかかる様であれば問題にはならなかったと思います。従って、ここでは「安価な画像生成をどう制限するか」ということが問題であるとします。「制限じゃなく対価の支払いが問題だ」という指摘があるかもしれませんが、そもそも、制限が難しいものに対価の支払いを求めても実効性がないのでその場合は除外します。警察組織のようなものを作って取り締まるようなことまでは想定していません(画像生成AIのイラストの取り締まりにそこまでのコストをかけても、人間がイラストを描くことで得ているコストを越えてしまうので現実的では無いと考えるからです)。

画像生成を阻止できるか?

学習済みのデータセットが公開されている状態で、画像生成を阻止できるかというとこれは難しいと思われます。今は非常に大きな組織でないと運用できませんが、これが個人でダウンロードして使えるようになるには多分数年しかかからないでしょう。個人のパソコンにデータセットとアプリケーション、そしてイラストを描かせるプロンプトがあった場合、自分だけで楽しむために画像を生成することを禁止することは私的行為なのでほぼ絶望的と考えます。そもそも、誰にも言わないで個室でやったらおしまいですし。

学習を阻止できるか?

では、学習を阻止できるでしょうか?これも難しいと思います。そもそも巷で学習と呼ばれているものは画像からの特徴抽出にすぎません。学習そのものを禁ずるには画像からの特徴抽出そのものを禁止するしかありませんが、画像からの特徴抽出は別に画像生成のためだけのものじゃないので、これ自身を禁ずるのは現実的ではないと思います。

人間の学習とAIの学習の区別が困難という意味は?

ここまでの議論は前提として(異論がある人もいるかもしれません)人間の学習とAIの学習の区別は困難なのかなぜかを述べておきたいと思います。そもそも、画像生成系AIは勝手に生成なんてしなくて人間が命令しないと生成はしません。その意味で、画像生成系AIの学習と生成は人間が道具を使って学習しているだけのことです。実際、人間はいままでも学習にいろいろな外部機器を援用してきました。ノートを取ったり、パソコンに文書をまとめたりしています。人間の脳に書き込んだもの以外は学習とみとめないということはできないと思います。従って、人間がツールを使って公開されている画像の特徴習出を行って「学習」の補助にすることを禁ずることはできないし、それを使って画像を「生成」することを禁じるのも難しいと僕は考えています。

どのような解決策が可能なのか?

以下はツィートに書いたこととは独立なことです。いままでもイラストの作成を容易にするツールはたくさん開発されてきました。例えばペンタブは、非常に高価な画材を用意しないと描けなかった品質のイラストを数万で描く手段を提供しました。しかし、ペンタブのせいで画像が量産されるようになってもペンタブを使わないで絵を描く技能をもった人たちから「俺たちの努力を無にするな」という異論は出てこなかったと思います。それは優れた描き手ならペンタブの可能性を見抜き、自分の道具として使いこなすのが当然だ、と思われたからでしょう。
同じように画像生成aiが、作り手の道具のなることでこの問題は解決すると僕は考えています。スマホの普及できれいな写真が簡単に撮れるようになってもカメラマンは絶滅したりはしませんでした。同じように画像生成aiも真のクリエイターだけが使いこなして余人では真似できない素晴らしい創作を行うと僕は考えています。

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