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読書メモ:マーク・ブライス『緊縮策という病』その①

反緊縮三部作』(ポール・クルーグマン『さっさと不況を終わらせろ』、マーク・ブライス『緊縮策という病』(NTT出版)、デヴィット・スタックラー&サンジェイ・バス『経済政策で人は死ぬか?』(草思社)の一つ。原題の「Austerity:The History of a Dangerous Idea』が表しているように、「緊縮」についての思想史について主に書かれている。筆者のマーク・ブライスは、ブラウン大学の政治学部教授で国際政治経済学者。本書の構成は大きく分けて全三部で構成されている。書評というより読書メモみたいなものなんでその点は了承して欲しい。

第一部:われわれはなぜ緊縮しなければならないのか?(第二章~第三章)
第二部:緊縮策に関する一対の歴史(第四章~第六章)
第三部:結論(第七章)
あとがき

第一部の第二章と第三章は、アメリカでなぜ住宅バブルが弾けて銀行危機が起こったのか?とそれが如何にしてヨーロッパに伝播したのか?について書かれている。それらの分析については目新しいものあまりない。アメリカでは銀行は「大きすぎて潰せない(too big to fail)」、ヨーロッパでは、EUの足枷のために銀行は「大きすぎて救済できない(too big to bail)」である事と、ECB(欧州中央銀行)の量的緩和と各国の政府債務削減がセットになっていた事を頭に入れておけばいいだろう。第二部から本格的な緊縮の思想史について語られている。時間がない人は緊縮の思想史が書かれている第二部だけを読んでおけばいいだろう。

緊縮思想の源流としてのロック、ヒューム、スミス

ジョン・ロックは、人々が土地などの「自然状態」から土地などを取り出し、それを労働と組み合わせることで私的財産になるとした。また土地・労働・資本に関わる交換手段として貨幣が発明されたと考えた。所謂、「貨幣ヴェール説」である。ロックによれば、公益は、財産を中心とした私益から政府介入からの自由として定義され、資源を収奪する国家能力は最低限であるべきだとした。ここに「リバタリズム」の元祖としてのロックが読み取れる。ディビッド・ヒュームは、ロックの貨幣論を受け継いでおり、貨幣は貿易によって増大して、特に貿易に携わる商人は貿易の触媒である富の創造者であると考えた。またヒュームの公的債務論は、債務は徴税より容易であり、利払い負担が壊滅的になるまで際限なしに増え続ける。国債は民間投資を締め出すというものである。アダム・スミスは、”消費”ではなく”貯蓄”が投資を牽引すると考えており、貯蓄を増やすための”倹約”が推奨された。債務には何の役割もない一方で、貯蓄は善であると考えられており、資本主義の成長は、債務ではなく貯蓄を増やす倹約によって齎されるとした。スミスによれば、公的債務は必然的にデフォルトにつながり、デフォルトは富裕層の貯蓄を通した投資能力を破壊する。国債購入によって提供された安易な資金は、経済成長の源泉である倹約を転覆させるというものである。今日につながる「政府債務=絶対悪」という思考は、スミスによって道義的な意味を与えられた。ロック、ヒューム、スミスの思考を極限まで突き詰めたのが、デヴィッド・リカードである。リカードは、ロック色が顕著に残っており、その著作(『経済学および諸税の原理』)の中で「労働者の条件が最も悲惨でも、政府は彼らを補償すべきではない」「貧困層を裕福にするのではなく、貧困層の条件を改善しようという試みは富裕層を貧しくする」と記述している。

イギリスから生まれた「経済的自由主義」は、その後、二つの流れに分かれた。一つは、資本主義の継続的な管理を行い、社会改革の「道具」として国家を位置付けるイギリス・ニューリベラリズムである。この流れには、ミル、マーシャル、ケインズ、ベヴァリッジが位置し、彼らは包括的な福祉国家の礎を築いた。一方では、「経済的自由主義」をより純化させる形でオーストリア学派が形成された。オーストリア学派は、政府の市場介入は、いつでも有害であり、政府の市場介入は、信用ブームと崩壊の源泉となるとした。ハイエク、ミーゼス、シュンペーターが、この潮流に存在する。

「清算主義」と「財務省見解」

緊縮思想は、アメリカでは「清算主義」、イギリスでは「大蔵省見解」として実際の政策に現れた。「清算主義」は、景気循環において恐慌は避けがたいものとして捉え、その克服のためには、市場参加者を徹底的に「整理」することを推奨する。シュンペーターは、ヒュームやスミスが商人に与えた役割を模倣して「企業家」に分析の中心を与えた。景気循環の必然性に関するアメリカ思想の中で、企業家と失敗の重要性は、健全財政の必要性を強調したもう一つのアメリカの経済思潮と共存し強化されていた。イギリスにおいての「大蔵省見解」は、政府債務の増加は経済において一時的な猶予しか齎さず、政府債務は民間資本をいつでも「クラウディング・アウト」すると見做していた。大蔵省見解には、その後にクラウディング・アウトが引き起こす金利上昇にリカードの等価定理が追加された。この大蔵省見解に対して、異を唱えたのがケインズである。政府は、将来に関する不確実性ゆえに企業が眠らせている資金を支出することで、「ギャップを埋める、または呼び水を与える」ことができるとケインズは主張した。

ケインズ革命

ケインズが成し遂げた業績中で最も重要なのは、ロックとヒューム、スミスから始まった経済的自由主義の考えを転覆させたことである。ケインズは、貯蓄→投資の直線的な流れを否定した。貯蓄と投資は時間的に分かれており、貯蓄は必ずしも投資につながらず、貯蓄は極めて容易に貨幣の退蔵や消費の削減につながり得るとした。スミス以来の「商人が倹約して貯蓄を増やし、貯蓄が投資を牽引する」という思考を否定し、「平均的な一般人(労働者)の消費決定により経済は動く」と思考の型を変えてしまった。ケインズが描く世界では、政府支出とそれに伴う債務(政府債務)は良い政策であると評価される。

以上、1692年に書かれたロックによる『統治二論』からケインズによる革命までの緊縮の流れについて読書メモをまとめてきた。次回は、戦後から現在にいたる緊縮の思想史について読書メモをまとめていこうかと考えている。

(その②に続く)














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