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【感想】井上弘貴『アメリカ保守主義の思想史』 混迷を極めている「トランプ以後」のアメリカ保守を知るには最適な本

本書の概要

2016年大統領選において、アメリカの主流派の保守主義者たちはドナルド・トランプの不支持を表明していたが、カトリック保守のパトリック・デニーン(『リベラルはなぜ失敗したのか』の著者)ら一部の保守知識人たち、トランプの支持を表明した。彼らは「新しい伝統主義者たち」と呼ばれている。

従来のアメリカ保守派は、経済的リバタリズム、客観的な道徳秩序の存在を主張する伝統主義、そして反共主義を三本柱とする融合主義を掲げていた。「新しい伝統主義者」たちは、共和党の主流思想である融合主義は、単なるエリート主義に堕ちてしまっていると論難し、ネオリベラリズム政策によって没落する中産階級を守るべく反移民政策を掲げ、グローバリズムを普遍主義の暴走と捉えて、反グローバリズムを押し出すといった特徴がある。

ジョン・ロールズ、マイケル・サンデルといったアメリカのリベラル派知識人たちの思想を紹介する本は多いが、本書は、あまり類書のないアメリカの保守思想についての概説本だ。戦後に元左翼の転向者たちが立ち上げたがゆえに、強烈な反共主義を内包するニューライト、反共主義のニューディーラーを起源として、反共であるがゆえに、対共産主義戦争であるベトナム戦争に反対する当時の新左翼に反発して、その後、民主党を離れてニューライトへと合流していったネオコン、ネオコンに対抗して非介入主義、ニューディール政策否定(ネオコンはニューディーラーを起源としてるのでニューディール政策肯定である)、経済的リバタリアンを掲げるペイリオコンといった、戦後の多様なアメリカ保守主義の系譜が丁寧に描写されているのが大きな特徴だ。

右派カウンターカルチャーとしての近年の保守

本書を読んでいて思ったのは、『表現者クライテリオン』周辺の知識人たちとその影響を受けた政治右派ぽいツイッタラーたちと、ペイリオコンの代表的な知識人で、後の「新しい伝統主義者」たちの先駆けとなったサミュエル・トッド・フランシスの思想はかなり似通っている点である。フランシスの主張は以下のようなものである。

力を奪われたのは旧エリートであるブルジョア階級だけでなく、中産階級も同様である。経営エリートとアンダークラスに挟撃された中産階級もまた、かつての地位を失い、いまや「ミドルアメリカン・プロレタリアート」と呼びうる地位に転落している。それに伴って、彼らが担っていたナショナリズムやアメリカの文化もまた衰退を余儀なくされ、グローバル化した経済と文化に飲み込まれている。だが、プロレタリアートの地位に落ち込んでしまった昔日の中産階級であるミドルアメリカンたちのなかから、「ミドルアメリカンの革命」と言える反抗の機運は確実に高まりつつある。(フランシス, 1997年) フランシスはそうした確信も同時に深めていた。 (P.207)


中産階級の没落を問題視し、経営者階級を「ネオリベラリズム階級」(竹中平蔵とか宮内義彦とか政策工房とか)に置き換えると、クライテリオン界隈の知識人たちが主張していることにまんま置き換わるだろう。

また、フランシスの戦略とは、アントニオ・グラムシの戦略に学べというものだ。

フランシスは、経済的にはプロレタリアートの地位にまで零落しているミドルアメリカンたちが、レーガンの勝利でただ満足している従来の保守勢力あるいは宗教右派を乗り越えて、経営者階級にとって変わるべく、ミドルアメリカン・ラデイカルとして先鋭的な政治意識を獲得していくことを展望していった。フランシスは選挙での勝利や政権の奪取によって特定の階級が覆せるわけではないと考えて、フランシスが強調したのは、アントニオ・グラムシに学んで「文化的ヘゲモニー」をミドルアメリカン・ラデイカルたちは奪取しなければならないという政治課題だった。(P.209)

ヨーロッパに目を向けると、ドイツの新右翼たちはカール・シュミットを援用して、自分らを「パルチザン」と見なし、文化政治闘争を勝ち抜けと煽っている。その辺の背景は、フォルカー・ヴァイス『ドイツの新右翼』(新泉社)に詳しい。

現代の右翼たちは、戦後カール・シュミットが導入した「パルチザン」という概念を援用している。「パルチザン」概念を利用して、犠牲者の立場を自己演出することの、道徳的な価値を高めることができるのだ。こうして、「パルチザン」という形のなかで、道徳的な優越感と国粋主義者の伝統的な英雄主義とを融合することが可能になるのである。

パルチザンの防衛的な立場は、行為主体(アクター)を侵略者という非難から解放してくれるため、国粋主義者にとっては、とりわけ、魅力的なものに映る。こうして、国粋主義者のなかに、占領者に対する抵抗運動の闘士、「パルチザン」が誕生することになる。「国粋主義者とは防衛する者である」という主張は、今日の右翼陣営では、ほとんど例外なく広く受け入れられており、これが1945年の敗戦以降、右翼陣営の政治的な支えとなっていく。(中略)シュミットが新左翼の革命家をお手本としたことによる副次的な効果としては、今日シュミットの理論を用いてグローバル化に反対する国粋主義者たちが、自分たちの抵抗運動を反植民主義闘争として、つまり道徳的に正当なものとして売り込むことができるようになった点を挙げることができるだろう。こうした理由から、ヨーロッパの右翼はここ数年来、「アメリカニズム」の浸透に反対する、一種のインティファーダ(蜂起)を結集する際に、カール・シュミットを援用するのである。

(ヴァイス『ドイツの新右翼』新泉社, P.176)

ペイリオコンたちは、グラムシを援用して、文化的ヘゲモニーを奪取せよと叫び、ドイツの新右翼たちは、シュミットを援用して、文化政治闘争を勝ち取れと煽っている。クラリテリオン周辺の知識人たちはオルテガを引用して、大衆に埋没せず、専門人(フランシスの言うところの経営者階級とほぼ同じものかと思う)の言いなりにならず、君たちは覚醒せよと煽っているもんだから同じようなものだろう。ドイツ、アメリカ、日本と、最近の保守の思考が似通ってしまうのは興味深い。近年の保守は、グローバリズム、ポリコレなどといった趨勢に反抗するという反時代的な傾向がある。個人的な雑感だが、正に近年の保守とは、右派カウンターカルチャーなのではないかと

可能性としてのリフォーミコン

本書の最終章では、ネオコンや新しい保守主義者たちとは違う、「リフォーミコン」と呼ばれる新しい保守の潮流が紹介されている。代表的な論者として、バングラディッシュ移民の2世で、保守系の都市政策シンクタンクであるマンハッタン研究所の所長を務めるライハン・サラームの主張が挙げられている。サラームの主張は以下のようなものである。

サラームは、ある社会内で「集団間の極端な不平等」が生じなければ、多様性は特段問題とならないと主張する。但し、アメリカの現状は、大卒専門職という「特権的な集団」と、ほとんどあるいはまったく交渉力を持たない不安定な労働者階級とに分断されてしまっており、しかもエスニテシティの観点からみれば、非ヒスパニックの白人人口が近い将来マイノリティになるなか、恵まれた集団の人口規模は恵まれない集団のそれと比較して相対的に縮小しつつあるために、恵まれない集団からの異議申し立てに対して、恵まれた集団はますます自分たちの地位を守ろうと必死になってしまっている。

サラームが目指すのは、「合衆国を中産階級のメルティングポットとして作り直すこと」である。サラームは、異人種間結婚やその他の文化的な交わりが、エスニシティの境界をそれが意味をなさなくなるまで曖昧にする「アマルガム化」という同化プロセスと、マイノリティ集団が隔離された社会的関係へと固定されてゲットー化してしまう「人種化」という同化プロセスとがあることを指摘する。サラームが説くのは、いかにして人種化のリスクを低減させつつアマルガム化を促進させ、「汎エスニックな中産階級」を創出するかである。(P.268~P.269)

サラームの政策提言は、人種化のリスクが高まるのを防ぐために、スキルに基づく選択的な移民制度を提唱しており、低スキルの移民の流入を防ぐことで中間階級の賃金上昇につながり、中産階級が安定するというものだ。これは結構穏当な意見で、支持を得やすいと思う。

クライテリオン周辺の保守知識人たちは、「新しい伝統主義者たち」に連なるイスラエルの知識人であるヨラム・ハゾニー『ナショナリズムの美徳』の解説でハゾニーを絶賛しているが、

ハゾニーは、極右活動家であるメイル・カハネの影響を強く受けていると公言しており、イスラエルの政党のリクードとつながりのある強烈なシオニストだ。また、ハゾニーが擁護するナショナリズムは、プロテスタンティズムのもとで形成されてきたアングロ・アメリカのナショナリズムを他のナショナリズムより高い評価をする序列化されたナショナリズムであることに注意が必要であろう。クライテリオン周辺の知識人たちは、ハゾニーの思想を、こういった背景を消毒して輸入しようとしているように思えて、あまり誠実な態度であると言えない。


クライテリオン周辺の知識人は、ハゾニーの思想を輸入するよりは、サラーム的な「リフォーミコン」を取り入れてはどうかという提言で本稿を締めくくりたい。(了)

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