イジメと亡霊②

朝、2週間に1回は必ず虐められてた時の夢を見る。今日はその日だった。殴られたり…とかではなく、ただ部活をしてる夢。

でも、それを見るたび当時がよっぽど辛かったんだなと思い起こされる。
今日もおそらく、楽しくはない、ただ、虐められてた頃に比べれば、マシだ。暴言も暴力もない平和な世界だから…。
強いて言えば、劣等感くらいだ。孤独でない人たちと比べて…。

列車に揺られ、携帯の画面をただ眺める。
同じ高校の人たちが乗ってこれば極力視線を逸らした。孤独がみじめだったから。誰もそんなこと気にしてないよ、と教えてくれる友達すらいなかった。ただただ見下される感覚を自分に課していた。

孤独の言い訳に、携帯を見る。
知らない人の渦に紛れて、極力クラスメイトに見られないことを意識した。得体の知れないやつ、みたいに思われたくなく、せめて透明でいたかった。

道を歩いてると、苗字で呼ばれる声がし、まさかと思って振り返ったが、すぐに視線を戻した。
同じ苗字の人が呼ばれただけか…

英語のペアワーク。物理の実験。地獄の時間を過ごしながら、掃除。自分以外の人は会話していて、自分は話す人がいなかった。資格がないように感じられる。

今日も、傍観者として過ごすだけで学校生活が終わってしまい、運動部が着替え始めるころ、僕は音静かな下駄箱に向かった。

学年で300人近くいる生徒の中で、この時間に帰る生徒は3%くらいだろう。さよなら学校、さよなら青春。そう胸に思いながら、正門をくぐった。

中古の本屋で、漫画立ち読みするか…。
でももう何十冊も読んでしまっている。

○放課後、かおりさんに会うため、山に向かう


古都、鎌倉の5月は明月院で紫陽花が咲き乱れ、普段は訪れぬ旅人も、寺院に紛れ込む。

男女の賑わいに包まれるのも観光地の話で、お化けが旅客に溶け込み、紛れ込むにしても、こんな山奥で、こんな令和に。
一体。

しかしこんなどこか世間離れした雰囲気は、却って僕の人間不信が地面に溶け込んでいくような心地がして、かおりさんに心をひらくには充分だった。

「人間が怖いのに、どうして僕なんかに話しかけたの?」
どこか人間に怯えてる人間は、僕みたいにこう…
挙動がでるものだと思っていた。

「昔、話した人間さんにどこか似ていたから」
「昔?」
「うん、昔」

ポツリポツリと雨脚が強まって、樹木の鬱然と生茂るこの山に、雨飛沫が葉に谺して梅雨の音が響きわたる。

「昔ってどのくらい?」
彼女は、思い出すそぶりを見せた。
心に余裕がない僕は、疑問に怯え、回答を急かした。
「昔、ってどのくらいかしら。雪が降っていたかな」
かおりは指を顎に当て、考える仕草をやめない。

すると、思い出したのか、決意が固まったのか僕の目を見て問いかけてきた。
「誰にも言わない?」
「うん…いう術がないよ。友達いないから」
「わかった。そのうち教えるね」

そうして友達がいない僕は、彼女の秘密をいずれ教えてもらう約束を交わした。


かおりさんは散歩しようと言い出した。
既にずぶ濡れな僕らは、雨などは気にならず、ぬかるんだ地面を踏むようにして、山の中を散歩する。
「私、世間体なんかより、現実逃避の方がよっぽど楽しいのになって思うけどな」
「そうかな。僕は学校で楽しそうにしてる人たちの方がよっぽど羨ましいよ」
「だってほら見て、」

山の中で密かに花咲かす朝顔の前で立ち止まると、これ私が育ててるの、と顔を近づけて、心をこめるようにして、和歌を口ずさんだ。

風を待 草の葉に をく露よりも あだなるものは 朝顔の花。
230

僕はその光景に思わずみとれてしまった。
「どう?現実逃避も悪くないでしょ?」

切なさとか、侘しさとか、そういうものは16歳の僕には早いと思ってたけど、初めて聞いたこの和歌は僕の脳裏にあまりに自然と灼きついて。

「あだなる、は儚いって意味だよ」
「儚い、か」

雲の隙間から夕日がわずかに差し込んだ。
「心の傷も、儚く消えて無くなってくれれば良いのにな」

イジメ後遺症に悩む僕は形ある情景を見つめながら、形ない心の傷についてため息混じりに言葉を漏らした。

「心の傷は中々消えないよね。お話の続きを聞きたいから。明日もこの場所に来て」
彼女はそう言い残すと、忽然と僕の隣から姿を消した。足元には白い羽が一枚。
僕はそっと手に拾い上げ、鞄の中にいれた。


帰り道、服はまだ雨に濡れたままジメジメしていて、周りの目を執拗に気にして電車に乗り込む。
笑声が全部僕に向けられているような気がして。

誰かと目が合うのが怖くて、下を向く。
(胸ぐらを掴まれたり、殴られたり、教科書に当たり前に落書きされたり…。)

それはもう遠い過去のはずなのに、人間が怖くて、ただ怖くて。

被害者の僕は、まだネガティヴ思考がいつだってうずまいている。
それは、やはり朝顔のようにあだなるものではなかった。

こう悲観しながら、歩く帰り道に見上げる月はいつも綺麗だ。

2日目


翌日は、学校に行かず、そのまま昨日の場所へ向かった。
意外も意外で、彼女は木下で、ただぼーっと空を見上げていた。

「今日は学校、行かないの?」
かおりさんは僕に気がつくと、爽やかな瞳で、僕に聞いた。
「学校が怖くて」
「逃げてきたんだね。昔会った人間さんも同じこと言ってたな」
「ねぇ気になるんだけど、その人って誰?」
「こういう自然が好きな方よ。あなたみたいに」
かおりは続けた。
「今日、もしよかったら、鎌倉を巡りましょ。あなたに来てもらいたい場所があるの」
「その人に会えるとか?」
「会えるかもしれないし、会えないかもしれない」

梅雨の空は中々晴れない。
薄明るい曇天の中、鎌倉駅の改札を抜けると、駅近の喫茶店に入った。平日の昼時の喫茶店は、大手のチェーン喫茶でも空いていて、広々した席に座り込んだ。

彼女は人間ではない。人間に化けた何か。
けれど、喫茶店では抹茶ラテを注文していて、人間と変わりない行動をとっている。
彼女の姿は皆に見えるみたいだ。

僕は荷物の見張りを終えて入れ替わり、アイスコーヒーを頼んで席へ戻り際、彼女は一点に僕を見つめて
「和歌はまった?」
と問いかけてきた。
「ハマったかと聞かれればハマってない」
彼女は重ねて問いかけてきた
「興味を持った?」
「興味は持ったよ、どうしてそんな気になるの」
かおりさんは、昔を思い出す顔をして、
「今日は和歌を巡る旅をしたいなって」
「和歌か…」
「昨日教えた、和歌に何か思うことはあった?」
昨日教えてもらった和歌、それは
『風を待 草の葉に をく露よりも あだなるものは 朝顔の花』

「んー、あだなりってところかな」

実のところ、この和歌が頭に強くやきついたのも
このモヤモヤした言葉の割合が大きい。

「そこ目をつけるのは上級者だよ」
褒めてくれるにかおりさんに、僕は心の内を自然と吐き出した。
「心の傷は全然あだなるものじゃないなって」

あだなるって言葉に強く揺さぶられたのは、おそらく心の傷と結びついたからで…
昔の嫌な出来事が、由比ヶ浜の波が砂に染み渡っていくように、脳内に想起される。

「あだなるって、悪いことばかりだと思ってた」
かおりさんの相槌も、どこか上の空に、思案に浸ってしまっていた。

本質的にはあだなることよりも、イジメが悪いのだが…

それにしてもいじめによってその後の人生も美しく悲劇的・寛容的な人間に変貌してしまうと思わなかった。

いじめは僕からプライドを根こそぎかっさらい、雑用や他者の嘲笑が気にならず、また自分の服装にも関心が持てなくなるほど、よく見られたいという希望すらも僕から奪った。

そんな僕に降りかかるのは、もっぱら屈辱であり、進むのは世の中の汚れへの理解。

綺麗なスポンジを水に浸せば、綺麗なままであるが、そのスポンジを泥水に浸せば汚れてしまう。

僕は泥水だ。

世の中の人が花を眺めてる間、僕はトゲにささりまくっていた。トゲの痛さに慣れてしまって恐れるものもないが華やかさもない。

「はぁ」
僕は、目の前に人のを忘れるほどには我を見失ってないのでため息を大きく吐いて現実世界に戻ってきた。

「やっぱり、僕はこの和歌が嫌いだ」
「どうして?」
「綺麗なものにしか目を向けていないから」

「へぇー」
涼き目を見張りて、僕を見つめた

「馬鹿にしてる?」
そんなことあるはずなのに…浅い回答に感じてしまって、抑えていたがいつもの癖で、被害妄想が働きついきつく言ってしまう。多分今、何を言われても否定の言葉で言い返してしまうだろう。
残念ながら、いくら打ち解けても僕の人生に心のゆとりはない。

彼女は、無言で机の上に、髪を広げペンを握った。

『ごめんなさい』

書かれた文字を見て僕は、みじめさと罪悪感が働いた。
5分くらいしてから、かおりさんが無言で立ち上がってトレーを下げるので、僕も後につづいた。


平日ということもあり、いつもは賑やかな小町通りも静寂さに包まれていた。
かおりさんは友禅染めに彩られた財布を取り出すと、アイスクリーム屋の奥へと入り込んでいく。
待っていると両手にアイスクリームを持っていて、片方を僕に渡してきた。

「溶けなうちに食べましょう」
かおりさんはアイスクリームを口にすると、
満面の笑みを浮かべ、拳を頭にくっつけた。

「冷たい、美味しい」

僕もアイスクリームを口の中に流し込むと、
溶けては体全体に冷気が渡った。
「美味しい、ありがとう」

本当に美味しくて、本当に楽しいのに、
僕はかおりさんのようには笑顔になれない

でも不思議なのは、そんな晴れない僕を特になんとも思わないかおりさんだ。
アイスクリームを食べ終わるとかおりさんの笑顔のもとに戻り、僕にこう語りかけた。
「アイスクリームって一瞬だね」
確かに、と言えばいいものの
「すぐ詩的なこと言うんだね」
臆病な僕は、つい不器用に角が立つ言い方口に出てしまった。
「あ、あだなるだね」
そして、僕は咄嗟に思いついたことをそのまま口にする。

すると彼女はどこか達観する表情で
「大抵のことは、あだなるものよね」
「それって、どういうこと?」
かおりさんに聞き返しても、かおりさんはどこかぼーっとしていた。
一見若そうで、だけど人間ではない彼女、
過去に何を抱えていたのだろう…。

小町通りも奥の方に行くと道路にあたり、
右手にある信号を渡るとすぐに鶴ヶ丘八幡宮が悠然とした面立ちで僕たちを出迎えた。

「立派だなぁ」
嘆きながら、携帯を鞄から取り出すと、
歴史を感じるわね、と言った後彼女は和歌を口ずさんだ

『塔をくみ堂をつくるも人なげき懺悔にまさる功徳やはある』

僕は写真を撮るのをやめ、彼女の方を見た。
「それってどういう意味?」

「鶴ヶ丘八幡宮とか立派な美しい人工物も写真を撮りたくなるほど綺麗で徳も感じれるけど、トゲのように刺さる懺悔の方にも一層の価値を見出した和歌ってところかな」

さっき、僕の薔薇の例えを和歌の解説に交えて答える彼女を前に僕は、ばかにしてる?、なんて聞いてしまったことを恥じた。彼女の考えはしっかりあってあの場で言わなかっただけだ。
かおりさんとの会話はたまにどこか時間を渡っている不思議な感覚に襲われる。そんなことはさておき

彼女は見た目も美しく、発言も美しく
一方僕の見た目は地味で、発言も刺々しい
僕と彼女が並べば皆彼女を注目するだろう。

「懺悔の方が大切って、華やかなものを前になんだか負け惜しみみたい」

率直な僕の感想を前に、彼女は涼しく微笑んだ。
「私は、この和歌のそんなところが好き」
「よくわかんないな、負け惜しみが感じられるのが良いなんて」
「勝ち誇ってる人よりも、負け惜しんでる人の方が、人を助けるような発見がありそうで私は好き」

刺々しい僕は、刺々しさを嫌っていて、
それは理解できる。だけど
美しい彼女が、美しさを嫌っているのは不思議だった。
「勝ちが美しいなんて、嘘よ」
そんな彼女の発言に
「負けが美しいなんて、嘘だよ」
と僕も負けまいと言い放った。
彼女の発言はたまに時空をわたる

僕の反論に自信はあったが、未来に繋がっていそうな彼女の発言から、僕の自信にモヤモヤがつきまとった

神殿を渡り、明るい神域を真っ直ぐ進むと、中央に朱塗の下拝殿がある。

懺悔も大切?嘘に決まってる。
荘厳な造り、人を寄せ集める八幡宮の中を歩きながら僕は心の中で吐き出した。
内向する自分に歯止めがきいたのは、
かおりさんの後ろ髪が風に靡いて視界に入ったからで。
その下を木の葉が物の怪のようにかける。
向かい風に当たりながら、かおりさんがいなければ、いつまでも思考が働いてたかもしれないことを考える。
「孤独でないって大切だ」
独り言がボソッと口から溢れ、思わず口を手で塞いだ。

淑やかに引繕へるかおりさんは、僕のセリフを聞いたかきいてないか、イチョウの木の右隣の階段を登らずに右に伸びる道へと進んで奥へと消えていく。

それは緑光を静かに浴びていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?