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フラワーエッセンスはやっぱりおもしろい②


クラブアップル、スターオブベツレヘムと他に何種類か組み合わせたトリートメントボトルを飲んで10日程たったある日、実家にずっとしまってあった私の雛人形を処分しよう、という話になりました。(私には娘がいて、娘の雛人形は私の母が用意してくれたものがありました。)

粗大ゴミに出す事もできるようですが、私が産まれた時に、おばあちゃんが買ってくれた大切な雛人形。ゴミ、として扱ってしまうことに抵抗があり、私が良く行く神社に問い合わせをしたところ、供養をしてお焚き上げをしてくださるとの事だったので、お願いする事にしました。

そんな日に、私は車の運転中にふとこんなことを思いました。

あれ?私、なんで私以外の人の言葉をまるっと鵜呑みにして、真正面から受け止めて、その言葉のナイフを私の中に入れて、グサグサと傷ついたんだろう?

なんで他人の言う私の悪口を受け入れたんだろう。

なんで私はわたしを信じてあげられなかったんだろう。

なんで私は、私まで、〝私は怪しい〟〝私は何もしなくても人から忌み嫌われる〟と思ってしまったんだろう。

…自分自身の中に、私を信じきれていない自分がいた事に気付きました。

確かに私は、傷付きやすくて、ずっと生きづらさを抱えてきた。
でも、いつの間にか自分の人生のそこばかりをデフォルメしてしまって、よくよく見渡してみれば、たくさん愛されていたし、たくさん守られていたのに。

(雛人形を片付けているときに、私が産まれた時の写真や、小さい頃の、みんなが私を愛おしそうに見つめている写真を目にしたのです。)

人生の中の、例えるなら黒いシミばかりをずっと見つめていて、ここにもある、あそこにもある、と、人生で起こったことの悲しみ、傷付きだけを見つめ続けてしまって、ふと顔を上げれば、本当はそれ以上に素晴らしい景色が広がっていたのに。

お雛様だって、ずっと私を見守ってくれていた。傷付いて泣く日もあったけど、楽しくて笑って過ごした日々だって、確かにあったんだ。おばあちゃんが、私が健やかに育ちますように、と願いを込めて買ってくれた、その始まりさえも愛だったのに。

私はそんな日々を、すっかり閉じ込めてしまっていたのかもしれない。

そして、以前クラブアップルを飲んで感じた怒りは、もしかしたら私の魂から私への怒りだったのかもしれない、と思いました。

〝汚れている〟〝不完全な私はダメなやつ〟〝私はどうせ忌み嫌われている〟と、いつしか思いこんでしまっていた私自身に、〝浄化なんか必要なくて、そんなのは汚れなんかじゃなくて、不完全さはダメなことではない。勝手に自分まで決めつけないで〟と。

上手くまとまらない記事になってしまいましたが…クラブアップルを飲んで、内的世界と外的世界がリンクして、皆既日食や水星逆行も相まってか、過去まで遡って私を振り返った旅が、なんだかあまりにも出来すぎていて、だけど確かに起こった事で、フラワーエッセンスって凄いな、おもしろいな、と改めて感じた話でした。

泣き虫でも、傷つきやすくても、世界がどんなに生きづらくても。

私は、わたしでいい。

私はわたしでいいよ、と、私がそんな世界を受け入れる。

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