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倦怠

頭の匙加減が、どうにもなかなかうまく行かない。

昨日のようなどうにもいけないボロクソ感でもなく、自分が宙ぶらりんになったような、身の持て余し方をしている。

全てにおいて中途半端に、頭と身体がただ行き場をなくしていて、何かのスイッチが入るきっかけばかり探している状態だ。

頭の中のどこかに存在するスイッチ、これをポチッと押せば、私の好奇心はその威力を発揮して、縦横無尽に面白いことを飛び回れるような、そんな気がするのである。

ジャンプをする前にしゃがみ込んでいるかのような、今ちょうどそういった頭の加減だ。

何かの一つの面白げな物事の端っこに手が届けば、そこから一気に高々とジャンプできるのではないかと、そんな気がするのだ。

今そのきっかけを掴み損ねて、私の頭は迷路の中で歩き疲れた状態である。

自分は自分に、どこかで倦怠したのだ。

頭の中の窓を開けて外を出歩き、ひろやかな空の下へ思考を放り出したら、私が感じていた息苦しさもがんじがらめの重たさも、そうしてこの疲労感も、洗われるようにして活き活きと息を吹き返すんじゃなかろうか。

病気の名前は「鬱」というものであったり「統合失調症」というものであったりするが、大仰に構えるまでもなく、積み重なった倦怠が生み出した、閉塞であるのではないかと思う。

今息ができないのは、今動けないのは、今うなだれて、力なくただ転がっているのは、「きっかけ」が掴めず、新しい風を入れられず、どっちに歩いたらいいんだか、それすら分からないほど柔らかさを失ったからだ。

物を見るとき、聞くとき、触るとき、喋るとき。

凝り固まった、自分という形を、一旦解体してしまえれば。

そうしてまた自分のパーツを、ひとつひとつ外気に当てながら、もしくは水で洗いながら、ブロックを積むように、ここはどうだろうあそこに置いたらどうだろう、そんな感じで組み立て直したら。

物事は違ったように見えるだろうし、聞こえる音もまた違うだろう。

新しいものを見て、新しいものを聞いて、新しいものに触れて、新しい言葉を喋る。

それさえできれば、頭の中の匙加減も、ちょっと驚きのリニューアルができるというものだ。

新奇なものに、頭を突っ込みたい。

倦怠というものは、この世で一番重篤な「病」である。

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