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#創作大賞2023 #エッセイ部門 一生に一度は挑戦したかった富士山3回挑戦


富士山に登る?

 いまから5年前の2018年に、一生に一度は登ってみたかった夢、富士山登頂 を果たしました!
通訳ガイドをやっていて、外国のお客様を富士山5合目に連れていくたびに、富士山が ≪信仰の対象と芸術の源泉≫ だったと説明し、 
「2013年には世界遺産にも登録されました。
日本人は、誰もがみな、一生に一度は登ってみたい、という夢をもっているんです!」
と、話をする度に、 「あなたは登ったのか?」 と聞かれ続けていたので、一度は、登りたい、と 常々思っていたのです。
 
そんな話を息子①にしたら、
「実は俺も登りたいと思っていたんだよ。母ちゃん、一緒に登ろうか?」
と意外な返事がきて、 
その年の、山開きが始まった翌々週に、決行しました。
梅雨がほぼ終わり、各地の学校の夏休みが始まる前が良い、と判断し計画をたてたのです。

 

富士山の山開き

 富士山には、公式な登山時期が設定されていて、その期間に登れば、
係りの人たちが多くいてくれるので、何かと心強いのです。
そうでない冬期とかに登る人は、慣れている人だけ、それでも危険だと言いますから、絶対に避けるべきです。
登山ルートはいくつかありますが、初心者でも安心して登れるのは、吉田ルート。今年は、7月1日オープン、9月10日クローズです。
 
息子①と私は、混雑が嫌いなので、ご来光の長い行列はムリ、とさっさと、あきらめ、前日に5合目まで新宿からバスで行き、翌日3時起床、4時出発という予定を立てました。
勿論、息子②も誘ったのですが、「俺、仕事が忙しいからムリ!」と
軽くいなされてしまいました(ガックリ。。。)
予定を立ててから、まず五合目の宿を確保し、それから新宿バスタから出る富士山五合目行のバスを予約しました。
山頂へのルートやら持ち物をチェックしたり、富士山天気予報を連日みては一喜一憂したりと、せわしない毎日を過ごしながら、首を長くして出発の日を待ちました。
 
 

富士山5合目到着

 新宿バスタからは、3時間弱で、富士山5合目に到着します。
着いた日は、5合目のにぎやかな雰囲気を楽しみつつ、ゆっくりと過ごしました。
5合目には、イワナガヒメ という、富士山の コノハナサクヤヒメ のお姉さんを祀る小御嶽神社があって、健康と長寿を約束してくれます。
 

イワナガヒメとコノハナサクヤヒメ

 実は、イワナガヒメ と コノハナサクヤヒメ にまつわる興味深い話があります。
美しいコノハナサクヤヒメに一目ぼれしたニニギノミコトは、コノハナサクヤヒメの父親に結婚を申し込みました。
すると、その父親は、「それならば、姉のイワナガヒメも連れて行きなさい。コノハナサクヤヒメは、花が咲き誇るように繁栄は約束するだろうが、その命ははかないものになるだろう。でも、イワナガヒメは健康と長寿を約束してくれるだろう」 と言ったのです。
ところが、イワナガヒメは妹と違い美形ではなかったため、ニニギノミコトは追い返してしまいました。
そうしたら、何と、ニニギノミコトは、早くに、この世を去ったといわれています。
また、ニニギノミコトは、一晩だけコノハナサクヤヒメと一緒に過ごしただけで、戦に行ってしまったのですが、
帰ってみると、お腹の大きなコノハナサクヤヒメがいます。
にわかに自分の子だと信じられないミコトに、ヒメは、「子を産むとき納戸を閉めて火を放ちます。それでも私が無事に納戸から出てきましたら、あなた様の子と、信じてください」 と言って、納戸に入って火を放ったのです。
納屋はもうもうと火の煙を出して燃えだしました。 
しばらくすると、ヒメは、3人の赤子を連れて納戸から無事に出てきたのです。
この三人のうちの一人の孫が、初代天皇、神武天皇となりました。
‎富士山本宮浅間大社には、安産の神、コノハナサクヤヒメ、そして富士山五合目の小御嶽神社は、健康と長寿のイワナガヒメが祀られています。
 
五合目には、簡易郵便局もあり、そこから、木でできた絵葉書きが送れます。私も送ったことがありますが、とてもユニークなのでおススメです。
人気の富士山メロンパンは、まさに富士山の形そのもので、写真映えするし、甘くておいしいですよ!
 

いよいよ息子と二人の山登り

 前日は、宿泊先の富士山みはらしで、名物のカレーやら、うどんやらを頂き、楽しく食事をし、早く寝ました。
当日は、3時起き、4時に出発しました。
唯一、息子の心配は、途中でトイレに行きたくなったらどうしよう、ということ。小さい頃から、心配ごとがあると、急にお腹が痛くなるのです。
「大丈夫だよ、いざとなったら、その時考えよう!」 なんて、言ったりして出発。
 
真っ暗の中、頭に小さな懐中電灯をつけて、歩き始めました。
他には誰も人がいないので、富士山初体験の私達には意外でした。
何故って、混雑した映像ばかり見ていたからです。
みんなが頭につけている懐中電灯の明かりが、山のうねりに沿って、延々と人の行列を描いていたのです。
もっとも、あれは、富士山山頂付近での、ご来光の映像でした。
だから5合目や6合目あたりでは、まだ他に誰もいなくて、息子と私の二人だけでした。
暗い中を、「すごいね、すごいね、あれが町の明かりだね」 何て言いながら、歩き続けました。
 

ご来光

 しい~ん、とした静寂の中、はるかかなたから、うっすらと、日の出が出てくる気配がしてきました。
雲海が見え隠れするなか、初めて見る景色に感動しながら、歩き進んでいくと、日が昇りはじめているではないですか。
「見て! ご来光だよ!」
自分達だけで味わった、静寂のなかでのご来光は、本当に感激でした。
「今頃、9合目辺りは、このご来光を仰ぐ人で混んでいるんだろうね~
俺たちはさ、このご来光、 独り占めしているんだよ~ なんか、最高だね!」
本当に、言葉では言い尽くせない程、素晴らしかったです! 
 
7合目あたりまで、全く人には会わず、
「人がいないね~ もう7合目に着いたよ、楽勝だね」なんて、言ったりしていたのですが、
段々ときつくなってきました。
そんな時は、プロティンバーとかエナジードリンクが活躍してくれます。
突然、元気が出て、疲れが飛んでいくのですから、不思議です。
普段は、いくら食べても、そんなこと感じたりしないのにね。
 
それから、いくつかのグループと遭遇しました。 
あるグループでは一人の女性が登るのに苦労していて、付き添いの年配のおじさまたちが、
「ガンバレ~ガンバレ~」と 応援していたり、
若いグループが、ずんずんと登ってきて少し立ち話をしたかと思いきや、
「じゃ、また!」 と大きな笑顔で颯爽と立ち去っていったり、
外国人のカップルと、お互いに途中の斜面で休むので、抜きつ抜かれつ、
その度に笑顔で挨拶したりと、とても爽やかな気分でした。
「来年は、俺たちもスピードあげたいね」 
 
8合目につくと、宿泊客が宿から出てきたりして、少しずつ賑やかになってきました。
宿泊者が使うトイレが外だということに気づき、
「俺たちは、5合目の宿で良かったね~」なんて、つぶやいたりしていました。
本八合目から上は富士山本宮浅間大社奥野宮境内。
標高3000mを越えるので、高山病には注意です。
こまめな水分補給や深呼吸をしながら進んでいきます。
また、須走ルートと合流するので、段々と人が多くなってきます。
他の登山者の後をついていきながら、まだかな、まだかな、と思いながら登っていたら、9合目に到着。
よっしゃ、もう少し頑張るぞ~
 

ようやく山頂へ

 9合目の鳥居をくぐり、何とか頑張って、頑張って、最後の鳥居をくぐったら、山頂にたどり着きました!
山頂では、雪が積もっている箇所もあり、寒いこと、寒いこと!
これだから、山に油断は禁物です。
 
標高3715mに位置する山頂の浅間大社東北奥宮、久須志神社に登頂のお礼参りをしました。それから、身体が温まるうどんなどを食べて、思い出にTシャツなんかを買ったりして、
「やったねぇ~。気持ちいいねぇ~最高だね~」
「思ったより、楽勝じゃん!」 なんて、語っていたのですが、
後で考えると、 
恐ろしや~、恐ろしや~、怖いもの知らずの言い分でした。
 
5合目出発が朝4時で、頂上到着が11時半だから、行きにかかった時間が7時間半、雑誌とかには、帰りは行きの3分の2の時間で充分、と書かれてあったのを真に受け、12時半まで、ゆっくりと頂上で、素晴らしい達成感を満喫していたのでした。
 

下山の恐ろしいこと

 さて、そろそろ行こうか、と山を下り始めました。
ところが、すぐに、下山がすごく大変だということに気づき、慌てました。
そんなに大変だなんて、夢にも思っていなかったからです。
それに、うまく行ったところで、行きの時間の3分の2ということは、5時間かかる、ということで、
12時半に頂上を出発したのですから、五合目到着は17時半になってしまうのです!
それなのに、新宿行きの最終バス出発は、17時です! 
30分予定を縮めなければいけない!
ゆっくりなんかしていられなかったのです。
 
これだから、初心者というのは、困りものです。
勝手に、「俺たち、何かすごいんじゃない?」なんて、余韻にひたったりしていて、おバカさんそのもの。
万が一トイレに途中で行きたくなったら、アウトです。
だって、帰りのトイレは数が少ないから、行列も並大抵ではないのです!
それに、私の足が、もうガクガクしちゃって、少し歩いては転んで滑っちゃうんです。
息子が心配してくれて、
「母ちゃん、大丈夫かよ? 俺がさ、母ちゃんのリュックをもってやるよ」
と言ってくれて、痩せた体の前後にリュックを背負い息子は歩き出したのです。
そして、「なんで母ちゃんのリュック、こんなに重いの?何が入ってんの?」
おばさんは、何でもかんでも心配して、いろんなものを入れたくなっちゃうんですよね、
反省、反省!
いやぁ、リュックがないとは、随分楽なものです。
手ぶらですからね。
この富士山の初登りでは、ストックなんかも用意していなかったので、坂ですべること、すべること。
ズズ~と滑ってはとまり、ズズ~と滑ってはとまり、と言ったぐあいで、山を下りていきました。
途中、外人の若い女の子たちが、「ヤッホー」とか叫んで、
さっさと、まるでスキーでもしているかのように、降りていく姿には 目を丸くするばかりでした!
 
息子は、話好きで、いろんな楽しい話をおもしろおかしくしてくれるので、
退屈しないし、笑えるから、頑張れたのだと思います。
いやあ、あの時は、お腹抱えて笑いまくりました!
大自然の中、人もあまりいないので、笑い声も大きくなるし、まして疲れているから、自制もきかず。
あんな大声で、大きな口を開けて笑ったなんて、あれからあったでしょうか。
 
下山途中、いくつか別ルートを指す矢印があったりしました。
係りのおじさんたちが、「吉田ルートは、こっちだよ~」と声をかけて案内してくれたので、
迷わずに富士山5合目にたどり着くことができました。
というのも、雑誌には、「ある地点で、どっち方向に行くのか迷う人続出!
そこで道を間違えたら、もう吉田ルートに引き返すことは不可能、一晩そこで泊まるような羽目になる」
と書かれていたので、実はひやひやしていたのです。
係りのおじさんたち、本当に有難うございました!
 
 

富士山5合目帰着、16時30分!

 そうして、五合目に無事に到着しました。
ここまで、戻れて良かった、
死ななくて良かった、
最終バスに間に合って良かった、
というのが、その時の感想です!
 
夕方5時半になっていたであろう帰着予定を、最終バスに合わせるべく、息子のチョ~協力体制で、
なんと、1時間も短縮しての帰還でした!
いやぁ、素晴らしい!
人間、やればできるんだ、なんて、自己満足。
でも、息子が、リュックをもってくれていなかったら、無理だったでしょう~
しかし、あの子に、よくそんな体力があったもんだと感心します。
 

息子が言う第一・第二・第三のパワー

 その時、息子が言ったことは、
「第一のパワーを使い切ったな、と思うと、第二のパワーが体の中から湧き出てくるんだよ。
でもね、その第二のパワーは長く続かないんだ。
そうすると、第三のパワーが、これは、体力というよりも気力なんだけれど、でてくるんだよね~、
今はその第三の気力がみなぎっているところ!」
息子ながら、カッコいいこと、言うよなぁ~
 
30分の余裕は、私たちを元気にしてくれました。
戻ってきたルートを振り返ったり、富士山メロンパンや肉まんを食べたりして、余韻にひたりました。
それに、息子があれほど心配していたトイレは、大丈夫、問題ありませんでした。
五合目では、お店のトイレより、公衆トイレの方が、断然きれいで、広くて、便利ですよ!
 
息子①は 「来年こそ、○○(息子②のこと)が一緒に登ってくれたらなぁ。 あいつがいたら、楽しいだろうな! 絶対一緒に来ようよ」
と、繰り返し言っていました。
本当に、3人で登れたら、こんなに素晴らしく嬉しいことはないだろうな、って思いました。
そして、私は、本当に、恵まれていると、改めて、感謝した、富士山初登頂でした。
 

新宿バスタに到着

 また、かれこれ3時間弱バスに揺られ、新宿バスタで降りてから、
お腹が空いたから、何か食べて帰ろう、ということになり、
汚い格好で、お店に入りました。
今考えれば、お店の人は、私たちの身なりに驚いていたかもしれません。
でも、自分達は、一つのことをやり遂げた達成感と満足感に興奮していて、
そういったことに配慮する余裕なんて、なかったのです。
お店の方々、もしご迷惑をおかけしていたら、申し訳ありませんでした!
 

翌日から1週間

 初めての富士山、登り切りました!
ケガもせず、無事に帰宅できました!
でも、それからの1週間、私は、お馬さんのように、四つ足歩行になりました!富士山にいた時や、帰りなどは普通に歩けたのに、翌日からは、歩けなくなったのです。
これには、我ながら驚きました。
事前の体力作りが、いかに大切か、身をもって実感しました。
 

頂上でご来光を仰ぐのが混む理由

 もちろん、ご来光を頂上付近で見たい、という思いもあるでしょうが、
行程として、それの方が楽だということです。
前日に5合目からゆっくり楽しみながら8合目とかまで上り、
翌日9合目あたりか、10合目の頂上で、ご来光。
下山は、朝の9時ごろから始めれば、身体がそれほどきつくないのです。
ただ、ご来光を拝む人の列が、8合目から山頂までずーと続いていて、
登る一歩一歩はゆっくりで、その区間はすごく時間がかかるということです。
 
私たちはその後もその行程を視野に入れつつ、
あの誰もいない静寂さの感動を もう一度味わい一心で、
同じ行程を繰り返しました。
 
 

2度目の挑戦

 次の年の2019年も富士山登頂を目指しました。
前日の富士山5合目は、天気がよく、新しく買いそろえたヘルメットやストックなどを眺めては喜んでいました。
荷物も軽くしつつ、エナジードリンクは増やして、万事OKの体制でワクワクしていました。
宿のおじさんが、「明日のお天気は少し心配だね」と言っても、自分達は運が強いから大丈夫なんて、思っていたのです。
ところが、真夜中あたりから雨が降り出し、寝ている時も、雨音が凄くてびっくりしたほどでした。
夜中三時に起きると、外は土砂降りの雨。
どうしようか、と迷いつつも、折角来たんだから、挑戦しよう、ということで、重装備をして宿を発ちました。
しかし雨だけでなく、風が吹き荒れていて、何度も飛ばされそうになりました。 
豪雨と強風に耐えながら、必死でこらえて歩き続けましたが、 6合目に行く前に、断念。
「ケガしては、元も子もないよね」 ということで、諦めて引き返しました。
宿の富士山みはらしで、濡れた服をタオルで拭いて少し落ち着いてから、レストランで食事をしていると、次から次へと登山客が戻ってくるのが見えました。
「あんなにベテランに見える人たちも登頂を諦めて下山してきたなら、自分達も早々と降りてきて正解だったね」 という話に落ち着きました。
それに、8合目に宿泊していたなら、戻ることも難しかったかもしれないのです。
「宿も、やっぱり五合目で良かったね」 
「来年があるさ!来年また来よう!」 と言って、2度目の挑戦は終わりました。
 

3度目の挑戦

 暴風雨で諦めた2019年に、「来年があるさ」 と期待していたにもかかわらず、2020年は、コロナで山開きは中止。
あの年は本当に大変な1年でした。
自分は通訳ガイドなので、オリンピックの仕事やら、春秋の行楽シーズンの仕事やらが目白押しに入っていたのに、全てキャンセルとなり、本当に将来を案じた年となりました。
もっとも、現在、椎間板ヘルニアの手術をして、もうガイドの仕事は断念したことを考えると、あの2020年に、何か新天地を切り開いておけばよかった、と正直後悔しています。
(いやぁ、後悔ばかりの人生で困ったものです~)
 
翌年2021年は「山開きあり」 とのニュースを受け、初回同様、学校の夏休みが始まる前、梅雨終了を狙い、7月18日に五合目に宿泊、19日に登り始めました。
この3度目の挑戦は、大成功でした!
1回目よりも余裕を持とう、ということで、午前3時に出発。
しかも、リュックは軽く、ストックもヘルメットも用意し、スパッツやらタイツやらも登山用にしていたので、颯爽と進んで行くことができました。
しかも、前よりも早い出発だったので、長いこと、人には出会わず、ご来光は、山の斜面で貸し切り状態!
ビデオまで撮影して喜びを満喫することができました。
そして、頂上でうどんを食べ、11時半には、頂上を出発し下山しました。
でも、途中、ひやひやした箇所がいくつかあり、自分の年齢を感じ、「もう限界かな、でも母親の自分から言うのは、なんか申し訳ないな」 などと山の斜面で休憩している時に考えていたら、
息子が、「もうこれで、富士山は打ち止めにしようか。 だってさ、今日の富士山は最高だったじゃない? 
こんな最高を味わってしまったら、もうこれ以上はあり得ないからさ、最高のままで終わらせた方が、良いんじゃない?」 
と、言ってくれたので、もう私はもろ手を挙げて大賛成!
 「実は、母ちゃんも同じことを考えていたんだよね。
それに、なんか、一歩間違えたら、死ぬかもしれない、って思う所が、いくつもあったから、来年はもう無理かも、って思っていたんだ!仕事もしていないから、身体もなまってしまったようだし。」
ということで、富士山は、それで、打ち切りとなりました~
 
 

富士山は素晴らしい!

 富士山は、本当に素晴らしい感動をあたえてくれます。
もし、登ってみようかな、と迷っているのでしたら、是非、富士山の登頂、めざしてみてください。
なにものにも代えがたい思い出と感動を与えてくれます!
 
あの素晴らしさは、本物です♪
 
本当に、感極まり、胸がいっぱいになります。
 
富士山、万歳!!
富士山、万歳!!
富士山、万歳!!
 
 
 
 
 

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