ウクライナについて思うこと(2022年3月13日)

歴史は合理性だけではなく、いくつかの偶然によっても針路を若干変える。合理性が説明力を失うと、専門家の予想は外れる。

そもそも多くの専門家たちは、ウクライナでの戦争は起きないと予想していた。どこにも合理性がないからだ。しかし戦争は起きた。

そして、戦争が始まった当初における大勢の予想は、ウクライナが1週間以内に降伏するというものだった。恥ずかしながら、僕もそうなるだろうと諦めていた。戦力が違いすぎるし、NATOは何もしてくれないだろうからだ。

しかし、ウクライナの人々は命がけの抵抗で持ちこたえ、現地の惨状がソーシャルメディアを通じて世界に拡がるにつれ、欧米での世論が変化していった。そして、資源の取引があるために及び腰だった欧米諸国がこれまでにない苛烈な経済制裁を課すようになった。

ウクライナが1週間持ちこたえることや、欧米からの強烈な経済制裁がされることが、ひとつめの歴史の分岐点だとしたら、ふたつめはNATOがこの戦争に参戦するかどうかだ。

今のところ、ロシアもベラルーシもこの点には配慮していて、NATO圏内の国に対しては軍事行動を起こしていない。NATO側も、飛行禁止区域設定や戦闘機供給などにはまだ踏み切っていない。それが起きれば、第三次世界大戦に近いことがはじまる可能性すらある。

合理的に考えれば、NATO諸国もウクライナの人々のためとはいえ、大量の核爆弾を保有している国と戦争を起こそうとはしないだろう。表面的にはウクライナに対して応援の態度を示しつつ、早めに降伏するのを願っているようにもみえる。だけど、ウクライナの人々が必死で抗戦を続け、その様子が世界中に届き、世界中の人々の心を動かせば、歴史がまた変わる可能性がある。

3月末までには、本件がどちらに進むかが見えるのだろう。仮に戦争が終結することになったとしても、世界のサプライチェーンの分断が加速するのは既定路線になっている。インフレは、特にお金を持たない人たちに打撃になる。景気が悪化するだけでなく、次の紛争が起きる可能性も高まっていく。

 

こういう暗い話題が多いので、全体的に悲観主義にはしる人が多い。調子のいいことを言っていた人が、急に「現実的になろう」と言い出す。株式市場はそういった悲観論を反映していて、株価は大きく下がっている。

だけど、こういうときこそ僕たちは希望を持つべきだ。調子がいいときに楽観論者になることは誰でもできる。楽観主義とは厳しいときであっても希望を捨てないという決意の表明であるべきだと僕は思う。

10年単位で見れば、暗い時代も明るい時代もあるけれども、100年単位で見れば、世界はほぼ常によりよい場所になってきた。人間には邪悪な人も愚かな人も多いし、人類は数多くの失敗をしてきたけれども、集団としての人類はまともだ。僕はそれを信じている。

平和のために自分にできることの一つは、変わらずに事業を続け、世界中でより多くの人々が外国にいる他者とのつながりを感じ続けることなんだと思う。なので、粛々と働き続けようと思っている。

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