週末レビュー(2020年8月16日):広島、世界のこれから、グレート・ギャツビー・カーブ

(今週のはマガジン購読していなくても読めます)

お盆なのに特に変化のない一週間。

週の出来事と雑感

用事があって週の前半は広島。現地の用事は多くなかったのだけど、移動が片道で4時間かかり、平日はすでにミーティングがずっと入ってしまっていたので、月曜日に移動して、水曜日に東京に戻った。

このタイミングで広島に行くことができたのはちょっと特別だった。戦後75年の広島。とても暑かった。原爆が落ちて、こんな暑い中でやけどを抱えて最後を迎えた人たちの苦しさはどれほどのものだったのだろう。(平和記念資料館の感想は「観たもの」セクションで書く)

このタイミングで、黒い雨に打たれた人々の損害賠償請求訴訟が地裁で勝訴。国は控訴。国には国で色々と理屈があるのかもしれないけど、感情的にはなかなか理解が難しい。

21世紀の戦争は今みたいな全面戦争にはなりにくい気はしているけど(世界大戦が起きたら、人類が一気にほとんど全滅してしまうから)、紛争については良くない予感が増している。米中関係は悪化をたどるばかりだ。アメリカのTiktok禁止→売却させるまでの流れって、これまで散々欧米諸国が中国に対して異議申し立てをしてきたことと全く同じことだ。双方に言い分があるのだろうけれど、片方だけに正義があるとは決して言えない。

そんななか、中国のお金を受け取ることに対して慎重になる企業が増えてきている印象がある。というのも、中国の資金を受け取ると、アメリカ(そして恐らくそのうちに欧州)との関係に難しさが生じる可能性があるからだ。上場を目指すスタートアップであっても、先進国市場に上場したいのであれば、中国系の資本を受け取るわけにはいかなくなっていくのかもしれない。

グローバル化が進み、多くの企業が世界全体を市場と考えて仕事に取り組める時代は、冷戦終了後にやってきた。でも、たった30年で、また前と同じような構造に戻ってしまうのかもしれない。もしそのシナリオが現実のものとなった場合、中国の資金を多く受け取っている途上国たちはどうなっていくのだろう。これらの国から欧米系の企業が一気に撤退ということもあり得る気がしている。

五常が日本で事業を始めたのは、今となっては僥倖かもしれない。日本は歴史的にほとんどの全ての国とずっと友好的な関係を築いてきていたので、ほとんどの国が日本からの資金に対してニュートラル。そんなことを考えると、憲法9条の日本の経済成長への寄与度は極めて高かった気がする。

週末は作業と読書。あまりよくないのだけど、本来であればじっくり考えないといけないことが複数同時に動いていて、思考が微妙に深まらない。本来は一つ一つ仕上げないといけないのだけれども、その作業をしている間に他のことについて思いつきが起きてきたりして、結構発散してしまう。

今度格差について話す機会があるので、ちょっと気になってグレート・ギャツビー・カーブとその意味合いについてシミュレーションを作っていた。

グレート・ギャツビー・カーブは下記のようなもの。

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日本では、親の所得は子どもの所得に4割弱伝達するとされている(正確にいうと所得格差の弾力性を推定しているらしい)。具体的には世帯所得600万円の日本において、世帯所得1000万円の家庭で育った子どもの平均的な所得は720万円(=600+0.4 x (1000-600)になるということだ。

この世代間所得移転およびランダム項目などを含めてシミュレーションしていたのだけど、代を経るごとに中間層が減っていき、ジニ係数は高まっていく。世代間所得移転の程度の大きな国ほど格差は広がるのが早い。

それでも日本はまだマシな方で、アメリカだと5割、中国だと6割世代間所得移転が起きている。北欧は異様に低い。

また、シミュレーションをしていて改めて気づいたのは、所得分布の標準偏差が大きくなると当然格差は拡がるということ。技術進歩が起きたりして産業構造が変化すると優勝劣敗が進みやすいので格差が拡がっていく。

今日はお墓参り。今年はお盆の親族の集まりがなくなってしまったので、各自個別に行くことになった。高尾のお墓に行ったら、予想通り掃除と献花が終わっていた。それにしても暑い。


目標進捗状況

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読んだ本・観たもの

Richard H. Thaler & Cass R. Sunstein、''Nudge: Improving Decisions About Health, Wealth, and Happiness''
行動経済学でノーベル賞をとったThaler教授らによる行動経済学入門。人間の認知バイアスを用いて、パターナリスティックなリバタリアニズムを実現すると言っていて、その例がひたすらに出てくる。

本書が出てきた2009年は牧歌的だったなと思う。あと5年くらいすると、アルゴリズムを用いて人々の感情をよりかんたんに誘導出来るようになっていく。すでに前回のアメリカ大統領選挙がそうなっていた。そんな現状において、Paternalistic Libertarianismなんて言われても、それはただのパターナリズムとしか思えない。

ただ、自分個人についていうと、どうやって会社のGuiding Principlesを考える必要なく自動処理モードにできるのかはよく考えていたので、その点においては参考になった。条件反射的に原理原則や価値観に従えるようになりたい。

McKinsey's Marvin Bower: Vision, Leadership, and the Creation of Management Consulting、''Elizabeth Haas Edersheim''
時々読み返す名著。マッキンゼーの新約聖書(旧約聖書はPerspective on McKinsey)。19世紀の尊敬するビジネスパーソンは二宮金次郎、20世紀はマービンバウアーなのだけど、いくつか改めて思ったものは次のこと。
・ビジョンの実現についての強い決意。意思あるところに道は開ける。マネジメントコンサルティングを職業として確立させ、世界に展開するというビジョンを彼は決して曲げなかった
・謙虚であり学び続ける
・原理原則の墨守と、自分自身が模範を示す。従わない人には退職を迫る。
・人を育てることへのコミット
・私利私欲なく働く

みんなの意見は案外正しい、''ジェームズ・スロウィッキー''
意思決定の機構についてちょっと考えていたので、改めて読んだ本。株式市場が最適な例なのだけど、下記のことができれば集団の意思決定の精度は極めて高くなる。
(1)意見が多様である
(2)皆が独立している
(3)それぞれが得意な領域で意思決定に参加する
(4)その各自の意思決定を集約する仕組みがある

さてこの点、(1)メンバーの多様性を高め、(2)自由に話せるカルチャーを作り、(3)実際に取り組むチーム単位で意思決定ができるようにする、まではいいのだけど、(4)意見が一致しなかったときの意思決定メカニズムをどう作るのかが難しい。株主市場みたいに多数が参加する場合ならさておき、企業での意思決定は複数人でなされる。多数決が最善とも思えない。情報を持っている人、現場に近い人、最終的に責任を負う人に、それぞれどういう重み付けをするべきなのか。。。。というところで今は長考モードに入っている。

丹下健三、''平和記念資料館''
だいぶ以前に一度行ったことがあったのだけど、当時からリニューアルされていて、より現代博物館ぽくなっていた。当時の資料を読んでいると、マンハッタン計画においては京都も爆撃候補であり、「古都であり日本人の文化的な拠り所でもあるため、インパクトは大きく、最終候補の一つとして推す」みたいな内容のことが書いてあった。

戦争のリアルというのはそういうものなのかもしれないけど、こんな事をやってきたアメリカ合衆国をここまで好きになった日本人の気持ちが僕にはやはりよく分からない。そして、これだけ原子爆弾で痛い目に遭い、東日本大震災のときに原発で更に痛い目に遭いながら、まだ原子力を用いていこうという気持ちもやっぱり分からない。

この国には精神的・思想的に確固たる土台が存在しないと喝破したのは丸山真男だ。原理原則といった筋論が思想に存在しないから、その時々の都合やPRなどで「民意」がつくられていく。どんな形にも変えられる粘土みたいな思想。

 

上記からもわかるように、深く考えたいテーマがいくつかバラバラになりすぎて、僕自身も精神的にまとまりのない一週間だった。来週末に考える時間を多めに設けたい。

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