死んだらいけないのか?
後ろ向きなわけではない。40半ばに差しかかり、東日本大震災もコロナも乗り越えて生きながらえてきた身としては『もういつ死んでもいいし、何ならあんまり長生きしたくない。勝負は早めにお願いします。』と密かに考えている。
それにしても日本人は健康不安が大きい。
例えお金に困らない人生を歩んでいてもそれだけでは満たされず、人間ドックやらガン検診やらで体中を隅々まで調べて常に一点の曇りもないようにしておくことが好きだ。
最近ではもうなんでもありなんじゃね?って年齢の方が骨粗鬆症を改善しようと薬を飲んでいる。骨ってそういうもんでしたっけ?あと、脆くなった骨を途中から強化することできましたっけ?って思う。
コレステロールにしろ、どこぞの数値にしろ、最後は都合が悪くなって死ぬ。好都合のまま死ぬことはないだろうから、色んな薬でツギハギしても最後は死ぬのだ。
昨今の傾向としては、45を越したあたりから一抹の不安を抱え始め、その不安を払拭すべく病院に通う傾向にある。その証拠に、何か不具合があったのか?と聞けば、いや、無いと言う。何もないけど数値が悪いから予防のためにというわけだ。
その数値を下げる前に運動を始めたらいかがですか?食生活を見直したらいかがですか?と思うのだけど、努力と時間が必要なものよりも即効性のある『クスリ』を日本人は好む。
ちなみに老化は病気ではない。老化は進むもので最後はみんな必ず死ぬのだ。
命というのは際限がある。長い、短いの差はあれど、生まれてきたからには最後は死んで終わる。当たり前ではないか。なのに、死ぬことをどうしても避けようとする。
とりあえず、死ぬかもしれない要素は全部弾く。まだ病気にもなっていないのに薬を服用するということはそういうことだ。私が不思議に思うのは、医者や病院はいつから健康な人まで相手するようになったのか?
病気になった人を治すのが病院と医者なのに、検診を受けずに病気に罹れば『ちゃんと受けていたら早期発見できたものの』とお説教を受ける。そんなバカな、と言いたくなる。いつから病気になってはいけないという話になったのか?
自然界に生きる動植物を見よ。彼らの生命のサイクルは驚くほど速い。
彼らに死の概念がないからこそ、これだけあっさりと淘汰や再生を繰り返すことができるのだろうけど、それにしても人間はだらしがない。電池を切らせまい、とあの手この手で生きようとする。
それもこれも謎に『死んではいけない』という強い呪縛があるから。一人で死ねば『孤独死』という名前がつくし、積極的治療を施さなければ『代替え療法による手遅れ』扱いされる。どっちにしろ『そのシチュエーションで死んではならない』というのが無数にあって、そこも避けなければならない。
無理やろ、と思う。
幸せの絶頂で死んでもいけないし、若くして死んでもいけない、老人ホームで転倒して死んでもいけない。では、どのシチュエーションだったらご納得いただけるのか?
この際思うのは、自殺すら本人の意思でそうしたかったのなら仕方あるまい、と思う。生きよ、言うのは簡単だけど生きることが何より苦痛だったから死を選んだのだ。死ぬな、というより、そんなことになるまで追い詰めてしまった理由を、生きてる人達が学び改善していかなければならない。
死ぬことを哀れだと言わない世の中になって欲しい。
生きてる限り逃れられないシステムなのだから、精一杯生きることにフォーカスがあたる世の中になったら、みんなもっと明るく人生を謳歌できるのではないだろうか?