「好き」ということ

人の原動力は、何かや誰かを好きであるという気持ち、「愛」だと思う。そう考えているからこそ、私は今まで、自分の好きという気持ちにまっすぐ向き合う努力をしてきた。でもいつからか、私は自分の好きを人に対して隠すようになったと思う。

好きなものを否定、批判されることは誰にとっても嫌なことだ。それぞれの感じ方は別だとしても、私にとってのそれは、涙が出てしまうくらいつらいことだ。自分の好きなものに対する評価が自分への評価な気がして、心の行き場がなくなるくらい悲しくなってしまう。だから話さなくなった。話したいと思っても、傷つかないほうを選ぶようになった。それが今の私にできる最大の自己防衛だと思っている。私は弱い人間だ。

人の抱える悩みの原因は自身の中にあることが多い。私の場合もそうだろう。自分に対してひどく自信がないため、自分の好きな物にも自信が持てない。「信じる」ということは、想像していたよりもずっと難しいことのようだ。いつかこの文章を読み返したときの自分が今よりも楽しい人生を送ってくれていたらと思う。今の私は自ら不幸な道を選択してしまっている気がするからだ。

せっかくの人生なので笑って過ごすべきではないかと思う自分もいる。だから明日の自分は、今日よりずっと幸せでいる必要がある。