2021年の目標

2021年の目標が、「左手をいっぱい使う」(私は右利き)なので、左手で歯磨きをしたり左手でご飯を食べたり、と本来ならば右手で行っていたことを無理のない範囲で左手でやっています。できれば文字も左手で書けるようになりたいのですが、文字を書く機会というのが、「丁寧に(読める字で)書きたいとき」か「急いでメモを取るとき」なので左手でチャレンジする機会があまりなくたまにガッタガタの字を書いているだけの感じです。利き手じゃないほうの手ってなんであんなに使えないんだろうね。慣れってすごいなあ。あと「利き手じゃないほうの手」ってなんだよ、存在していいだろそれを表す言葉がよ。ああ、こんな日本語を知っている人が一回は思ったことがあることを言ってしまった。恥ずかしいな。自意識がエグイからこういうのすごく恥ずかしいと感じる。カラオケなどの施設のWi-Fiとかもわざわざパスワードを入力して使うのもすごく恥ずかしく感じる、どういう自意識? 誰も「コイツ、わざわざパスワード入力してWi-Fi使ってるんだが!?」って思わないよ。私も他の人がやってても思わないし。まあ自意識に勝るWi-Fiという言葉もありますし、Wi-Fiに繋ぐのですがね……へへ……


何の話? 思いついたままに打ってたら全然違うこと話してた。私は今回、左手生活で感じたことの話がしたくて書き始めたんだが。こういうことは往々にあるよね。

歯磨きは割とすぐ慣れた。なんなら最近は意識せずとも歯ブラシを左手に持っていて「習慣とはなんと脆いもの……」と言ったりした。思うだけにしろよ、言うな。

箸もまあ、一週間くらいで慣れたかな。豆とかもひょいひょいと食べられる。完全に箸使いが板についてきた、まあ箸は板ではなく棒なのですが…… 硬いものを箸で切るように動かすのは非常に難しくてまだできない、ずっとできないのかもしれない。左利きの人は箸で切ることなく食べてるのかもしれない。そこまでジッと見たことはないからその可能性は十分ある。

でもかなり左手を使う頻度が増えたわけだから練習なんてしなくても文字も書けるんじゃね?と思って書いてみるんだけどこれが書けないもんなんですよね。結局、やったことしかできるようにならないんだよな。こんな当たり前のことを再確認するための目標じゃないのに。小学生のころ、同級生が利き手である右腕を骨折して、習字なんかも左手でやっていたんだけど、その子がもともと字が下手だったためにさして普段と変わらんくらいの作品を書いてたの、おもしろかったな。

左手で文字書く練習したら、右手で書いたときと同じような字になってくのかな。また別の癖がつくんだろうか。左利きの人は「はらい」とかも押して書かなきゃいけないから上手に書くの難しいというし、また別の癖字になるのかもね。今は思うように動かせないからへたくそな字ではあるわけですが、癖自体はまだついていないと思うので、今からメチャメチャ美麗な字をなぞり書きするなどしていけば、左手がメチャウマ字書けるようになるかもしれないな。右利きなのに左手で書いた字のほうが上手かったら面白くないですか? 別に面白くはないか……そっか…… 

右手でずっと文字書いてるわけだけど、全然うまくないな。継続は力なり、論破!! ずっと書いてるがゆえに逆に間違い、間違いというか自分の癖とかを強化してしまっているんだよな。継続って一定のレベルまで達したら特に力ではないな。「慣れ」までいけばあとは意識をもって変革を行いながらその行為を行っていかないと成長としては意味がないんだな。ダルすぎ。

少し話を戻しますが、箸と歯ブラシはもう左手で馴染んできたわけなんですよ。そのためにちょっと困ったことがあって。私は右と左が直感的に分からないタイプでして、毎回、小さくお箸を持つ動作をしてからそちらを行ったほうを右として左右を判断しているんですよね。もう、右手も左手も箸を持つ動作に違和感がないんだよね。私は左右を判断する方法を失ってしまったよ あああ(携帯電話を川に落としたよ 笹船のように流れてったよ あああ)

カッコいい剣とか買いたいです