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金彩と色即是空


私の作品には意図的に金銀の色や箔を使っています。

金や銀は他の色と違い光を反射しますが、印刷物には反映されないので、古今東西の作家があえて高価な金や銀を使う部分には、原画でしか表現できない作者の想いが何かしら込められていると考えて間違いありません。

そして私にとっての金彩に込めた想いは、般若心経の「色即是空」を私なりに描く仏教哲学へのオマージュ表現であり、「色即是空」みたいな「金即是空」です…

全て同じ金色を塗っても、金箔を貼っても、金彩は観る人の視点(角度)で色味が変化します。
光を反射して白っぽい金色もあれば、逆に黒々とした金色もあり、金は観る人の見方によって、まるで違う表情になります。
その金彩表現の特質はまさに般若心経の「空」のようです。


般若心境に「色即是空」という有名な言葉があります。

「色(目に見えるものは)はすべて「空」である…
また、
(感受するもの)も
(想像すること)も
(行うこと)も
(認識すること)も
ぜんぶ「空」ですよと説かれています。(五蘊皆空)

今から20年前、初めて般若心経を読んだ30代前半の頃、私はこの「空」の意味がよく解りませんでした。
「空」ってなに?何もかも無いってこと?と思ってしまうと、ナゾナゾをかけられているみたいで気持ちはイライラしてきて、「このイライラは現に今ここにあるし!」と反論したくなりました(笑)

しかし般若心経には「空」とは別に「無」という言葉もたくさん出てきます。
そして「空」と「無」は同じではなく、意味が違うということを知りました。
なので前述の「イライラはある」という考えもいいと思います(笑)

「無」とはまさに何も無く、何処にも存在しないということですが、「空」とは「ゼロ」ということ。「ゼロ」はゼロポイントという一つの始点が在るように、まだ何も始まっていないけど「在る」もので、それは「無」とは全く違うものです。

例えば「空気」は在る。「空間」も在る。「空中」も在る。「空腹」も在る。

「空」=「ゼロ」という概念でもう一度「色即是空」を読んでみると…

(目に見えるものは)」は「ゼロ」
 (感受するもの)も「ゼロ」
 (想像すること)も「ゼロ」
 (行うこと)も「ゼロ」
 (認識すること)も「ゼロ」

神羅万象全てはぜ〜んぶ「ゼロ」と説かれていることがわかります。

そして「ゼロ」はゼロポイントという一つの始点なので、全ては今ここの「ゼロ」から始まります。

今ここで、目に見えるもの(色)に何を感じて(受)何を想像して(想)何をして(行)何を認識(識)するかはまだ何も決まっていないから、全てはあなたのものの見方、あなたの捉え方次第で、どうにでも展開していきますよ。
と説かれていることがわかります。

この「般若心経」の冒頭の数行は、当時(30代前半)人生に悩み苦しみ足掻いていた私にとって、本当に衝撃的で、眼から鱗が落ちるほど人生観(魂観)が一変しました。
まるで暗闇に光明が刺したような、全く解けなかった問題が少し解けそうな希望の助言を得たような感じがしました。

「いつでも何処でも、何が起きても、何も起きなくても、苦しくても、期待外れでも、その事象はただそこに在るだけ
それにどんな「色.受.想.行.識」を生み出し、どんな世界を選んで生きるかは全てキミ次第でキミの自由… まさに「自らを由りどころ」にして生きる他ないんだよ… 」

これは智恵第一とされた釈迦の十大弟子の1人の舎利子に、観自在菩薩が優しく伝えているシーンです。

いま世界では毎日いろんなことが起きていますし、身近なところでも心をざわつかせる事はたくさんありますが、私はその度に20年前に感動したこの「般若心経」の冒頭の数行を思い出しては、自分は今ここで何を選ぶのか、今からどんな心地でいたいのかと自分に問うように、習慣的にブツブツ般若心経を誦じてきました(笑)

ちなみに私の家は浄土真宗なので般若心経は読経しない宗派ですが、好きなものは好き、仏の教えとは宗教の前に釈迦の哲学なので、何を学び選んでも自由です。
人生において日々の大切な習慣はいろいろありますが、20年前に般若心経に出会えた私は幸運だったと思います。


「目の前に起きる事象はいつもただあるだけ」


そこにはそもそも善も悪も、美も醜も、聖も邪も、果ては生も死もない
まさに光に反射して色を変える金彩のように、我々が見る角度によって、その事象は全ては違って見えますが、真実はただ金箔が貼られているだけです。

一つの事象が起きるたびに我々は勝手にたくさんの意味づけをして、ときにはドン底までネガティブになることもありますが、自分を傷つけることにほとほと疲れ果てたあと、この苦しみもきっといつか最高の幸せに至るために大切な経験に違いないと、今までの視点から少しだけ角度をずらせたとき、まさに黒から白へと輝き始める金彩のように、現実が変わることもあると、自分の経験から思うようになりました。
そしていつの日か、我が身に起きる全ての事象は、この世を楽しむために、生まれる前に自分が決めてきたイベントだと豪語する、真に無敵な楽観思考の大人物になれるかもしれません(まだまだ先は長いですが…笑)

いつか私の原画作品をご鑑賞の際は、ぜひ角度を変えて「金彩と色即是空」もあわせて楽しんでいただけたら幸いです。


身近な人がとても落ち込んでたり、苦しんでいても、本人以外は誰も解決することも助けることもできないことが人生には度々あります。

側にいても代わってあげられないとき、この広い世界を憂うとき、絵描きは絵を描いては金箔を貼りながら、ただ無力な自分を慰めているのかもしれないと思うことがありますが、同じように誰かの幸せを日々願い、想いよ届けと天に祈り、今の自分にできることを一所懸命やっている人が、この世にはたくさんいて、その方達のために蔭ながら合掌をしている絵描きもまたここにいます😌🙏

その目に見えない大きな和のエネルギーは、色即是空に続く「空即是色(目に見えないものは存在する」を理解する一例と言えるかもしれません。

以上、般若心経からインスピレーションを賜った私の画風「金彩と色即是空」のお話でした。

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