紙の六法を買う必要はあるか

 新たな気持ちで法学を勉強しようとする人から、「紙の六法を買う必要はありますか?」と尋ねられることがある。私は、これからしっかりと勉強しようとするのであれば買ったほうがよいと思う。

 私は、以下で紹介する二つの紙の六法のうち一つの編集委員である。ここでいわゆるポジショントークをするつもりはないし、この原稿を書くことを出版社から依頼されたわけでもないが、念のため冒頭で明らかにしておく。


条文におけるデジタルと紙


 英単語についてスマホ辞書アプリと紙の辞書があるのと同じように、条文についても、スマホで見ることのできるものと紙のものとがある。

 スマホで見ることのできるもののうち、国が運営しており信頼性が高く、無料であるものとして、「e-Gov法令検索」がある。法学を勉強するのであれば、必ず知っておいたほうがよいサービスである。

 他方で、紙の辞書に相当するものとして、紙の六法があり、昔から存在する。

六法とは


 法学の分野では、主要な法令を集めて使いやすく並べたものを「六法」(ろっぽう)と呼んでいる。何と何で六つか、というと、憲法、民法、刑法、商法、民事訴訟法、刑事訴訟法、で六つであるというのが標準的な答えである。

 最近では、これらに加えて行政法も重要かつ基本的であるという認識が定着し「七法」という言葉が使われる界隈もある。

 「日本三大○○」などという場合にどの三つかということに諸説があるのと同様に、「六法」とは何と何であるかに唯一の正解があるわけではない。とにかく、主要な法令を集めたものを慣用的に「六法」と呼んでいるのである。

 紙の辞書に大きなものから小さなものまであるように、紙の六法も大小さまざまである。ここでは、大学で勉強する際に標準的に使われる小型六法を念頭に置くことにする。それより大きなものを使うかどうかを検討するのは、小型六法を買って使いこなしてからで十分であると思う。

 小型六法という場合、具体的には、有斐閣という出版社が刊行している『ポケット六法』と、三省堂という出版社が刊行している『デイリー六法』を念頭に置いている。いずれも、普通の人のポケットには入らないと思われ、また、毎日開かなければならないわけでもないと思われるが、それぞれ商品名として定着している。

(2024年4月に、三省堂から『スマート六法』が刊行されるようである。七法の基本的な法律のみに思い切って絞ったもののようであり、要注目であるが、実物はまだ見ていない。)

英単語と共通する電子と紙のメリット・デメリット


 多くの人は、英単語をめぐって、電子だけでよいか、それとも紙があったほうがよいか、について、自分で考えたり、誰かから教えられたりしたことがあるのではないかと思う。ここではそれを詳しく論ずるのは省略する。私が理解するところを簡単にいうと、もちろん電子にメリットは多くあるが、紙にも、目指す情報へのアクセスタイムが(慣れれば)短い、目に優しい、などのメリットがあると思う。

 条文の電子と紙についても、全く同じことが当てはまる。

紙の六法にはさらにメリットがある


 条文について電子と紙を比較する場合には、それに加えて、紙の側にさらに特筆すべきメリットがある。

 それは、条文の場合には、目指すものの前や後ろが重要であるという程度が、英単語の場合よりも大きい、ということである。

 複数の条文で構成される法令は、それを起草した人が、全体として体系的なものとなるように起草しているのが通常である。

 例えば、刑法で殺人罪について調べようとした場合、刑法第199条をまず見ることになると思う。

 しかし、少し勉強すると、傷害致死について規定した刑法第205条との比較が重要となることもある。

 また、それらのいずれにも共通して関係する「故意」について規定した刑法第38条が重要となることもある。

 紙の六法であれば、それらを一望したり、ページを少しパタパタさせて瞬時に見比べたりして、全体を見ながら学びやすい。目指す条文が全体のなかでどのような位置付けとなっているのかを知ることは、法学の勉強においてとても重要である。

 電子では、刑法第199条を目指して開いた場合でも、刑法第205条の存在に気づく確率は相対的に低いし、刑法第38条とあわせて瞬時に両方を見ることは簡単ではないと思う。

 このように、条文の場合には、目指す条文の前や後ろとあわせて体系的に法令が作られているために、紙の優位性が高まるのである。

 英単語の場合も、前や後ろに品詞違いの関連語があることもあるし、そのようなことに関係なく前後を見るのが楽しい、ということもあると思う。しかし、条文の場合には、前や後ろを容易に確認できるということが、全体構造を理解するために特に有益なのである。

 もちろん、条文について紙に上記のような優位性があるとしても、電子にも、自分が置かれた状況次第で、有益な場面は数多い。特定の用語で検索する場合など、「e-Gov法令検索」は強力なツールとなる。

刊行時期


 『ポケット六法』や『デイリー六法』のような小型六法は、毎年9月頃に新しいものが刊行される。

 9月頃に刊行される理由は、主に2点あると思われる。

 第1は、出版社としては、その頃から始まる大学の学期にあわせて多くの学生に買ってもらおうと考えるからである。

 第2は、毎年の通常国会が多くの場合は6月まで開かれるので、通常国会で成立し公布された法改正を織り込む作業を7月と8月に行い、9月頃に刊行する、というのが、時期的に、ちょうどよいからである。

最初の半年に買う意味


 それを聞くと、「4月に買ってしまうと半年だけで古くなってしまうではないか」と思うかもしれない。

 しかし、これから法学を勉強しようという学生にとって、最初の半年はとても貴重な期間ではないだろうか。その半年の間に、9月に刊行される次の小型六法を待って体系的視野をやや欠いた不便な勉強をするのと比べれば、最初の半年から、それぞれの法令の体系の中での条文の位置付けを意識しながら、短いアクセスタイムで、目に優しく、勉強を始めるほうが、よいように思う。

 もし、この記事を読んだのが秋であれば、半年を失ったと悲観する必要はない。小型六法が新しく刊行されたちょうどよい時期に本格的な勉強を開始できてよかった。何事も、遅すぎるということはない。

どれを買うか


 既に書いたように、主な小型六法として、『ポケット六法』と『デイリー六法』がある。そのほかにも、用途によっては、有力な小型六法があるかもしれない。リアル店舗の書店で手に取ってみるなどして、自分に合いそうなものを買ってみるとよいと思う。もし、もうひとつのほうがよかったと感じたならば、次の秋に、もうひとつのほうを買ってみればよいのである。

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