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2023夏サンティアゴ巡礼「北の道」の記録

はじめに

このnoteでは2023年夏に歩いたサンティアゴ巡礼「北の道」と「フィステーラの道」のきっかけや道中の感想をざっくり書きます

巡礼の僕の行程についてこちらから

もし良ければ❤️よろしくお願いします!

きっかけ

2022年の年末ごろ7月から仕事が暇になることわかり、長いこと海外旅行に行けてなかったので久しぶりに行きたいなと考え始める
休暇は長期でとれそうでせっかく長期で行くとしたらどこがいいかなと考えていたら、ふと昔読んだ「星の巡礼」を思い出した
あ、「カミーノに呼ばれた」😁
これがサンティアゴ巡礼に行くきっかけでした

その頃はカトリックとプロテスタントの違いすら分かってなかったですが、1ヶ月ほどサンティアゴ巡礼について調べたりキリスト教や他の宗教についてYouTube見て勉強し、ますますサンティアゴ巡礼というものに興味を持ち行くことを決意
そして2月には一度決めた決心の退路を断つため航空券を購入(羽田ーパリの全日空)
航空券を購入したら準備できるところから着々と準備を始める
日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会からクレデンシャルを購入したり、TGVの予約をしたり、WISE作ったり

1ヶ月間毎日30kmほど歩くっていうのは未知の世界だったけど、この度で絶対に全行程自分の足で歩ききりたいと思っていたので、巡礼に向けたトレーニングも4月から始めました。(冬の間は趣味を兼ね豪雪エリアでテレワークしていたので😅)
トレーニングは、週末は
陣馬山ー高尾山の縦走
山手線一周ウォーキング
電車で30kmくらい離れたところまでいって都内の観光名所巡りながら歩いて帰る
といったように距離長めやアップダウンあるルートでのトレーニング、
平日は基本ランニングをメインに、テレワークでしたが週1出社するようにして帰りは会社から歩いて帰る(15kmほど)といったトレーニングをしてました

道具についてもなるべく軽くするために何が良いか
重さと快適さはトレードオフな部分もあるのでどこが最適か考え色々揃えていきました

そんな感じで気づけば7月、とうとう出発

バスク州

パリで一泊してTGVでアンダイエへまで行きイルンまで歩く
ちょうとツールドフランスをやっていたのかフランス側は警察官がいっぱい
スペイン側も歩道にフェンスが並んでいた
これからとうとう巡礼が始まるというワクワクが半分と、
無事に歩き切れるのかという不安な気持ちが半分

バスク州の1番の思い出はとにかく毎日登って降りての繰り返し
初日からほんと「えっ?」って思うような急登
でも毎日登って降りた後は街のバル巡りと言うご褒美もありそれを楽しみに歩けました。(もともと山登りが趣味で登りは嫌いでなかったというのもあり)

初日のゴール、サンセバスチャンはほんとバル天国で最の高!
バスクチーズケーキにチャコリに店ごとの名物ピンチョス、ほんと美味しかったー(でも高かったー)

翌日からは天気もずっと良い日が続きまた気持ちいい道が続く

ザラウツに到着したあたりから少し股関節に痛みが
他の巡礼者たちもデバで再開すると水膨れや膝の痛みが出てきている人が多かった
僕の股関節痛は翌々日のマルキナに着く頃には無くなってたので一安心
マルキナ以降は身体も足もいい感じに巡礼に馴染んできて毎日に余裕が出てき出した
この辺りから宿に着いて一通り(シャワー、洗濯、ベッドメイク)終わったら街を観光したりバーに飲みに行ったり
この頃はクラーラ(ビールのレモネード割)にハマってひたすら毎日クラーラ飲んでた🍺

そしてスペインといえばトルティージャ
トルティージャもめっちゃはまった
休憩時の軽食にもめっちゃ良かった

ゲルニカはピカソの有名な絵画ゲルニカの町
この街にはタイル製のゲルニカの飾られていてゆっくり観光したく一泊
絵を見ながらWikipediaで絵の解説を読んで絵の理解を深めた

ゲルニカのゲルニカ

ゲルニカの翌日はビルバオへ
ビルバオと言えばグッゲンハイム美術館
ただグッゲンハイム美術館は月曜定休日。ビルバオに到着したのが日曜で翌日観光してって考えてたけど急いで準備して美術館へ(企画展は草間彌生)

グッゲンハイム美術館

月曜はもともとボーナスDAYとして設定していて距離は20kmほど
朝から市場に行きピンチョスやスイーツたべてのんびりとビルバオの街を歩きサッカースタジアムに行ってみる
外から見るだけでと思ってたらスタジアム内の見学(ミュージアムとスタジアム見学)ができるようだったので行ってみる

サン・マメス スタジアム

ピッチにおりれたりとスタジアムツアーめっちゃよかった😆
その後はのんびり川沿いをあるいてポルトゥガレテの世界遺産ビスカヤ橋へ(ぶら下がったリフトに乗るか、上を歩くか。歩くほうが高かったと思う。)

ビスカヤ橋

カンタブリア州

カンタブリア州は舗装路が多かった印象がある
毎日の高低差は減りその分距離をかせぐ感じ

ただカンタブリアに入ったくらいから公式巡礼路に疑問を持ち始める(笑
例えばこれ黄色が公式なんですがめっちゃ遠回り

El PontarronとLiendoの間

Google Mapで調べると赤い矢印のルートになり、ここでは赤い矢印のルートで歩いた(他の巡礼者もこの赤で歩いたって行ってた人が複数いた)
多分公式巡礼路はなるべく道路でも歩道のある道や、歩く用の道を優先的にルートにしている印象
初めこの公式は古からの道と思っていたがどう考えても近代的な道路を直進しているところだったり多分現在歩きやすい道でしめしていると解釈
なもんでまぁ公式(?)ルートじゃなくても、自分の歩く道が自分の巡礼路やから別にそれでもいいじゃんと解釈して基本公式ルートを参考にしつつGoogle Mapも見て歩く道を決める感じで歩きました

あと、カンタブリア州は渡し船に乗る機会が2回、ラレドからサントーニャと、ソモからサンタンデールへある

ラレドでの渡し船乗船の様子

そういえばカンタブリア州に入ってからはトルティージャの具に何か入っているケースが多かった
ハムレタスマヨやハムチーズ、ツナマヨ、ベーコンなど何かしら入ってて毎日違う味を楽しめた
お気に入りはツナマヨ🍴

ツナマヨ入りトルティージャ

カンタブリアのグエメスには北の道で一番有名なアルベルげがあり、結構みんなそこに行くといっていて悩んだが、グエメスによるとその日と翌日の距離が短くなるので後にひっぱったら嫌だなと思いパス
そしたら前日同じ宿だった僕以外みんなグエメス行ったようでサンタンデールはひとりぼっち😢
ただサンタンデールは大都会。もちろん中華料理屋も。久しぶりのチャーハンはめっちゃうまかったー

そういえばカンタブリアに入ってからは英語が伝わりにくくなった感じがした
カフェでカフェラテって言っても通じずこの頃やっとスペイン語で「カフェコンレチェ」って言うことを覚えた(厳密にはミルクの割合で複数の言葉に別れるらしい)
ただスペインではシングルのエスプレッソベースなので量がすくないのでちょっと量が物足りない
グランデをつけて「カフェコンレチェ グランデ」と注文
それでもスタバのショートより少ないがゆっくり休憩するわけでもないのでちょうどいい量

カンタブリアは5日ほどで通過
サンティリャーニャへ行く時の道がほんとよかったなー

町も昔の雰囲気が残ってて綺麗やったし、あとはアルベルゲも庭が最高やったなー

その次の日のSan Vicente de la Barqueraはなんかのイベントの日と被ってたのか夜中もずっとDJの音楽が響いてて五月蝿かったw

アストゥリアス州

アストゥリアス州にはペンデュエレスで同じ宿に泊まる予定のジャンニ&アドリアーノのイタリア人おじさん二人組と歩いて入った
それにしてもイタリア語はスペイン語と同じ系統の言語のようで大体なんとなくわかるようで、イタリアおじさんはスペインでもイタリア語で話してた
スペインも大都市以外は結構英語は通じないのでイタリア語の方がいいっちゃいいのかと納得
ただイタリアおじさん僕に対してもほぼイタリア語w
まぁ結局どっちかが翻訳アプリ使うからイタリア語でも良いのかと基本僕が翻訳アプリを使う

アストゥリアスはヌエバからコルンガ、ビリャビシオサまでの2日間はほとんど人に会わなかった
この2日間は多分行程も上手く組めず2日連続シングル個室
ただ久しぶりに1人でただ歩いているだけっていうのが懐かしい感じもして悪くなかった

ビリャビシオサ以降はまた顔見知りと歩く機会が多くなる
この辺から最後ゴールまで共にしたアミーゴと一緒に行動することが多くなった

アストゥリアスのトルティージャもまた雰囲気が代わり、アストゥリアスのトルティージャは分厚く固め。ナイフもついてくるのがほとんどやった。

アストゥリアス式トルティージャ

そしてヒホン以降は良い宿が多かった
まずはヒホンの宿はチルルームのハンモックチェアーに座ってビール飲みながら見る海が最高

そして翌朝、宿の前から見る朝日が本当に綺麗やった

そしてもう一つ、この巡礼で一番ホスピタリティがよかったSan Martinのアルベルゲ
北の道を行くならほんとここはオススメ

ここにボランティアに来ていた子が日本語を少し話せて、この巡礼で初めて(そして最後)の日本語で会話
ほんと母国語は楽ちん

日本語を話せるスタッフと

アストゥリアスはその後ナビアで泊まり、タピア経由で巡礼最後の州ガリシアへ

ガリシア州(北の道)

タピアを経てリバデオへ入る橋が高速道路の横に歩道つけただけの橋で横は車ビュンビュンだわ海から風吹き付けるわでまぁ怖かった

ガリシア州に入ると立派なモホンになりそしてこまめに立ってる(これまでは道とかにスプレー書かれてる黄色の矢印が多かった)
そしてこのホタテ貝のマークも微妙に州によって使われ方が違うことに気づく

巡礼もとうとう最後の州、リバデオから巡礼を始める人も多い(多いって言っても北の道なんで知れてるけど)
ここまで歩いてきた巡礼者同士の会話も、ゴール後どうするか?という会話や、フィステーラに行くかとか、いつ国に帰るかとかという会話が増える。
たまに、記念にサンティアゴでタトゥーをいれるけど入れるか?っていう人もいたり。(僕は入れてないです)

一個感心した会話としては、巡礼を歩き始めるのって土日からの人が多いみたいで、
なんで北の道だとリバデオとか、100km超えた地点(北の道だとビラルバ辺り)に土日滞在する時は宿とか混むからなるべく避けるように調整した方がいいとのこと。
なるほどと思った

リバデオからローレンツァの道は途中すごい景色が良かった
この辺なバーや休憩できるところがちょうどいい距離であった

ローレンツァの次のアバディンまでは急登か距離は伸びるが緩やかの選択
分岐のある町にバーで顔見知りが自然と集まる
みんなどっちから行く話してて、みんな急登で一致
歩き出しは8人いたけど登り出すにつれどんどんバラバラになっていく
僕はこれ途中で止まったら次歩き出すのきついと思い亀作戦
山頂着く頃には先頭で1人でした
山頂は景色もよかったですがなんせ風が強くて寒い

坂を登り切った後

そのままノンストップで山を降り1個目のバーでみんなを待つ
ほんま急登で疲れたけど、こんなスペインな急登も最後かなと思うとそれも寂しさもあった

アバディン以降は雨が続いた
みんなはポンチョ使うけど汗っかきの僕はやっぱポンチョだと内側蒸れるので傘

ビラルバのアルベルゲではホストがギターと歌でもてなしてくれる
めっちゃ聞いたことある曲だが思い出せない(まだ思い出せない)

その後もステップを重ねていき、マデロスへ。
マデロスはすごい小さな村やけどすごいオシャレなアルベルゲがあるのでここもオススメ(みんなその前の大きな町に泊まるのでこの時は貸し切り)

外観
ドミトリールーム
テラス

足湯の水版がテラスにありそこに足つけて冷やしながら飲むビールが最高でした(晩飯朝飯はお願いでき、飲み物も宿で売っている)

ボイモルトを過ぎると南に行きアルスーアでフランス人の道と合流するか、西に行きもう少し北の道を歩くかの分岐
もう少しこの静かな道を歩きたいと思い西へ
その後ペドロウゾ(ペノ)の手前でフランス人の道に合流

これは僕たちだけかもやけど、最後一緒に行動してた僕たち4人は
朝は一緒に出発しても途中で別々になり、またバーとかで自然に合流する
別の宿に泊まっててもお互いのパターンがわかるから特に連絡してなくてもバーで自然に合流して一緒に軽食を取る
一緒に話しながら歩く時もあるけどバーとかで休憩したらまたお互いのペースで歩く
そしてその日のゴールにはみんなで行くみたいな歩き方でこの歩き方がすごい心地よかった

ゴールのサンティアゴ大聖堂に近づくにつれどんどん人は増えていく
そして大聖堂の塔が見え始めると一気に涙が溢れだした
周りを見たら一緒にゴールしたアミーゴも涙を流していた
みんなでお互いおめでとうと言葉を掛け合いハグ
この時はすごい自然にハグができた(笑

ジャンプマンポーズ

ほんと無事にそしてアミーゴと一緒にゴールできてよかった

サンティアゴ大聖堂の巡礼者向けミサでは見たかったボタフメイロも
大迫力で香の香りが汗臭さを消してくれました(笑
ボタフメイロはやらない時もあるみたいだったので見れるまでミサに出ようと思っていたけど1回目で見れてよかった

ボタフメイロ

あ、ガリシアのトルティージャはまたベーシックな感じのシンプルな卵とポテトだけのものに戻ってました。
原点に帰りやはりこれも美味しかった😁

そしてゴールはすなわちみんなと別れ
4人で打ち上げをする
この日はほんとたくさん飲んだ

ガリシア州(フィステーラの道)

フィステーラの道のスタートはサンティアゴ大聖堂から
早朝のサンティアゴ大聖堂は昼間と違い幻想的だった

ここからは1人
雨も降り出し寂しさがさらに増す
初日はその後もしばらく雨が続く
顔見知りと合わないかなと淡い期待をしながら歩くも全く会わず
そんな僕を癒してくれた猫

そして天気も完全に回復
絶妙なバランスのケルンをしばし眺める

その後も黙々と歩き宿へ
ビールを飲み誰か顔見知りが来るかなと待っていたが誰も来ず
翌日もたんたんと歩きほとんど人に会わなかった
宿もガラガラで僕とデンマーク人の親子のみ
息子さんは社会人で、今回は休暇をとって親父に付き合ってるとなんともいい親子
親子で巡礼歩くってなんかすごいいいなーと思った

とうとうフィステーラとムシアの分岐

今回はフィステーラのみでムシアには行かないので左へ

Ceeへ向かい山を降りていると続々と地元の方が登ってくる
しかもみんな「Buen Camino」と声かけてくれる

この旅でいつも思ったのが地元の人に「Buen Camino」って言ってもらえるとほんと元気が出る
ただこの時は今日で最後かというのと2、30人が絶え間なく声かけてくれるからどんどん涙が溢れてきて泣きながら歩きながらお礼を言っていた

そしてフィステーラの街の手前
あの先がフィステーラ岬
まじ宿に行って荷物置いて行こうかとも思ったけど、ここまで背負って一緒に旅してきた荷物
ゴールもみんな一緒に行かないとなとそのままゴールを目指す

そしてとうとうゴール
Ceeへの下りで感動のクライマックスを迎えたのでここでは至って冷静だった
というか観光客の方々がすごい多く巡礼者はちょっと肩身狭い感じもしてあまり浸る感じでもなかった

ムシア行けばまた感じが違うかなとも思ったけど
もうここで歩くスイッチは切れてしまったのでムシアは次回サンティアゴ巡礼を歩いた時に残しておこうと
ともあれこれで無事に巡礼終了
宿に向かって歩いていると前日同じ宿だったデンマーク親子が上がってくる
ここで送った「Buen Camino」が僕の最後のブエンカミーノだった

巡礼の後

8/4にフィステーラに着き、日本への帰国便はパリから8/11だったので1週間ほど観光できる
パリでも約束と行きたい美術館があるから8/8か9に戻っときたいなということで、4日間ほどどこか行ける考え
サンティアゴからバスで4時間、ポルトガルのポルトからだとパリ直行便もあるしポルトへ行くことに

ポルトでは観光して

ポルト大聖堂から

夜景見て(寂しく1人で)

B級グルメからスイーツ、ポートワインを美味しくいただく

カフェサンティアゴのフランセジーニャ

そしてパリでは行きたかったオランジュリー美術館

睡蓮の間

そしてファンダシオン・ルイ・ヴィトン

ファンダシオン

といった美術館を楽しみ、パリ在住の元同期と数年ぶりの再会と乾杯をし、日本に帰ってきました

最後に

まずは、会社員したまま28日もの有休を取らせてくれた会社には感謝です

飛行機はロシア上空を避けるルートのため、
往路は北回りでアラスカ北部、グリーンランド、アイスランド、イギリスを経てパリへ、
帰路は南回りでロシアを避けるユーラシア大陸横断ルート
なんと世界一周航路🌏
また、長いフライトでしたがシートは今回運良く往復プレエコ
贅沢な巡礼者でした(笑

このnoteは巡礼中毎日つけていた日記を読み返しながら、写真や動画を見返しながら書いたのですが、
本当に楽しく歩けた最高の旅でした
トラブルがなさすぎて少しくらいネタになりそうなトラブル欲しかったです😁

そして、全行程全て歩き切れたこと、自分で自分を誇りに思います!😆

僕の歩き方は長くても1日35kmほど(平均したら多分30前後)しか歩きませんでした
そして朝早めに出発して、午後の痛い日差しを避けるため13-14時にはその日のゴールについておく
1日にもっと歩くこともできましたが、なるべく次の日に疲れなど残さないようにそして毎日着実に進むため毎日一定スタイルです
なので特に同じ町に2泊といった休息日は設けずに、たまにボーナスDAYで20kmほどの日を作るくらいでした(多分それも2回だけ)
僕の歩き方はこんな感じでした

最後に、
一緒にゴールできたトゥルント、ケビン、リサ
San Martinまで1週間ほど似た行程でティントデベラノを教えてくれたフェダァー
サントーニャまで一緒にいる機会が多く最後サンティアゴで再開できたベン
いびきがちょっとうるさくて最後の方宿被らないように避けたけどほぼ同じ行程だったジャンニ&アドリアーノ
サンティアゴで迎えてくれたオージャイ
北の道、フィステーラの道でちょくちょく会ったグロリア
巡礼前半よく会って一緒に歩いたフローリオン、ジュリ、ハイメ、マルコ、フィリップ、ポーランドの男性
デバから数日一緒でミサの作法を教えてくれたニューメキシコの女性
ビルバオまで何度か会い会話したキムさん
電気が消えても陽気な会話がいつも聞こえてきたダニエラ
名前はわからないけどその他沢山の巡礼者のアミーゴ達
彼ら彼女らがこのnoteを読むことは無いと思うけど、、、
みんなのお陰で本当に楽しく巡礼路を歩けました。

Muchas gracias amigos!

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