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得も言われぬ感情

ふと思い出した、自分の若い医者時代の失敗について話したい。

基本的にニコニコ働いていた自分だが、一度だけ病棟で感情失禁してしまったことがある。

自分の専門科に入る前に、1年弱ほど内科ローテートした。その意味合いとして、専門に没頭する前に広い内科的な知識をつけるということと、院内の内科の先生方への顔見せとなりその後の仕事で横の連携が取りやすくなる、などがあるが、結局はその病院で働くにあたったルールであり、若い医者の労働力を必要とする科や病院もあるのだ。

当時研修医を上がったばかりの3年目としてそれなりに意識を高く持っていた。10人少し入ってきた1年目研修医も半分以上は見知った後輩でもあり、1年目の教育だとか総合内科的知識の習得に力を注いでいた時期で、何でもできる医者を目指して日々遅くまで病院に残って一生懸命働いていた。

神経内科と某科の2科掛け持ちでだいたい受け持ち入院患者15人程度の主治医として働いていた。そこそこ大きな病院だったため、まだ3年目は一人前の扱いではなく上級医から入院患者さんを振られて一緒に受けもつスタンスであったのだが、神経内科で期待されていたのは主治医としての役割であった。「先生ももう3年目やからな、まぁ主治医として頼んだで」と上級医には任され、救急ではかなり患者も捌けるようになっていた研修医上がりの自分としては、「主治医」という言葉に燃えないわけはなかった。

神経内科という科はなかなか治るのが難しい疾患も多く、退院後の調整など社会的な問題も絡んでくることがある。

患者さんは60代の方で、進行性の脳変性疾患で現代の医学ではいまだに治る見込みのない疾患だった。外来受診後早々に入院となった新規の患者さんであり、入院時より時間が経つにつれどんどんADL(Activities of Daily Living)は悪化し、増悪の一途をたどった。稀な疾患だが、病名はそれなりに一般の方にも知られている病気であったため、最初の面談でご本人にもキーパーソンである娘さんにも今後の見通しなどを説明し、途中からは病状の進行でご本人とはコミュニケーションをとるのが難しくなってはいたが、ご家族であるお子さんたちや奥さんには毎日のように顔を合わせ、いい医師患者関係が築けていた(と思う)。その患者さんの外来を担当した上級医はカルテや報告などで把握しているが、入院中は大きく関わってはこなかった。何か自分と方針が違うな、間違っているなと思うことがあったら(どちらかと言うとわざわざ人のいるところで)ボロクソ言って来るようなパワハラ系の人ではあったが、なんとか何も言わせないように前もって対応する努力をした。

病院の都合上、療養型病院への転院を調整進めることは多いのだが、入院も2ヶ月ほど過ぎた頃だろうか、ADLもかなり落ちたその患者さんは両肺にひどい誤嚥性肺炎を起こしてしまった。酸素も10L/分が必要な状態となり、今後何か起こった時は心肺蘇生をするかどうか、などの同意を患者家族に確認したが希望されなかった。なお、その際に抗生剤治療なども望まない。そのままで親の様子を見届けたいのだという希望ものんだ。「わかりました。最後までこの病院で見ましょう。夜間に何かあっても僕が駆けつけます。」と話した。

炎症反応もひどく、両肺真っ白の肺炎。抗生剤もオフにされており、後は本人の体力次第、、、、、、、、、、、、、、、


経過を見ていると、その後日単位で徐々に酸素の必要量は減っていった。人間の免疫はすごい。そもそもご本人はガタイのいい、もともと健康な方だったのだ。あの時の重症さはどこへやら、ご本人の脳の状態は変わらず、コミュニケーションは取れない状態であったが、最終的に肺炎は自然寛解した。

改善傾向であることは肺炎発症後の経過中にもお話ししていたが、いよいよ寛解し酸素も外せたこともあり、転院調整の話を再度ご家族に出した時に、(自分には)思わぬことが起こった。えっ、最後まで病院で見るって先生言いましたよね??落ち着いたらまた転院とか言い出して、それはおかしくないですか??とブチギレられた。

その後も話はまとまらず、その患者家族にはかなり敵意を持って相対されるようになってしまった。最終的に、上級医・自分・受け持ち看護師・主任看護師・ソーシャルワーカー・患者ご家族で話し合いの場を持つことになった。

その場で、患者さんにどういったことが起こり、どういう経緯で今があるかについて説明し、主治医としてそのような判断を自分が取ったが、上級医との連携が取れていなかったということでその場で患者さん家族に謝罪を求められ、謝罪した。患者さん家族も渋々ではあるが、転院調整を進めることで話は進んだ。

自分的には、かなり気落ちした。上級医も普段は病棟でたまに会うとボロを見つけては文句を言って来るような人ではあったが、この日はそっとしておいてくれた。そもそも自分が主治医として頼むな、と言った手前、主治医として自分の判断で動いた僕を責めづらかったところもあるのかなと思う。

会議の後、病棟の詰所でボーッと放心状態でカルテを書いていた。人を寄せ付けたくない雰囲気は周りに伝わっていただろうと思う。

そこにふと、先ほどの会議に参加していた、看護主任さんが寄ってきて、「ほんとさっきの先生かっこよかったと思うよ。ああしないと向こうの怒りは治らなかったもんね。あんな張り詰めた場でちゃんと自分が一人で判断したのが間違いだったって謝って。」と声をかけてくれた。


涙が堰を切って出てきた。もう止まらない。「ちょっちょっと、先生どうしたん、、、」と言われてももうしばらく話せないぐらいに涙が流れた。

自分としては、その時の判断は大きな失敗とも思ってないのだが、受け持ち患者とは言え他人のことを真剣に考え良かれと思って動いたことが結局あとあとマイナスとなってしまい、人間関係が大きく崩れたのを一人ではうまく修復できなくなってしまった。辛さや情けなさや悔しさや不条理や優しさなどいろんなものが押し寄せてコントロールできなくなってしまい、恥ずかしい思いをすることになったが、主任さんの声かけのおかげで全部流れ出てスッキリした。

その後その病棟で少しモテたのは秘密なのである。