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【雰囲気落語】抜己


昔から『お江戸廻れば九十九里浜』と申しますように、

一腹、二腹、三腹とございまして。

ご多聞に漏れず肢具屋のガンさんにも年貢の納め時が回ってきたってもんでございます。

「おいガンさん、お前ぇに貸した五十両、とっくに約束の日にちを過ぎてるぜ?今日こそは耳を揃えて返してもらおうじゃねぇか」

これにはガンさんも焦ったもんで。

「なっ、何でぇヤスさん、オイラが借金踏み倒して逃げるような不手繰りに見えるってのかい。今日中にきっちり返してやるから待ってなよ」

言うが早いかガンさん、うちを飛び出して向かった先は匣場の市だ。

「おや、肢具屋のガンさんじゃねぇか。言っとくけどね、もう金は貸せねぇよ。あんたに押し付けられた鮎煮が納屋の隅で殖えてんだ。他を当たってくんな」

「そこをなんとか。今度は束葉の包みでも持ってくるからさ。な?この通り」

「先月も同じこと言って五両ぽっちの湿気た枯葉だったじゃねぇか!
用は済んだ!お前ら、ガンさんのお帰りだよ。『丁重に』お見送りしてやんな!」

「そんな殺生な…あっ! あっ!離しとくれぇっ!」

匣場主の用心棒どもにつまみ出されたガンさんは、頭を抱えて右往左往。

「このまま帰ったらヤスさんに捻り捥がれちまう。ええいこの際だ、腹括って新しい商売でも始めてやろうか…」

て言うもんで、河沿い柳の木の陰に掘立てたる東屋に『抜己』の看板を立てた。

「寄ってらっしゃい見てらっしゃい、『抜己屋』だよ」

「おう『抜己屋』かい、ひとつ俺のもやっておくれよ」

「へい!任せて下せぇまし。五鉢と七鉢、どっちに致しやしょう」

「なっ、七鉢ぃ?そんな太さで俺の頭をどうしようってんだ!五鉢で頼むよ」

「なんだってぇ?お客さんモグリだねぇ、近頃の抜己とくりゃあ、七鉢が普通だぜ?」

「本当かい?七鉢って言やぁ、五尺はあるぜ。」

「いいのいいの。俺ぁ腕利きの抜己屋だからよぉ、ほれこの通り」

チュポンっと音を立てて七鉢棒を捻るガンさん。

「ひべぬ」

「ほぅら済んだ。」

「ひんぬべぬぬ。ひぬぬぬ」

「そうだろうそうだろう。次からもご贔屓に願いますよ。あ、お代は十両ね」

「ひぬぬべ べぬひぬ」

お客は呆けた顔で、財布を丸ごと置いて行っちまった。

「なんて豪気な爺さんなんだろうね。おおっ、三十両も入ってらぁ。こりゃあヤスさんに返す五十両なんてすぐだな」

「俺がなんだって?」

「ぎょっ!ヤスさんか、急に驚かすもんじゃないよ。」

「隣の爺さんがここの抜己屋に来てから調子がいいって叫び回ってんだ。一つどんな具合か確かめに来てみたら、まさかガンさんの店とはな」

「へへっ、俺の腕がいいからかな。ヤスさんにもやってやろうか、お代は…二十両でいいよ」

「あぁ、二十両だぁ?随分とふんだくるじゃねぇか。いまどき三鉢の抜己だって五両も取らないぜ」

「いやいや、うちの抜己は三鉢なんてケチケチした事ぁやらねぇのよ。二十も取るんだから…そう、景気良く十鉢と行こうかねぇ!」

「じっ、十鉢ぃ!?そりゃ駄目だ死んじまうよ!!」

「任せとけって、俺の腕は確かなんだからよぉ。ほうらよっと!!」

チュポン

「モッッッッッッッッッッッッッッッッ」

鼻の穴から土色の粘液を吹き出しながら悶えるヤスさんの眼にもはや光は無かった。

「ほすのすす すすす」

「へいへい、最高でしょ?お代は約束通り二十両ね。さっきの爺さんの三十両と合わせてきっちり五十両!ほれ、確かに返したからな」

「すすすすのすす ほのすす」

「何ぃ?嫁さんと倅の棚吉にも?構わねぇよ。誰でも十鉢、にじゅ…三十両で抜己だ!さぁさ並んだ並んだ!」

調子のいいガンさん、チュポンっとやっては金を取る。

チュポンっとやっては金を取る。

チュポンっとやっては金を取ってたら、とうとうガンさんの抜己屋に来るお客はいなくなっちまった。

「金はまずまず儲かったけどよ。さっきまでの客足はどうしちまったのかな」

店を出たガンさん、往来を見てたまげるのなんの。


「もがぬもがぬ べべんす」

「ぱごさす ぱごさすす」

「ふひりり りんふふ」


「何でぇ…みーんな俺に抜己されちまってぼーっとしてやがんの。」

「こんな天下で手前ぇばっかり金持っててもしょうがねぇや、俺も抜己しちまおうっと」

ガンさんご自慢の十鉢抜己棒を取り出すと、手慣れた様子で頭をチュポンッッ

「ホッッッッッッッッッッッッッッッッ」


…ところでガンさん、あんたまで抜己しちまったら誰がみんなを元に戻すんだい?



音声版:

※読み上げには『音読さん』を利用しています。

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