塔山忠臣のシンセサイザー講座《第4回》
新作アルバムの作曲を日々、
興奮しながら続けております。
僕とJOY DIVISION
東京に来たばかりでやることも目標もなかったそんな自分に、何故か救いの神でした。僕はハタチを過ぎるまで青春時代に音楽を聴いた経験もなく、もちろんLiveに行ってサビのブチあがりに合わせて片手を振った普通の経験もなく。
大人になりスクーターの足元に全ての荷物を積んで上京したあの日から毎週のようにレコ屋に通ってその中で見つけたバンドそれがJOY DIVISIONでした。まず何よりフロントマンのイアンカーティスに惹かれました。
彼は23歳で自分で命を絶っていて、
そこから先の人生がない。そのことを思うと僕なんてなんだって出来るんじゃないかと。
親友であった塔山忠臣もそう、16才でバスに轢かれて亡くなった。その夜のことを未だに思い出す。俺はその場に居なかったんだけど一緒に走ってた友人に聞いたら最後、ヤツは胸を苦しそうに押さえながら僕の名前を言ってたと聞いた。たまらなかったな。
僕は音楽を作る時に、JOY DIVISIONのボーカル、イアンカーティスのことを思い出しその先にいる、塔山忠臣のことを思い出し、そんな彼の存在しなかったその先の人生を生きてみようと塔山忠臣という彼の名前での作曲を始めた。
ポストマンジョンは完全にJOY DIVISIONのリズムにインスピレーションを感じて作ったしね。
当時、そのポストマンジョンのデモテープを持って有名なメジャーレーベルのオーディション風情などによく送っていた。音源審査は大抵すぐクリアした。ポストマンジョンは特にリズムが褒められたな。ある有名な日本音楽のプロデューサーからは「ZTTのドラムみたいだね」と褒められて
うるせぇ、お前に生きることに本当に苦しんでいる俺たちの気持ちのナニがわかるんだ。クソチン○ス野郎が。とプチイライラし、「いや僕のイメージはザ・スミスに侵食された、新宿のフォークゲリラなんです。」てミュージックIQ高めのイジワル言ったら相手のプロデュースさまは...???てなって。昇天しかかってたので心の中で笑いがとまらなかった。
その後にも送った先からまたポストマンジョンを褒められて、声をかけられたりなんかしてライブとかにも出た。後々、聞いたら次に選んでくれた方がマッドカプセルのマネージャーさんと知って嬉しかったのを憶えてる。
まあライブはJ.M.が伝説のストップボタン押し(ビートやらフレーズシーケンスやらの全データを演奏中に指ヒトツでとめてしまうというパンク革命をおこなった、最高)で放送事故だったね。
大音量のライブハウスに突如、深海のような静寂が訪れた時は、本当に笑えたな。
彼女は間違いなくナンシースパハゲンなんかアクビが出るぐらい、百倍punkです。
そんな感じで僕たちは元々ライブになんて興味はなかった。とにかく篭って、最高の曲を作る。それがスタイル。
日本はライブが重視されるからね。俺はヘミングウェイのように最高を目指し、
書き続けたいだけ。
それでもLiveに誘われてある日、0.8秒と衝撃。のあるフェスの楽屋に入ってきたマネージャーに
「塔山くんへのご褒美来たよ!」って言われて
話を聞けば、JOY DIVISIONとのライブイベでの共演だった。当時、ニューオーダーを抜けたピーターフックが(ほぼ勝手に?)JOY DIVISIONを名乗り、
自分の息子たちとライブをまわっていたのだ。
そんなJOY DIVISIONは、まがい物だと言われたとしても。俺にゃあ、そんなのは関係ない。
即、引き受けて当日楽しみにライブハウスへと向かった。。。
意外だったな、ハチゲキメンバーより少し遅れて会場入りした僕は予想外の事態に遭遇する。ハチゲキメンバーほぼ全員が外タレのリハでの振る舞いに激昂していたのだ。ハチゲキのアイドル野菜くんだけは僕と同じくJOY DIVISIONファンなのでそれでもニコエコしていたが(聖者w)
それ以外の空気はとても攻撃的な雰囲気でした。クッキーくんなんぞは俺がJOY DIVISIONが好きなのを知って自分も刺激のために聴いてくれていたりしたから、『もうJOY DIVISIONなんて二度と聴かない』というぐらいオカンムリ状態で。みんなそんな感じ。僕は元々、洋楽ファンなのでなんか分かるのだが、外タレは難しい方が多い。よく外タレの前座で邦楽の人気バンドが使われるが、彼らからしたら全てどうでもよい。たぶんチヤホヤされて美味いモノ食って、日本女を。的なレベルであろう。いや悪口がいいたいのではない、洋楽ファンは基本、外タレの矛盾や目に見えた真実を幻想という伝説に切り替えられる変な能力をそなえつけてあるのだ。(ごめん分かる人にはわかってもらえるねん)
その日もニセ風JOY DIVISIONを見に来た方々がほとんどのクソったれアウェーの中、俺は塔山忠臣でしたよ。そうでしたよ。Live終わったらピーターフックに『クレイジーボーイ!』て握手していただきましたよ。野菜くん呼んで3人で
ほっぺ付けて写真撮っていただきましたよ。
ニセJOY DIVISIONのLiveで
ピーターフックが投げた汗まみれの
JOY DIVISIONティーシャーツーを洋楽ファンを蹴散らして俺がGETしましたよ。
東京帰ってからもそのピーターフックのTシャツにこびりついたわけのわからん、でも絶対に何回洗濯してもとれない、外タレ香水の強いスメルに
今日も部屋中なやまされておりますよ、
スメルズライク・ティーン
スピリット。。。
みなさん、あけましておめでとう今年はアルバム出すよ、生きよう。
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