カール・H・プリブラム、浅田彰、甘利俊一『脳を考える脳』朝日出版社

『脳を考える脳』には、次の3つの対話が収められている。
(1)カール・H・プリブラムと浅田彰の対話「ホログラフィのパラダイム」
(2)甘利俊一と浅田彰の第一の対話「ニューラル・ネットワーク」
(3)甘利俊一と浅田彰の第二の対話「数理科学の可能性」

K・H・プリブラムは、スタンフォード大学教授で、脳のホログラフィ理論で知られる人物である。1984年9月、シンポジウムのために来日した際に、浅田彰と対談し、対談内容は「日本版PLAYBOY」1985年1月115号に「浅田彰の体験的「頭脳探検」」と題し、先行公開された。本書は、その全容を収録したものである。
対談は、ワショーというサルの実験の話から入り、プリブラムの脳のホログラフィ理論と、浅田のポスト構造主義的な科学観の対比に入ってゆく。
両者の理論の共通点は、スタティックな構造を持つハイアラーキー(階層秩序)に批判的である事にある。しかし、ライプニッツ流のモナドロジー(単子論)の系統に属するホログラフィ理論と、ドゥルーズ=ガタリの提唱するノマドロジー(遊牧論)の系統に位置する浅田彰の立場は、鋭く対立する。

浅田彰の中では、以下のような図式が出来ていると思う。(本書から読み取れる以上の事を書いています。注意。)

A.観念論の系譜
古典版 ライプニッツのモナドロジー
↓ 
現代版 アーサー・ケストラーのホラーキー 
    デヴィッド・ボームのホロムーヴメント(全体運動)
    カール・プリブラムのホロフラックス(全体流動)

【現代版への浅田の評価】全体論と要素論の対立を超えるケストラーのホラーキーは、ハイアラーキー(階層秩序)であって最悪。ホロムーヴメントよりは、ホロフラックスの方が、動態変化を捉える表現としてはマシ。

【特徴】東洋思想のマンダラに似ており、どのレヴェルにおいても全体の構図がイデア的・潜在的に保存されている。
ニューサイエンスの多く、例えばケン・ウィルバーのインテグラル理論や、F・カプラ『タオ自然学』等は、このアナロジーを基に論理展開する。
中沢新一『チベットのモーツァルト』にも、その傾向がある。

B.唯物論の系譜
古典版 エピクロスから始まり、スピノザを経て、マルクスに至る

現代版 アルチュセールのイデオロギー批判
    ドゥルーズ=ガタリのノマドロジー

【解説】モナドロジーのMとNを入れ替えることにより、ドゥルーズ=ガタリのいうモナドロジーになる。ノマドは遊牧民であり、マンダラ的な予定調和のヴィジョンを逸脱してしまう。
そのため、ハイアラーキーの構造を持つトゥリー<樹木>上で、横断的結合や、下位レヴェルから上位レヴェルへの接合が起き、リゾーム<根茎>化が起きる。
科学においては、科学者の自然発生的なイデオロギーが、科学的探究の障害となることは危険である。例えば、全体論的・イデア論的なマンダラ構造を持つ予定調和のヴィジョンを、科学者があらかじめドクサとして持っているとすると、予定調和から逸脱するようなデータをなかったことにする危険性がある。
科学は、徹底的なイデオロギー批判の立場であってこそ、真理に到達できるのではないか。

こうした科学観に立って、浅田彰はK・プリブラムや甘利俊一と、神経生理学談義を行うのである。
本書に収められた科学対話は、『朝日ジャーナル』1985年4月12号に収録された「パリで語った日本<マンダラを破れ>」(こちらは社会科学へのポスト構造主義の適用である)とともに、浅田理論の最良の部分を示していると思う。
全体論的・イデア論的なハイアラーキーは、政治的にみれば全体主義である。科学的なイデオロギー批判(予定調和のヴィジョンを信じない!)を貫徹することによって、疑似科学・似非科学をズタズタに斬り刻むのと同時に、浅田は全体主義的イデオロギーも粉砕するのである。

初出 mixiレビュー 2013年02月28日 06:56

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