アーバンギャルド「アバンデミック 【豪華盤】 」について パンデミック状況下で聴く「人間のための音楽」
初出 amazonレビュー 2020年11月29日
Covid-19によるパンデミック。街を行きかう人はマスクを装着し、密を避ける生活が推奨され、感染症の第三波に行政は時短営業や自粛要請に言及するようになった。アーバンギャルドは『アバンデミック』は、このような状況下、2020年11月に発表されたアルバムである。
1月に『TOKYOPOP』を発表したアーバンギャルドは、緊急事態宣言によりライブツアーTOKYOPOP TOURの中断を余儀なくされた。しかし、アーバンギャルドは、その時々に起きる事件や出来事に触発されて、作品に仕上げてきたグループでもある。今年2枚目のアルバム『アバンデミック』は、前衛爆発。パンデミック=感染爆発に抗して、聴く人各人の自宅を、アーバンギャルドは、前衛的でポップな音楽で、ライブハウスに変えてしまう作戦に出た。
1曲目は「神ングアウト」、この場合のカミングアウトは、自分が神=能動的主体であることを宣言することを言っている。「少女元年」の延長線上にあるアルバムのリード曲と言えよう。
2曲目「君は億万画素」、疫病やズームといった言葉が見られるが、幾ら画素数を上げて行っても、断片的な人間像が増えるだけで、人間の実存には届かないということを言っており、「コインロッカー・ベイビーズ」の主題を引き継いでいると言える。
3曲目「マスクデリック(ver.2.0)」、コロナ禍の状況を描くだけでなく、歌う事や発言する事に対する同調圧力や閉塞感も描き込んでいる。人間は言葉(観念)に取り憑かれ、言葉(観念)によって操作される事がある。同調圧力も、言葉(観念)によって起き、言葉(観念)よって強化される。「言葉のウイルス」という歌詞から、ウィリアム・W・バロウズの「言語ウィルス」という考え方を連想するのも間違いではあるまい。というのは「マスクデリック」から、YMOの6枚目のアルバム『テクノデリック』を連想する人もいると思うが、10枚目のアルバム『テクノドン』の1曲目「BE A SUPERMAN」にウィリアム・W・バロウズの声が使われていて、YMOは、テクノポップの先行者だけに、アーバンギャルドがそうした文化圏の空気を共有していることはあり得ることだと思う。
4曲目「映えるな」。「神ングアウト」とともに、アルバムの基本コンセプトを開示した第二のリード曲である。この曲に関しては、檀上大空による素晴らしいアニメーションPVが、YouTubeで公開され、話題となっている。「映えるな」の主人公「僕」の行動を触発しているのは、映画のなかの「千年女優」(今敏による同名のアニメ映画を連想させる。尚、今敏監督作品に「PERFECT BLUE」があり、作中で元アイドルの女優が「タブルバインド」というドラマに出演する。アーバンギャルドにも『少女の証明』収録の「タブルバインド」という曲がある。この言葉は、文化親類学者グレゴリー・ベイトソンの用語に由来する、スキゾフレニーを誘発しやすい二重拘束状態の人間関係を指し、「PERFECT BLUE」と『少女の証明』に直接の関係はないが、奇縁と言えよう)たる彼女である。いつの時代でも、一定のルーティンを突き破るのは、恋愛である。ドゥルーズ=ガタリを適用するなら、「千年女優」たる彼女は「機械-対象a」であり、「機械-対象a」に触発されて、映画(表象)と生活世界はまったくの別の世界であるという常識を形作っているシニフィアン連鎖の切断を図ろうとする。スクリーン越しに「千年女優」を無関係な傍観者として観ているだけ、或いはインスタ映えのような表象=代理機能に絡め取られる生き方に対して、一回限りの生の鮮烈な生き方を提示すべく、夏の海に「映画」の外で彼女と知り合った「僕」は、告白を試みる。それは、やがて映画(表象)/生活世界、桜(死)/花(生)、SF的宇宙(夢)/瓦礫(現実)といった二項対立からなる境界線を爆破して混戦状態を造り、映えなくとも「すごい生き方」(雨宮処凛に同名の本がある。雨宮処凛も、アーバンギャルドも、日本の自殺件数の多さを問題にしている。月乃光司氏をキーにすると、戸川純、雨宮処凛、アーバンギャルドの関係性が見えてくる。)を回復させようとする試みではないだろうか。いや、そこまで突破することは、美醜を超えた、自己の可能性を炸裂させるような「超すごい映え方」なのではないか。
5曲目「チャイボーグKYOKO」、チャイボーグメイクは、立体小顔・キリリとしたアイラインを特徴とした中国美女のメイク法で、マスクメイクとして注目された。この曲ではメイクを例に、自分を好きな自分に変えることの重要性が謳われている。自分らしい自分である事は、女性に限定される問題ではないし、歌詞中にLGBTに言及し、人間全体に関わる問題だと言っているのが注目される。「トラウマテクノポップバンド」アーバンギャルドから「痛いほどガーリー」が取れ、改めて「人間のための音楽」が強調されたのである(「人間のための音楽」というキャッチフレーズは、実は2009年からアーバンギャルドのリーダー松永天馬氏が言い続けている)。チャイボーグから、ダナ・ハラウェイの「サイボーク・フェミニズム」を連想してもいいだろう。「神ングアウト」もそうだが、能動的主体たる女性像を打ち立てることも、アーバンギャルドのプロジェクトのひとつになっているのではないか(私はアーバンギャルドを音楽だけでなく、文化総体のアヴァンギャルドを指向するグループだと考えている)。
6曲目「アルトラ★クイズ」、数々の歴代のクイズ番組の名前を散りばめながら、生と死を問う。冒頭から本川達雄『ゾウの時間ネズミの時間』を想起される問いが為され、人間どころかマルチスピーシーズの問題に変貌する。
7曲目「クラブ27」、27というのはジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、ブライアン・ジョーンズ、ジム・モリスン、カート・コバーンらの死亡した年齢であり、そこからThe 27 Clubという都市伝説が生まれた。
8曲目「バンクシーの恋人」、謎のストリートアーティスト、バンクシーを題材にした楽曲。政治的破壊性を持った作風の現代性に注目すると同時に、正体が謎である彼の属性を利用して、未知の部分を知ろうとすることが恋だとする曲に仕上げている。
9曲目「シガーキス」、アーバンギャルド『少女は二度死ぬ』に収録された「月に行くつもりじゃなかった」に対するアンサーソングにして、苦味のある大人の恋の歌。
10曲目「白鍵と黒鍵のあいだで」、緊急事態宣言下の人のいない廃墟と化した都市を背景に、高度化したテクノロジーと人間不在(自動ピアノ)、環境の改変と破壊(農薬)、消費資本主義の終焉(株式市場)、CGによる模造現実(クロマキー合成)、自動化された戦争(透明人間、ミクスト・メディア)、購買欲の減退(閉店)、時間感覚の停滞(二十四時間営業)が描かれ、憂鬱と不安感と停滞感でピアノを弾く手が縺れはじめる。最後に行き着くのは、愛の不在。パンデミックが引き起こした光景に、SF的想像力が加味される時、世界の終焉が幻視される。この憂鬱感は『資本主義リアリズム』のマーク・フィッシャーと同一のものだろうか。それとも、加速主義の幻想が破綻した果ての亀裂がもたらしたものだろうか(加速する前に、資本主義が瀕死の状態)。アーバンギャルドは、アルバムの中に1曲、最大級の問題曲を投入してくることがあるが(過去作では『少女の証明』収録曲の「あたま山荘事件」、『鬱くしい国』収録の「戦争を知りたい子供たち」)、今回はこの曲が超問題作だろう。
11曲目は「ダークライド」。タイトルは「闇に乗れ」の意味。歌詞中に「暗夜行路(ダークロード、志賀直哉の小説)」、「ダークツーリズム(東浩紀編『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』を想起させる)」があるが、ニック・ランド『暗黒の啓蒙書』、アンドリュー・カルプ『ダーク・ドゥルーズ』や「ダークウェブ」といったダークを冠した言葉を想定しているのかも知れない。とはいえ、曲調は陰鬱ではなく、世界の「ダークサイド」に触発されながら、地獄や天国、世界の果てまで行こうという冒険へと誘う曲となっている。この曲が最後に置かれているのは、「また会おう、地獄でな」という意味だろう。従って、この曲がフェイドアウトすると同時に、1曲目並行し、無限ループに入る。そう、クセになる曲の数々は、私たちを掴んで離さない。
(このCD買ったら、しばらく、緊急事態でおうちに居なさいと言われても、おうち生活が愉しくなるよね。うーん、それを言っちゃおしまいよ、というところはあるけれど、本当のことだから仕方がない。愉しいものは愉しい、認めるしかない。)
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