Rose&Rosary 6thアルバム「XANADU」について Rose&Rosaryの描く聖なる理想郷 ザナドゥー

初出 amazonレビュー 2020年11月21日

かつて「Xanadu」 といえば、オリビア・ニュートン・ジョンの映画を意味した時代があった。またある時には、ホリプロの芸能人女子フットサルチームを意味した事もあったような気がする。しかし、今や廃墟に浮かび上がる架空の空間は、Rose&Rosaryの描く聖なる空間なのだ。
「クロノグラフ・リセット」、機械仕掛けの時計の針に支配された世界。ここは人間を死に追いやる時計館か、現代文明が行きつくディストピアたる「モダン・タイムス」の世界か。ゲーテの『ファウスト』ばりに「ワルプルギスの夜」が語られ、クロノグラフの支配する牢獄の外側、自由への讃歌が謳われる。そう、Rose&Rosaryの神髄は、人間の持つ精神性への信頼が基底にあって、薔薇と十字の名の基に、常に愛と自由に向かう軌跡が描かれるのだ。
表題作「Xanadu」ではアルバムの基本コンセプトが明らかになる。世界の崩壊、暴虐や戦争。ザナドゥーは、これらを逃れたところにある理想郷として語られる。ザナドゥーを希求する心の背景には、君への想いがある。君が遺した夢に、形を与え具現化すること。
「アルカナスター」。アルカナは、タロットのそれを意味するのだろう。タロットの星は、希望を意味する。「Xanadu」とは別の角度から、理想を求めて旅する冒険譚が謳われる。
「花ハ折リタシ梢ハ高シ」。リアル(現実)とイデアル(理念)が交錯する場所に実存する私。Rose&Rosaryによるラブソングは、決してお花畑の物語にはならない。現実に即しながら、夢や理念を手放すことも出来ず、苦闘する。そうだからこそ、Rose&Rosryの音楽は、私たちに寄り添う対話の相手になりうるのである。
「ミルキーは魔法少女!?だもん。」一瞬、ペコちゃん人形のコレクターでもある私のことを考慮した不二家のキャンペーンソングかと目をパチクリしてしまったが、そんなことはない。魔法少女に仮託して、勇気をもって突き進む女の子たちに贈るエールの歌である。
「エトランゼ」。コロナ禍によって『ペスト』が注目されたフランスのノーベル賞作家アルベール・カミュのもう一つの代表作がL'Étranger、邦題が『異邦人』である。『異邦人』の場合、外国人の意味ではなく、局外者を意味したが、Rose&Rosaryの「エトランゼ」も世界に対する「よそ者性」を明らかにしている。カミュを始めとする実存主義系の作家は、人間をハイデガーのいう「世界-内-存在」だとするが、サルトルによると私たちは何ら根拠もなく世界に投げ込まれて存在するという。「エトランゼ」の歌詞では我々は産み落とされて存在するが、その世界に慣れる事も出来ないという。もう、これでハイデガー&サルトルと同じことを言っているわけですよ。それで、人生がプログラムのように規定されていることへの反撥があり、そこからの脱出と自由への道が語られているわけ。『自由への道』ですよ。もろサルトルですよ。しかも、たぶん意識せずにやっているんじゃないかな。作詞のSION嬢は、天才ですね。
「ANATEMA SAGA」、闇を剣で切り開き、光の道を歩むヒロイック・ファンタジーの世界ですね。「光の子と闇の子の戦い」が『死海文書』の中にありましたが、こういう思考法は人類に普遍的なものなのでしょうね。
「OVERTURE」。謎の解明が、物語の駆動力となる事が多々ありますが、この曲では世界と言う謎を提示していますね。ドイツの哲学者ヤスパースに、世界を暗号文字と見做す考え方があって、それと似ているんじゃないかと思います。
「Prince of Monsters」、伝承・福音・約束の地……バワーワードで否応なしに冒険に誘う曲です。その旅路で、人は自己を探求するのでしょう。
「はらかつ!3」、そういえば、私ははらだなのですが、昔、同級生にはらたという男の子がいて「はらたつな」と言っているのを思い出しました。しかし、「はらたつ」の変形で「はらかつ」になるとは考えなく、やはり私、原田の「かつどう」の事を言っているのに違いありません。たぶん、原田の活動を見ているとワクワクし、好きが溢れて、幸せになるという歌なのでしょう。そうに決まっている!
「IMAGICA」、奇蹟は魔法じゃないって言ってますね。早速、魔法少女の喩えが撤回され、真剣勝負になってますね。そういうところ、素敵だと思います。愛や恋に真剣勝負になるのって。
「純潔のインフェルノ」。究極の魔法が、心にあるというのも凄いんですが(真実を言い当てていると思います。)カルマとか宿命とかの重さが、この曲の個性になっていると思います。
「ラ・レボリューション」、宵の明星が出てきますが、金星のことでしょうか。金星と革命。
「コッペリアの狂想曲」、バレエのCoppéliaか、E.T.A.ホフマンの『砂男』かな。
「レガリア」、レガリアは王権の象徴であり、それを所持することで王としての正統性が確保される。
「アマタテラス」、しかしバラエティに富んでますね。このアルバム…。
「焼餅!マツモト大飯店」、最後はこの曲で〆るのですか。格好良く、幕を下ろすことが出来る状態になったところで、おちゃらけに走る。これも照れの一種なのでしょうか。

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