うどんが嫌いです
0.はじめに
本論では、筆者がうどんのどこが嫌いかということについて述べる。うどん、中でも有名なのは讃岐うどんであるだろう。香川県には弘法大師空海が唐の国からうどん作りに適した小麦と製麺技術を伝えたという伝説がある。一方で、麺の伝来は空海の帰朝100年前の遣隋使、遣唐使の時代という通説もあり、うどんは、1000年以上に渡って愛されてきた伝統の食文化である。昭和45年の「大阪万博」の小さな売店でうどんは讃岐うどんとして1日に4000食もを売り上げ、讃岐うどんの認知を全国に広げるきっかけになった、と「京樽すし三崎港」高橋保男さんは語る。
さて、このことからも確認できるようにうどんというのは長く日本人に愛されてきた食であるが、筆者は「長く日本にある」がゆえに食文化の老害的ポジションの食べ物になっていると考えている。以下ではその理由について3つの観点から述べていきたいと思う。
1.うどんが孕む老害性
1-1.しこしこ
最初に、上記に引用した全国製麺協同組合連合会が述べるうどんの定義について再度目を通していただきたい。なかでもいちばん目を引くのはこの箇所だろう。「シコシコとした触感」。近年の日本で「シコシコ」という擬音は、うどんと男性のマスターベーション以外で使われない語彙である。マスターベーションのシコシコは「しこる」という動詞に由来しておりこの動詞は「熱中する・盛んにする」という意味であるが、さて、うどんの麵のシコシコというのが「熱中している触感」であるはずはない。うどんのシコシコは副詞で「弾力があり歯ごたえの強いさま」をあらわしておりマスターベーションのシコシコとはそもそも言葉が違う。
ここで疑問だが、弾力があり歯ごたえが強い食べ物と言われて思い浮かぶ食べ物はなにもうどんだけではない。例えば、グミ、いか・たこなどの海鮮、アメリカンビーフなども、ものによってはある程度の弾性係数を感じることもある。ここで思いつくだけでも、シコシコという言葉を使っていいと感じるものは多い。しかし、私たちは「シコシコしたイカ」とか「シコシコしたお肉」などとは言わない。要するにシコシコという副詞はもはや、うどんのためだけに存在している。うどんの触感の表現として長く使われてきた言葉だからいまだにシコシコをうどんの表現に用いているといえる。しかも、シコシコしているという言葉について正しく「弾力があり歯ごたえが強いさま」と認識している人々はどれほど多く存在しているのだろうか。
子どものころに10回クイズをやったことはあるだろうか?
これに代表されるようにあらかじめ受けた刺激によって、無意識に影響されることをプライミング効果という。
TENGAヘルスケアによるインターネットアンケート調査によると日本の男性は平均して週に2.94回マスターベーションを行っている。週に約3回、2週で6回、ひと月では二桁回以上にものぼる。普段行っているマスターベーションの方法では95.4%の男性が「手を上下にピストンさせ、ペニスを刺激する」と回答している。言い換えればシコシコである。週に3回もペニスをシコシコしている男性は、うどんがシコシコしていると言われたらそれはきっとマスターベーションの動詞として連想する。プライミング効果により、あらかじめシコシコした刺激を受け取れば無意識にシコシコという言葉でマスターベーションが連想されてしまうのである。
シコシコから性的な発想につながるのは仕方がない。私の主張は、性的な発想につながる言葉を、食べ物に使うのは時代遅れではなかろうかというものである。例えば私たちは女性器をまんこというが、新生児の名付けにまんこという言葉は使わない。万子という漢字をあてがい「八百万の神に愛される子になりますように」などと意味を付け加えても使わない音というものがある。こういった言葉はセクシュアル・ハラスメントを内在していることが理由だろう。女性に「彼氏いるの?」と聞くだけでもセクハラと言われるこの時代に、女性に「触感がシコシコしていておいしい」という発言をさせることがセクハラだと考えることは突飛な考えではなかろう。
以上より私が「シコシコした触感」に対する意見は三つである。一つ目は、シコシコというのはうどんの触感にのみ使われる副詞であり使われる対象も少なく、正しく意味を認識されているかも怪しい擬音であるということ、二つ目に、シコシコという言葉からは性的な連想を得てしまうということ、最後に性的な連想を得てしまう言葉を用いることはハラスメントの側面があり、時代遅れであり、いまだにこういった言葉でプレスリリースされるうどんに対する嫌悪感はぬぐえないと主張する。
一言「シコシコ触感」へ筆者の感想を付け加えるのだとすると、シコシコ触感は美味しくない。
1-2.うどんチェーン店にみる創作うどんの限界
(未完)
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