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2018「水銀鉱採掘跡・丹生日ノ谷」を訪ねて

三重県多気郡多気町丹生に、日本有数の水銀坑道が残されています。

前々から「丹生」に関心もっていましたので、この連休に訪ねてみました。

大和国からは東の国境の高見山を越え(和歌山街道)て伊勢国に入りました。

櫛田川と宮川にはさまれた、普通に田園風景の端に「水銀鉱坑道入口」はありました。

砂利舗装された駐車場には車一台もありません。意外に人里に近いところに鉱山があるんだなあという印象でした。(でも昔はどうなんだろう? 現代の風景で判断してはダメよね。)

入口まで100m。ここから歩きます。


説明板がありました。ご当地のことを「我が国を代表する水銀鉱採掘跡」って書いてある。


もっと、山ん中分け入ります。


すると、こんな説明板立ってました。

内容は、丹生水銀が東大寺大仏のメッキ使われたことや、昭和48年閉山したことその他です。


行き止まりにちょっとした平坦地があって、「水銀製錬装置」なるものが現物展示されてました。


どこがどうなって水銀が採れるのかな?

わかんない。


これ読んでも、まだよくわかりません。「左」の表記が曲者です。どこに立って誰の目で右左なんでしょう?

でも、何回か読んでると、なんとなくですが原理はそう難しくなさそうに思われてきました。


実際に使われた坑口(坑道出入口)も残されています。


もちろん坑内には入れませんが。


こんな説明板もありました。こちらには「休山」って書いてありますね。

「火の谷」の呼び名に惹かれました。ロマンが膨らむ感じします。


ところで、丹生水銀鉱跡近くにある、神宮寺(真言宗)の奥に「丹生神社」が鎮座されております。神仏習合の歴史あるようです。そういえば、そんな雰囲気あります。

丹生神社には鉱山用具が神宝として残されているという。

神宝に関係しますが、「丹生(ニウ)」の「丹(ニ)」は、赤色土や水銀化合物の産出を意味することはよく知られています。「丹」は辰砂、丹砂、朱沙、丹朱ともいうようです。

ただし「丹生」は、水神信仰における「水生」の転訛・改字のケースもあるとのこと。従って地名に「丹生」がついているから必ず水銀産地であるとはいえないようだ。(「奈良の地名由来辞典」池田末則氏)

ご当地の「丹生」は、証拠として水銀鉱山が現実にありますから、「水生」の転訛ではありませんね。

丹生神社のさらに奥にこんな社と説明板がありました。

その説明読むと、「丹生一族は九州から瀬戸内紀伊半島から伊勢まで朱を追って移動した」と書かれています。



水銀には、鍍金(メッキ)や白粉などの公式使用法のほかに非公式使用法があったようです。一つは堕胎薬として。そのへんを、疑って疑って、もっと調べてみたいなあと思っています。

とりあえず、2018はおしまいです。2019がんばって勉強することにします。

(想像・憶測ではなく証拠や現物あるいは事実だけで書くよう意識しました。なのでおもしろくないですが、そこはそれ、そのための創作(小説)があるのですから、そっちにおまかせましょう。笑 )

2018.12.31