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墳活[小山田古墳/明日香村]


小山田古墳(こやまだこふん)は、その名にふさわしくなく、大山(おおやま)な古墳です。
正確には、大山な古墳でした。埋没古墳です。

というのは、昔に削平されて、今は畑と養護学校があるだけだからです。学校の教室棟改築事業に伴う発掘調査(第5次)の結果、一辺70メートルの方墳だったことがわかったという。平成26年のことです。

石舞台古墳が一辺50メートルなので、それよりずっと大きい。日本最大級です。

では、さっそく小山田古墳へ行ってみましょう。

北に「甘樫丘(あまかしのおか)」。南に「天武・持統天皇陵」。現在地はその中間です(現地設置説明マップより)


小山田古墳は、「文」のあたりです。亀石と菖蒲池古墳も近いです。


小山田古墳(南から)。今は畑と学校が建っている


小山田古墳の南西端(信号あたり)


道路(歩道)から古墳の南端を見上げたところ


う~(想像力ためされてるなあ)


横穴式石室(痕跡)の存在が明らかになったのは、平成28年の第8次調査でらしい。

なので、まだ8年です。あまり知られていないのも無理ありません。(学校があるので見学はできません。ひっそりと、そっとしてある、って雰囲気です。)

着色部分が古墳範囲。下図は旧地形(学校はまだない)なので田んぼばかりです(現説資料より)



石積みの上段平坦部は学校敷地につき立ち入りできません


古墳の南端と思しきあたりに細い道(耕作道?)があります。そこを行ってみましょう。


耕作道は古墳の南端あたりを東西に横切っています(現説資料より)


耕作道から南東を望む。正面の山麓に橘寺がある


耕作道から西を望む。古墳は右です


耕作道から南を望む


小山田古墳全景。上は北西を鳥瞰。下は北を望む(現説資料より)


今は埋め戻されています


小山田古墳の北端あたりから南を望む(建物は校舎)

手拭い首にぶら下げて(暑い)、小山田古墳を半周しました。現場に立つとイメージできるものがありますが、こうして写真でお伝えしようとすると、難しい。きっと、何がなんだかね~という感じでしょうね。


小山他田古墳の被葬者ですが、二つの説があるようです。

一つは、舒明天皇の初葬墓。
もう一つは、蘇我蝦夷の生前墓。


舒明天皇が改葬されたという「舒明天皇押坂内陵」については、「鏡女王・万葉歌碑」に紹介していますので、末尾に掲載しておきます。


[おまけ]



明日香は水の都でもありました。(ほんとにそうなんですよ。このことはいずれ別記事で。)

50メートルほど行きますと飛鳥の亀石が鎮座されておりますが、今日はまだまだ暑くてね。ご挨拶に行きません。


おしまい
2024.8.12

(参考資料)
小山田古墳現地説明会資料(第7~10次調査) 橿原考古学研究所


「舒明天皇押坂内陵」紹介しています↓