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伊賀紀行4 「芭蕉足跡 記念館と俳聖殿編」

今回は、「芭蕉翁記念館」と「俳聖殿」をたずねます。

いずれも上野公園のなかにあります。


上野公園には、伊賀上野城、俳聖殿、芭蕉翁記念館、忍者博物館などがある


記念館入館料は300円ですが、「蓑虫庵」と「芭蕉生家跡」の三個所共通券だと、たしか700円でした。私はセット券にしました。


(芭蕉さんと源氏物語は関係あんの?)


記念館ではちょうど「令和6年度企画展 芭蕉と源氏物語」を開催中でした。


(今日も人すくなそ)


記念館の建物は、明るくこぢんまりとしています。
奇をてらった様式でないのも雰囲気いいです。

迎えてくれる芭蕉さん 「一笠一杖(いちりゅういちじょう)」


[芭蕉と源氏物語]について

「NHK大河ドラマの影響で源氏物語が脚光を集めています。芭蕉さんとは無関係と思われるかもしれませんが、実はそうではありません。芭蕉さんたち江戸時代の俳人にとって、源氏物語をはじめとする古典文学は必須の教養であり、創作の源泉にもなっていました。」(企画展チラシより)

「芭蕉は、伊賀で藤堂新七郎家に仕え、俳諧に出会ったころ、貞門俳諧に親しんでいました。貞門俳諧は、源氏物語を含むさまざまな古典をふまえて句を詠むため、知識が必要で、このころ多くの作品に出会ったと考えられます。芭蕉は、江戸時代を通じて愛用された源氏物語の注釈書『源氏物語湖月抄』を執筆した北村季吟に教えを受けたともいわれ、若いころに見つけた古典文学の知識を大切にしながら、生涯作品を生み出し続けました。」(企画展チラシより)


なお、展示物(文書資料含)の写真は撮ってません。


(「古典文学は必須の教養」か。こりゃあかんわ!)


古典文学の学びの壁が高いので、私が真似できそうなのは、とりあえず「旅」ですな。

芭蕉さんは「旅の詩人」「漂白(さすらい)の旅人」といわれ、すんごい旅好きでしたからね。外形的には真似できそうです。

   旅人と我名よばれん初しぐれ   芭蕉

[芭蕉さんの主な旅]

「野ざらしの旅」    門人千里(ちり)と近畿地方へ
「鹿島詣」       曽良と宗波を伴い鹿島詣へ(鹿児島ちゃうよ)
「笈の小文の旅」    上野帰郷、吉野・大和巡遊、須磨・明石遊覧
「更科の旅」      越人が同行し木曽路を経て美濃、信州更科へ
「おくのほそ道の旅」  曽良を伴い行程六百里、百六十日間の長旅へ

芭蕉は西行と同じように、簡素な僧形で、「一笠一蓑」を携え、四季とりどりに彩る自然のなかを、辺鄙な土地に素朴な人情をたずね歩きました(芭蕉顕彰会「松尾芭蕉」より)


芭蕉さんの旅姿は、「僧形」「一笠一蓑(いちりゅういっさい)」であったと。


その旅姿を建築に表現したのが、「俳聖殿」です。俳聖殿は、記念館から歩いてすぐ。移動途中にある忍者博物館には、今回立ち寄りませんでした。


俳聖殿は、松尾芭蕉の生誕三百年を記念して昭和十七年(1942)に建てられた
上層円形平面の木造重層で、屋根は上下層とも檜皮葺き
国指定重要文化財(建造物)
建立着想者川崎克氏、指導伊藤忠太博士。こんな奇想を実現してしまう伊賀(忍者)パワーに賛
堂内の芭蕉等身大座像は大伊賀焼きというが、見えませんな汗



芭蕉座像のお姿見えませんので、さらに具体の芭蕉さんの旅姿のイメージをふくらませるため、昔(令和三年度)記念館に来たときの企画展チラシをひっぱりだします。

おなじみの「破笠(はりつ)」以外にどんな芭蕉さんが描かれてあるのか知りたくない? というテーマの展示でした
だいたい偉そうですが、おかしみあるお姿も
考えてみますと江戸時代にあって芭蕉さんがもっていたは金でも権力でもなく「言葉のパワー」だけ。そこがすごーない?

実際のところイメージ通りだと面白くないですね。生活のいろんな場面でそう思います


次回「伊賀紀行5」は、芭蕉さんが処女出版「貝おほひ」を奉納したという「上野八幡宮」をたずねます。(まだ続くんかい! 一応「7」まで予定)

2024.5.26
(2024.5.31記)