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6月23日という日

小学生の頃から、
学校で沖縄戦の話を聞く授業があったり、とりあえず小さい頃からそんな話を聞くことがありました。

「慰霊の日は休みだ!いぇーい!」

大人になった今でもそんな気持ち。
かといって、意識してなかったわけでもないけど、なんとなく慰霊の日のお昼12時に黙祷はしてた。

令和3年30歳。
地元のことを知る機会が増えるにつれ、自分のルーツや沖縄、特に地元南風原町のことを知りたくなった。

まずは地元の伝統芸能。知らないことばかり。
知らないことの恥ずかしさ。

そして戦争の話、全然ピンとこない。
「そんなことがあったんだ…」と胸は苦しくなるけど、対岸の火事で自分に落とし込めることができない。

何も分からないから、若いから、というのもあり、
変に重々しく考えてしまい、完全にタブーなことに触れているんだ、と。


沖縄戦について話すことも、考えることさえも勝手に自分の中で制御してしまってました。

何も知らないくせに、
戦争の話になったらとりあえず重たい雰囲気で、それなりの言葉を考えて自己表現することしかできない。
そんな自分が本当に嫌で、でもそれ以外の表現方法が分からない。

30歳になってやっと、
「どうして表現方法が分からないのか?」と考える。
そしてたどり着いたのが、何も知らないから、何も知らないから過剰に重々しくとらえるし、何も言えない。

そうなると、自分の子どもにも語り継ぐこともできない。

………

とっても遅いけど、
ますは知ることから逃げずに自分の出来る限りで沖縄戦のことを知って、まずは自分に伝えていきたいと思います。

分からないから、どうしていいか分からない。
知ることから逃げない。 

慰霊の日の黙祷の瞬間に、
少しでも、これまでとは違った自分の想いを祈ることができればと思います。

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