地下アイドルオタクの戯言(二言目)


当たり前ですが、関東民の自分からすると、名古屋は近くはなかったです。仕事もありますので、平日のライブは行けませんし、新幹線で通っていましたので、交通費もそれなりにかかりますので、土日の一泊二日で休めるタイミングで行っていました。元々、出不精で旅行なんて行きたがらなかった私が、毎月のように泊りでお出かけするようになって、両親が一番驚いていました。
推しは、ほぼ毎日配信をしてくれていましたので、仕事中だろうが聞いていました。行けないライブの話なども当然出てきて、その度にモヤモヤしたのを覚えていますし、今でも配信やSNSの投稿で行けないライブの話を聞くのはモヤモヤしてしまいます。その他にも自分のメンタルの弱さから、色々推しに負担をかけてしまうことがありました。最初の推しとは配信、SNS、特典会などで本当に色々な事を話しをした気がします。いわゆるガチ恋、自称TO(笑)というやつでしたので本当に面倒くさいオタクだったと思います。それでも真剣に向き合ってくれてた推しには頭が下がります。20歳も年の離れたおっさんによく我慢して付き合ってくれてたなと、今になると思います。

色々、色々があり推しの事を相談する相手として、同期デビューの同じグループの他メンバーの配信に行くようになり、まぁ、恋愛によくある話ですがそのメンバーも好きになりました※単純
その子もその子で…その子の話はまた今度で。

ライブだけでなく一度だけでしたが、撮影会にも参加しました。カメラの趣味はなかったので仕事用のデジカメとiPhoneのカメラで撮影していました。だいたいのアイドル撮影会はそうだと思いますが、撮影よりもお話をすることがメインですので一緒に居られて幸せな時間を過ごしました。
シナモロールが好きな彼女に何度かグッズをプレゼントしましたが、その度に喜んで配信やSNSに上げてくれるのが嬉しかった。

6月、7月とそれなりに通って、私の誕生月の8月、新メンバーのデビューもあってお盆休みに行く予定だったのが、推しの新型コロナ感染で咳がなかなか止まらない後遺症もあったり、私もちょうど誕生日から新型コロナにかかって、当時は10日間の自宅隔離…踏んだり蹴ったりの誕生月でした。そのため、9月は初の日帰りでのライブ参戦、午後のタイテだったので何とか。ちなみに名古屋からの終電が21時半とかなので、特典会に参加できないときも何度かありました。

その頃には名古屋に通うのに慣れてきて、他のオタクさん達とも話をするようになったり※配信やSNSで目立っていたので、最初から名前を知られていました。といっても、人気のあるグループとは言い難い、常時の動員が4,5人いればいい方というグループだったので、すぐに他の方たちの顔は覚えられましたが…※また後日書きたいと思っておりますが、いかに地下アイドルが難しいかもこの時に感じました。

今回はこの辺りで、今回も読んで頂きありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?