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ネットの端っこで好きとつぶやく

こんにちは、タダノです。
今年の6月下旬から、Twitterでとある試みをしていました。
それは、「好きなものをだた好きというだけでツイートする」というものです。

ちなみに私は、普段は三題噺やら詩やらを書いています。

そのころ、ネットでの誹謗中傷が問題となっていました。

数々の痛ましい事件の関係者は、私の知り合いではありませんでした。

ですが、私の周りにも、誹謗中傷に耐えかねて筆を折った友人や、ファンだった物書きさんがいらっしゃいました。

ネガティブな言葉は、心に深く鋭く刺さる

とある研究によれば、ネットで誹謗中傷を行う人は利用者の1%未満なのだそうです。彼らの中には手を変え品を変え、それなりの人数がいるように見せかけながら誹謗中傷を繰り返す人もいますが、それでも実際は「世界中の人が自分を批判している」とはとても言えない程度のささやかな人数しかいないはずなのです。

では、なぜ、人は誹謗中傷によって大きく傷つくのでしょう。

それは、基本的には人間はネガティブな情報に注目するようにできているからです。
今でこそ都市を築いて生活している人間ですが、長い歴史のほとんどは自然の中で暮らしていました。野性的な生活を送るときには、ポジティブな(言い換えるなら、自分に都合の良い)情報よりも、ネガティブな(自分に都合の悪い、命にかかわるような)情報に注目していた方が、生存率は高かったのです。
その性質が悪用されたものが、誹謗中傷による攻撃なのだと、私は思います。

とりあえず、私にもできることを

「誹謗中傷はいけないことだから、やめなさい」というのは、簡単です。
誹謗中傷を行う人を取り締まるのも、もちろん大事です。
ですが、誹謗中傷を行う人について、私はよく知りません。その理由も、彼らの心情も、普段の日常生活も、知りようがありません。
もっと言うなら、人の行動を変えるのは、簡単なことではありません。
では、今傷つけられているかもしれない、自分が好きな人たち、ものたちに、何かできることはないだろうか。
そう考え、「日ごろからTwitterで好きなものをつぶやく」というささやかな行動をとることにしました。

それは、あまりに遠回しかもしれませんが、批判の渦中にいる人の力になれればと思ったからです。
誹謗中傷は、1発が人の心に鋭く深く刺さります。ポジティブな思いはそうではない分、日ごろから、数の力にも頼って、発信していくことが、私が好きな人やものにできる精一杯の応援になると思いました。

ただ、私はもともと、人とかかわるのも得意ではないですし、あまり自分の好き・嫌いの価値基準が正常とはいえません。(変な趣向があるという意味では……ないですよ? た、たぶん)
なので、最初は「好き」をつぶやくのは、かなり勇気のいることでした。
「これは便利」「これはお得」「あの人はすごい」「あの人は才能がある」は、私にとっては「好き」よりも言いやすい言葉です。なぜならそれらは情報だから。何かしらの根拠が"自分の価値観の外"にあっても許されるのです。ですが「好き」の基準は100%自分の中にあります。しかも「好き」という発信は、前述の情報たちよりも注目を浴びません(発信者が有名な方とかでもない限り)。「私が〇〇を好き」という情報は、私か〇〇か、そのどちらかに注目している人々にとってしか、価値が無いからです。(みんなが〇〇を好き、といえば、流行の情報になるのですけれど)
それでも、自分にはそんなことしかできそうになかったので、やってみることにしました。

「好き」を発信するときの作法

「好き」を発信するときに、気を付けていることがあります。それは「他と比較をしない」ということです。「Aと比べてB」という文法は、物を売ったりするのには必要なことですが、私はただ「好き」を発信しているだけです。「好き」の基準は私だけのものであり、上下を決める必要もなければ、同列1位がいくつあってもいいわけで、「Aと比べるとBの方が好き」という文にはあまり意味が有りません。あと、世の中にはAが好きな方がいらっしゃいます。自分が好きなものを応援するために誰かに悲しい思いをさせるのは、よろしくないかと思いました。
とは言え、今後、話の流れで比較のようなものが入ってしまう場合もあるでしょう。大切なのは、他の人の「好き」も尊重する、ということです。「Aも好きだけど、Bももっと好き」と言ったような、自分も相手も話題になったあの人もこの人も、幸せになるような言葉を探して呟きたいな、と思っています。

実際に呟いてみて

実際に発信してみたところ、まあやっぱり、急激に数字が伸びるというようなことは当然ありませんでしたが(笑)いくつか、発見がありました。

まずは、好きなもののツイートにいいねをいただくと、まるで自分のことのように嬉しかったこと。自分のアカウントじゃないか、というツッコミが聞こえてきそうではありますが、私の脳内では「好きなもののツイートにいいねをいただく」ということは「好きなものに同意してもらえる」と変換されて、結果「自分ごとのように嬉しい」と感じたのです。この嬉しさの感じ方は他のツイートではあまり感じないものだったので、とても興味深いと思いました。

次に、ツイートを見てくださる方が増えたこと。青い鳥文庫の3シリーズをツイートした時には決まった方がいいねをくださいましたし、「笑いの文化人講座」をツイートした時にはbotがリツイートしてくださったおかげで多くの方が見てくださり、まだ笑いの文化人講座が人気であるのを知ることができました。好きなものが同じという仲間が見えたことで、自分まで肯定してもらえた気持ちになれたのは、嬉しい誤算でした。

最後に、自分も誹謗中傷の加害者になるのではないかという恐れが薄れたこと。ネットでの誹謗中傷が話題になる度に、私はずっと、自分が加害者になる事を恐れてきました。ネットに限らず、世界には人々を熱狂させる仕掛けがあふれています。いつか自分が、我を忘れて、誰かを傷つける運動の一部になってしまうのではないかと心配していました。
今まではそういった心配への対策として、自分の感情は詩などの作品に昇華するということしかしていませんでした。

ですが今回、好きなものをツイートしたことで、自分から能動的かつ理性的にSNSで発信するということができるという自信につながりました。また物理的に言えば、人間が文字や言葉で発信できる量には限りがあります。発信するのに時間がかかる以上、寿命という時間の制限からは逃れられません。であれば、好きなものを発信している・ポジティブな思いを発信している分は、誹謗中傷を自分がしてしまうという心配をしなくていいと気付いたのです。

終わりに

もともと外交的でない私は、最近は好きなもののツイートの頻度を減らしています。ただ好きなものを好きだとつぶやくだけなのですが、おそらくいらないところで気を張っている為、心の体力を過剰消費してしまうのです。
ですが、休み休みであっても、好きなものをただ好きだとつぶやくことは、つづけていきたいと思います。
ネットの世界が好きで溢れて、意味の無い誹謗中傷の息の根を止める日が来るといいなと願いながら。



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