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わかってることはわかってなくて、わかってないことからわかってく

 昔から、ひらがなだけで表記しても違和感がない言葉で文を作ることが好きだ。「わかる」という言葉を「解る」とか「分かる」とか「理解る」とか表記することがあるけど、敢えて「わかる」と表記したい時がある。もちろん、個人によってそれぞれの表記を使い分ける意味を持たせている場合もあるだろう。
 他にもひらがなで表記することに違和感がない言葉で好きなのは「せい」だ。「人のせいにする」の「せい」だ。責任を押し付ける的な意味の、あの「せい」だ。というか「せい」ってなんだよ!って思う。書きながら改めて疑問に思ったので調べてみる。
 まず「せい」は「所為」だ。そういえばそんなふうに書いてある本もあるなぁ。さて、「所為」ってどんな意味なんだろう。

しょい
【所為】
1.
なすところ。しわざ。おこない。
2.
せい。
Googleより

 はい。ありがとうございます。「為す所」なんですね。無が有になったという感じなのだろうか。もう少し調べてみたけど、ネガティブなニュアンスが多い。果たしてそのネガティブは「所為」という言葉の意味なのか、人間の言語コミニュケーションの中で培われた意味なのか、どちらの「せい」なんだろうか。

 こんな感じで、普段気にも留めないようなことに疑問を覚えることがある。今は幸いスマホですぐに調べられる。でも、気にも留めずに過ごせるだなんて、それは純粋に「言語」が優秀だからなのだろう。「よくわからない」言葉でも「なんとなくわかる」ようになっている。
 つまり知らず知らずのうちに「わかる」バイアスの沼にいるのではないか。本当はわからないことも「わかる」と思える思考回路が構築されている。わかるバイアス沼では、「わからない」という思考回路に接続されない。「わからない」奴は外部だ。

わかるバイアス沼のイメージ

 「わからない」ことなんかどうでもいい。わかるかわからないかの違いもどうでもいい。ただなんとなく「わかる」状態なのが「ハア…… たまらんぞ……。」って感じ。ドラクエ6の狭間の世界にある「絶望の町」から行ける「ヘルハーブ温泉」が真っ先に頭に浮かんだ。
 わかるバイアス沼で生活している僕たちは、他人のことをわかろうとしてるんじゃないと思う。そうじゃなくて、他人のことを「わかっている」と確認したいだけなんじゃないかと思う。だから安易に「それわかる〜○○だよね〜」と同意に見せかけた決めつけを行う。「あなたの言いたいことがわかる」んじゃなくて「あなたのことはわかってる」ことを妄想している。

 わかるバイアス沼の僕たちは「わかる」と思ってることほど「わからない」という発想にならない。「わからない」こととは、「=興味のないこと」となる。だから「わからない」ことが「気にならない」温泉に浸かっている。体にはなんの効用もないが、一瞬でメンタルをのぼせさせる。
 今「のぼせさせる」って打ったら「逆上せさせる」って出てきた!「のぼせる」に漢字ってあったんだね。きっと今まで「のぼせる」の漢字に興味を持ったことがなかったんだろう。誰かに「のぼせる」の漢字を教えてもらうってなったら、僕はこの沼の中で受け入れられただろうか。

 わかるバイアス沼の住民であることを自覚した上で、「わかってることはわかってなくて、わかってないことからわかってく」という呪文を唱えていれば、いつかはヘルハーブ温泉の出口に辿り着く気がする。でも、辿り着かなくても「ハア…… たまらんぞ……。」という生活が待っている。どっちも最高じゃん。
 わかったつもりになって有名人にクソリプ飛ばして返り討ちにあってるのも「ハア…… たまらんぞ……。」って具合なのかもしれない。それを側から見て「うわ、クソリプ飛ばして恥ずかしくねーのかよ」って態度は「お前が恥ずかしいことをこっちはわかってる」という妄想だ。温泉の中で喧嘩してる。

リズムに合わせて
呼吸を合わせて
やっぱ合わないなってところを
愛すのさ

ちょっといいかげんくらいで
別にかまわない
さあ歌おう
天使たち
THE NOVEMBERS : ANGELS

 別にわかるバイアス沼から抜け出せばいいって話しじゃなくて、わかるバイアス沼に浸かりながらも「やっぱ合わないな」ってところを愛せればいいよなと思う。そしてやがて「合う」「合わない」もどうでもよくなる。言語で縛られてる感覚はすぐに二元論に陥る。多元的かつ一元的な境地は、わかるバイアス沼にあるのか、ないのか。
 ただ、わかるバイアス沼の住民が最も毛嫌うアイテムは「ラーの鏡」だろうな。

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