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まあ酷い職場だったわけよ

二〇〇九年の一月頃、僕は限界を迎えていて、転職をしたわけだ。

その際に、まあ、酷い会社を引いてしまったために、ヘルニアを患い休職、その後に労基にお願いして残業代を取り戻すという、面倒臭いことになった。

限界を迎えたワケ

当時僕は、某派遣会社からデザイン事務所に派遣され、印刷関係のデザイナー的な仕事を生業にしていたんです。

当時は正直経験も大してなくて、職場の上司から日々叱責を受けながら仕事をしており、それでも三年ほどその職場のお世話になっておりました。

そんな中で、その職場のお世話になる前に考えていた「Web系に転職したいなぁ」という想いは日に日に大きくなっていきました。

そもそも、最初はWeb系の仕事も覚えられそうな職場を探していて、その希望にそった職場としてこちらの職場を紹介していただいたのですが、Webの仕事は観光会社の定期的な更新業務程度で、残念ながら制作技術が身につくような内容や量ではありませんでした……。

そんな中で、現状の僕の仕事と、僕が目指している仕事の内容の乖離がどんどん広がっていく中で、僕の中のモチベーションもどんどん下がっていったのでした。

そして、ある日の帰り道。
「ずっとこのままなのかなぁ」と考え始めたら、次のステップに進まざるを得ない気がしてきたのです。
そうなると、もうこの職場では働けないと感じはじめ、ついには業務にも差し障るようになってきました。

そんな中で、問題の、とある会社への転職が決まった。

業態がわからない「ヒュドラ」な会社

その会社を、何屋かと問われると、答えに窮することになる。

悩んだ挙げ句に「いろんなことをやってる」としか言えなくなってしまうのだから、何の会社かと決めることができないのだ。

家具の販売、運送業、引っ越し屋、不用品回収業、人材派遣、ブライダル、結婚相談所、介護用品レンタル、宝石店、レンタルスタジオ、レンタカー……等々。

そうした様々な事業を行う会社の社内デザイナー的な立場で雇われた僕は、各業務のホームページの制作や見直し、ページの更新やSEO対策などに携わった。
他にも、ポスティング用のチラシを作ったり、自分でポスティングに言ったりもしたし、他の業務、例えば運送や引越の手伝いや、レンタカーの業務のサポートや不用品回収なんかにお携わった。

その時に、初めて手掛けたホームページが、こちらの記事の話。

このヒュドラのようにいくつもの業態に手を出している会社の社長は、痩せぎすで一見人の良さそうな男性だったんだけど、実は遵法意識が薄くて、社員を替えの効く道具か何かとしか思っていないような、典型的なブラック企業のオーナーで、就労時間以上の労働を社員に命じ、残業代は払わない。

有給?ナニソレオイシイノ?

ってな感じの社長の発言が割と多くて、社員の多くが七時出勤で退勤時間が終電間際という日々が常態化しており、その業務についていけなくなった社員がどんどんと退職していって、代わりの社員が次々に入社するという感じの、正直にいってクソのような会社だった。

自称「日本一トラックに乗ってるWeb屋」

Webの仕事にありつきたくて、この仕事についたものの、Webの仕事だけに携われるわけではなくて、本当に様々な業務を押し付けられた。

何故か毎日のように二トンのトラックを運転して、ある日は朝から高速道路を経由して愛知県から石川県まで先の方まで移動して、積んであった家具を引き渡し、金沢で学生さんの引っ越しの荷物を積んで、夕方頃に会社に帰って、その荷物を別のトラックに積み込んでからWeb制作の仕事をして終電ちょい前に帰るということもありました。

そんなこんなで無理が祟ったのか、ある時不用品の回収作業をしていて、帰社後にトラックの洗車をしていたら左足が痺れて動きづらくなりました。

翌日、仕事を休んで整形外科で診てもらったらヘルニアでした。

その後、どんどん左足が動かしづらくなり、やがて全く動かなくなってしまい、休業することになりました。

二ヶ月の休職と労基への相談

やはり、この状況はおかしい。

技術のない僕にチャンスをくれたと、当初は贔屓目に考えていたんですけど、自分の業務実態や周囲の雰囲気、そして同僚の様子をみていて、状況の異常さをヒシヒシと感じるようになり、その数週間前くらいから、社内システムの勤怠時間をスクショし、モバツイ(ガラケーが主流の時代にガラケーからTwitterを利用するためのサービス)で位置情報とタイムスタンプがわかるように記録し始めました。

同時に平日休みなのをいいことに、労基署に顔を出して何回か相談したりしていました。

その時は、その先退職するかを決めていなかったので、相談にとどめていたんですけど、いきなり訴えを起こすよりも、相談の実績を作っておいたほうが良いかなと思ったんですよね。

そして、休職した際に、動かない左足を引きずって、傷病手当の手続きと同時に労基署にも顔を出して、状況の説明を重ねていきました。

思うように歩けない状態で、タクシーに乗る金銭的な余裕もないため、必死こいて病院に通いながら、当時顔を出していたSNSで相談したり、他の社員と連絡をとりながら休職期間をすごしていたら、社内のネットワークがトラブったようで、社長からの電話が朝から夜中まで掛かってくるようになりました。

出社を求められたのですが、左足が動かないため出社を拒否して、代わりに退職届をメールで送信しました。

内容証明で残業代の請求

時を前後して、同じ会社の同僚が、不当な業務への慰謝料及び残業代の請求の少額訴訟を起こしました。

この時、証人として出廷してほしいと依頼されたのですが、健康状態やその当時の立場もあって、出廷できませんでした。

その事もあって、援護射撃になればと、労基署に正式に苦情の申し入れを行いました。

社内システムのスクショとモバツイの記録、そして日頃の業務の様子のメモをプリントアウトして労基署に提出。

すると、労基署の担当者が「あ、その会社は……」と、実はこの手の苦情の常連だったことがわかり、「んじゃあハロワに求人出しとくなよっ!」と心の中で強く思ったんですが、そんなことよりも残業代をどうするかのほうが大切なので、労基署から指示を頂いて、人生初の内容証明郵便を会社に送ることに。

その後、会社の社長が労基署で僕の勤務状況が不当だった(デザインの資料に持ち込んだ書籍や過去の制作実績などのレジュメをもちだして「仕事をサボって業務以外の作業をしていた」と報告)と報告したために再度労基署に出向くことになったんですが、結局請求した金額の四分の一程度ではありますが、支払われなかった残業代を取り返すことができました。

その後の話

その会社自体は未だにあるのですが、聴くところによるとかなり人員が減少しており、かつてのようなヤバい状況ではないようです。

ホームページの方も、HTML4.01のテーブルレイアウトのまま放置されているのもありますので、更新するので手一杯なのかもしれません。

まあ、流石にこういうことが続くとなると、商売の方の評判も悪くなるでしょうし、裁判だったりでお金がかかるのはデメリットしかないでしょうから。

ただ、社長の名前で検索をかけると、不採算の事業と思われるホームページがいくつか引っかかるので、得体のしれないヒュドラはさらに大きくなっているのかもしれません。

ともかく、まあ、そんな酷い会社もあったわけで、そこからすると少々残業が多くても、休日出勤が多めでも、お給料がいただけるだけでもありがてえやと思ったりなんかするんですよねぇ……。


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