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映画 『ヤクザと家族』 を観て

昨日は人間ドックで仕事は1日お休み。
たまたまこの映画の公開日と重なっていたので…行くしかないっしょ。バリウム飲んで下剤飲んで、2時間半も座ってられるか不安でしたので、出口から近いところで席を取る。平日だし幸い、誰もいない…。


※ここからはネタバレを含みますので観に行く予定がある方はここまでで!


あまり映画の内容についての感想とかではないです。この映画を観て自分なり受け取ったメッセージなどを書いていきます。

僕は先にmillennium paradeの「FAMILIA」の映像を見ていたので、大まかな結末は何となく予想はついてた。それでも非常に面白いというか、いろんなメッセージとしてこの映画を受け入れなければならないと思った。日本人ならなおさらそれを強く受け止めるべきだと。

僕は常田大希のファンなので、音楽であの世界観を見せつけられて、さすがにこの映画を観ないという選択肢はなかった。娯楽やエンターテイメント、芸術といった分野はこのコロナ禍において、不必要の類に分類されてしまってはいたが、やはり芸術やアートは絶対に必要なものなのだと痛感した。

人間、自分が属していない世界に触れる事は少ない。大人になればなるほど、さらにその傾向は強くなる。そして終いには、自分の属する世界のものさしでしかいろいろな判断ができなくなってしまう。日本人はその傾向が強いと思う。

それが1番表れていたシーンが、2019年編で賢治と細野のツーショット写真がSNSに載ってしまい元ヤクザの嫁&娘というレッテルを貼られ、由香は働いている役所を追われ、あやはハブられ転校を余儀なくされるシーン。
由香も長年役所で信頼を得て働いていたはずだ。周りの人間だって由香に頼ってたはずだ。しかし、元ヤクザの妻だという噂だけで実際に妻かどうかわからない状況でも、人はあそこまで手のひらを返す。
個人の人権とは何なのか。確かに、元ヤクザという事で本人が5年ルールや社会復帰に苦労するという件は、致し方ないと思う。
だが、妻や娘個人には罪はないと思う。ましては子は親を選べないのに。

マジョリティが正義でマイノリティが悪なのか?そんな訳がない。個人がちゃんとした自分の意思で物事を判断しないと、日本という世界は同じままだ。これは危機だ。右向け右が常に正義なんて事はあり得ない。
由香が役所を追われ、荷物をまとめて出ていくシーン、これが日本の縮図なのだ。悪かもしれない=排除。このシーンが今の日本の1番の危機だと感じた。

映画の感想ですが…誰1人として浮く事なく素晴らしい演技でした。結末は予想外でしたが。何が愛で、何が家族なのか。個人的には磯村くんの演技にやられました。素晴らしい世界観、おもしろかったです。トイレに行く事なく無事FAMILIAまで聴けました。

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