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井零伍 自己紹介など

はじめまして。
ただいまプロジェクトメンバーの久保田しゅーへーです。

ゆーの、じゅんき、に比べて露出が少なく、レスポンスも遅いわたくしですが、皆様どうぞ宜しくお願い申し上げます。

今回は自己紹介を兼ねて、わたくしの身の上話とわたくし個人のプロジェクトへの思いなどをダラダラと書き連ねていこうかと思います。

はい。

ただいまプロジェクトは、種子島出身メンバーで構成されているため当然みんな種子島に住んでいたのですが、わたくしは家庭の事情により中学2年生から鹿児島市内へ引越しをしております。

インスタライブでも少しお話をしましたが、他のみんなよりも早く種子島を出てしまったため、いわゆる、種子島に対して「つまらない場所」や「早く都会に出たい」などといった負のイメージを持つことはほとんどありませんでした。

むしろ、思春期真っ只中で小さな島を出て新しい環境と戦う自分にとって、種子島出身というアイデンティティは一つの武器でもありました。

鹿児島市内の人からすると種子島出身?だからなに?って感じだったでしょうけど。。。

生まれ故郷を出るということ

田舎を出るという行為は、新しい物事と出会い、体験することと、今までの物事を振り返り、向き合う機会を与えてくれます。

しかし、まだまだ子供だったしゅーへー少年は、新しい環境への適応に悪戦苦闘し、居心地の良かった生まれ故郷、種子島へ依存していたのかもしれません。

今もその頃の種子島への依存心や幻想を持っているのではないかと言われれば否定は出来ません。

しかし、都会の便利さの中に息苦しさを感じ、わたくしは田舎へ帰りたい人種なのだと実感もいたします。

わたくしの、ただいまプロジェクトへの活動動機としては

「帰りたいけど帰れない人の為に」

と、言ったところでしょうか。

プロジェクトメンバーそれぞれ活動の動機は違います。

わたくしは、島を出てから島の良さに気づいた人や、さまざな環境により島に継続して住む事の出来なかった人達への架け橋になりたいと考えます。

あっ、今の環境に多大な不満を抱えているわけではありません。

現在は京都に居住しておりますが、とても住みやすく、わたくしの求める街並みや文化が多く残っていてたくさんの刺激を享受させていただいてます。

何故京都へ移り住んだかというお話はまたの機会に。

第三者から見れば、種子島に帰りたいという感情は「出戻り」などと言ったような負の動機付けとして認知される事も多いと思います。

しかし、決してそういった負の面だけではないとういうことを、京都を満喫し、種子島を愛しているわたくしが、プロジェクトを通して体現していきたいと考えております。

堅苦しい文章になってしまいましたが、わたくし個人の人間性としては、とても堕落した煩悩の塊のような男ですので、どうか警戒せず気軽に接していただけると嬉しいです。

ゆーのやじゅんきに比べて、わたくしの記事は個人的な思想や趣味のお話が多くなると思うので、お暇な時にぼんやり眺めてやってください。

それではまたの機会に。

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