繊細さん人形が苦手
前回のピエロ記事でも少し触れたが、私は人形が苦手だ。
「人の形をしているのに、人に非ず」という矛盾さと「人の形をしている物体には、魂が宿りやすい」という闇のホラーに満ちた物体。それが人形。
「にんぎょう」と読むと玩具を連想して可愛いが「ひとがた」と読むと、何やらめちゃくちゃ怖い。それが人形。
「可愛いね~♪」と愛情を向けている間はつぶらな瞳で応えてくれるが、飽きて押し入れに入れた途端、襖の向こうから開いた瞳孔でこちらをジッと見つめているような粘着体質。それが人形。
私が最初に人形が怖いと思ったのは「ミルク飲み人形」である。
彼らは、食べる必要など無いのにミルクを飲むふりをし、眠る必要も無いのに、頭を傾けるとまぶたを閉じ寝たふりをする。
しまいには、泣いたり笑ったりするんじゃなかろうかと思うほどの恐怖であった。
そして、夏になると必ずテレビに登場する「髪が伸びる日本人形」の存在。
毎回どこから連れて来るのか知らんが【病気で亡くなった女の子が持っていた】とか【祖父が遺した蔵を片付けていたら出て来た】等と、モザイク越しの一般人が体験談を語る怪奇番組が私は大好物なのだ。
怖いくせに一人では見たくないので、いつも親を呼びつけ無理やり一緒に見てもらっており、発見当初の姿と、髪が伸びてボサボサになっている日本人形のビフォーアフター映像に「おおう!」と震える夏の夜。
そんな幼少期の体験を繰り返してきた私は、次第に人形に対する苦手意識が定着されていた。
編みぐるみのようにフワフワした人形は可愛くて大好きだが、プラスチックや陶器などで出来たリアルな人形とは目を合わせるのも嫌であった。
最悪なのはデパートだ。
自分よりも大きいマネキンがあちらこちらに点在し(もし今、親とはぐれたら私はマネキン達と一泊しなければならんのか…)と想像するだけで緊張したし、マネキンの前を通過する時は、目を会わせず出来るだけ早足で通り過ぎていた。
しかも、私が子供時代のマネキンはやたらとリアルで、外国人を模したタイプが多かった。
青い目で微笑みを浮かべるマネキン群は、ただでさえ交流が出来ない上に、日本語も通じないのである。まさに異質×異質。完全にお手上げだ。
更に、小さい頃から発想が独特すぎた私は、桃の節句で雛人形にひなあられをお供えする風習が怖かった。
小学校高学年頃には慣れたが、幼少期は【人形は、どうやってあられを味わうのだろう】とゆう疑問が生じ、胃腸の無い人形の体に思いを巡らせるうち、人形を見ると食欲が無くなるようになった。
おそらく私は、食卓に日本人形を飾る事で食欲が失せダイエットが出来るだろうが精神衛生上のデメリットの方が高いので、この方法は採用していない。
今の時代の人形はリカちゃんのようなリアルな姿ではなく、可愛いキャラクターが多いので羨ましい限りである…。
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