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【エッセイ】中立であること⇔「 」

中立であることの裏返しは、「自分を失うこと」ではないかと思います。
中立であろうとすると、常に変化していく必要があります。
なぜかというと、毎回何かと何かの間に立たなくてはならないからです。
加えて、その「何か」はいつも同じ「何か」とは限りません。
だから中立であることを選ぶ人は、自分を定義する基準を自分では決められません。むしろ、間に立つことで自分の存在を見つけられるとも言えます。

誰かの間に立つと自分以外のことで悩むことが多くなり、そんなしがらみから抜け出したいと思うこともある…はずです。
でも、そもそも「中立さん」という状態は自分以外のものが無くては成立しない。悪く言えば、悩みの種となっている存在に依存しているんですよね。

だから、自分で決めなさいと言われるとわからなくなるんですよね。
何かを選ぶときの基準がわからなくなる。
だってずっと自分ではないものに選ぶ基準を決めてもらっていたから。
だからブレる。選択の基準も、自分のキャラも。

これを踏まえて「偏っている」という状態を考えてみると、それは個性が際立っている、自分で選ぶことができる、キャラが明確になっていることではないでしょうか。
つまり、「自分を持つということは偏る」ということと言えます。

前述したように、中立であることは自分を失う危うさも伴います。
だから中立であることにも覚悟が必要です。
ですが、中立でなくなることを選びたいなら、今まで培ったバランス感覚を少し捨てて、偏る覚悟を持つ必要もあるんでしょうね。

けれども、中立であっても自分の軸を忘れずにいたい…。できれば。
どれくらい偏るべきか。その塩梅が難しくて、みんな悩むのかもしれないですね。

中立であること⇔「 」
中立であること=「 」
「 」はいつまで経っても埋められる気がしません。

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