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【コラム】画数の姓名判断なんてものはアテにならない!?

高校の国語の授業中に、先生が「画数の姓名判断なんてものはアテにならない。」という話をしていたことを覚えている。

先生のお話はこう。
「太郎」と「犬郎」という人がいたとして、どっちの名前が幸せだと思う?
「太郎」も「犬郎」も画数は同じ。だけど、名前の始まりが「た」である「太郎」の場合、母音「あ」で始まる名前は響きが明るく突き抜けているので、その名前で呼ばれ続け、それを聞き続ける太郎くんの印象は明るく、突き抜けた性格となる。

一方「犬郎」の場合、「いぬ」「いぬ」というこもった音を聞き続けて育つ犬郎くんは、こもりがちな性格になりやすい。ということだ。

なるほど。
当時、妙に納得した若かりし頃のわたしは自分の名前の画数が最悪だったこともあり、先生のお話をすっかり間に受け「姓名判断なんてあてにならない」という価値観の中で生きていくことになった。


さて、このお話は確かに「太郎」と「犬郎」という同じ画数の名前で比較されているから当時の素直な少女は授業の内容にすんなり納得はしたが、いやちょっと待て!!

今のわたしが当時の高校の国語の先生に言いたいことは、姓名判断で本当に比較しなくてはならないのは「太郎」と「犬郎」の比較ではなく、「たろう」という音の響きの名前を「太」にするのか「太」にするかを判断するものである。ということ。

そして、高校生のわたしに言いたいのは「太郎」と「犬郎」という名前の選択肢を突きつけられた時に迷うような人生を送るな!間違いなく太郎を選べ!!(犬郎すまん!)

ちなみに、「太郎」はトークセンスに長け、歌やモノマネも上手な好感度抜群人気キャラ。
太朗」は誤解されやすく、良かれと思ってやったことが裏目に出やすい、ひがみやっかみに遭いやすい人生となる。

このように、同じ響きの名前でも画数次第で全然違った人生を歩むことになるよ!ってことをお伝えしてる【福の神ネーム】をあなたの人生でも大いに活用してもらいたい。



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