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夜明けの音

錯覚でも何でもない。はっきりと2度、聞こえた。世界が、動く音だ。
最初の音は、眠りから醒めて、まず初めに聞く音に似ていて、それは聞き逃してしまうほどとても小さいものだった。でもそこには、夜明けにのみ与えられた、確固たるエネルギーを含んでいて、何より、予感、に溢れていた。
公開初日、ポレポレ東中野で、『Dr.Bala』を見ている最中に、それは聞こえた。

『Dr.Bala』は、1人の医師による、医療ボランティアにかける情熱を追ったドキュメンタリー映画だ。その記録は、2007年にまで遡る。主人公の大村医師は、ミャンマーに住み込みながらその活動を開始。2009年に帰国してからも、自らの夏休みを利用して、東南アジアの国々を訪れ続けた。そこで彼は、現地の医師たちに、自らの知識、技術を伝えることに注力する。

ザクッ!
とっくの昔に消えていたはずの炭。
自分の心の端の方で、消えて、濡れて、小さくまとめられていた炭に、鋭い鉄槌が加わる。経験したことのない刺激に、その炭が少しづつ熱を取り戻したことに気がつく。
その熱は瞬間的に、濡れていた周囲を蒸発させ、優しい焔をともした。忘れていた、懐かしい熱だ。水分は、全て瞳から放出され、すぐに乾いた。誰にも気づかれないほどの、ほんの一瞬の出来事。
とっくに消えて、なくなっていたものと思っていた。青臭く表現すれば、生きる情熱、とでも言えるだろうか。照れくさいやつだ。
その照れ臭いやつを集めて、全力で大村医師は生きている。
だから、こんなにもかっこいいのか。
生きてるって、こういうことか。
こんなにも眩しいものか。
生きるって、かっこいい。
素直に、そう思った。
胸の奥でわずかに鳴ったこの音を聞き、自分自身に問うてみる。
自分は、生きているだろうか。
呼吸している、とか、心臓が脈打っている、とか、そんなことじゃない。
大村医師は、自らと向き合い、そこで出した答えを手に、世界(自分以外)と対峙している。生きるとは、そういうことだと、再確認した。

その音を聞いたのは、きっと、私だけではないはずだ。
多くの人がこの映画を見た後に、「自分にできること」は何かを見つめ直した、と感想を述べている。きっと、それぞれの胸の中で燻っていた何かに、再び火を灯して席を立ったのだと思う。みんな、聞こえたはずだ。自分の中の何かが、変わる音。自分が変わる、それは、世界が変わることと、同義だ。

もう一つ、聞こえた音。
これは、映画館にうねりを作り出すほどの、拍手の音だ。映画の後に、拍手が起こることは、日本では稀だ。少なくとも、私は、経験したことがない。
エンディングロールが終わると、誰からともなく、大きな拍手が起こった。それは鳴り止まず、地下の劇場に、振動を伴って響いた。

現地で、ただ手術をし、1人でも多くの患者を救うこと。大村医師は、これを、目的としなかった。
現地の医師が、自分たちの技術で、自国の人たちを救う。そのための手助けを行なってきた。多くの困難や課題と、真摯に向き合いながら。
当然、想いは人を動かす。
多くの人が、大村医師に共鳴し、その輪は自然と大きく成長していく。

何かに、似ている、そう思った。
さとゆみさんの理念だ。
ライターの佐藤友美さんは、自ら、ライティングのゼミを主催している。自分の経験や知識に基づいた情報や技術を、そこで惜しみなく共有することに尽力している。そのわけを、さとゆみさんは次のように語る。
「書く、ことで、何か少しでも、世の中のお役に立てたら、そう考えています。でも、自分一人で書けることには、やはり限界があります。同じ考えを持った仲間が集まって書くことで、少しでも世界を、より良く出来たら、そう考えています」

実は、今回、『Dr.Bala』が日本国内で上映されることになった経緯の一つに、さとゆみさんが編集長を務めるwebサイト『CORECOLER』の存在がある。さとゆみゼミの卒業生が執筆するこのサイト内に、この映画の監督であるコービー・シマダさんのインタビュー記事が掲載されたのだ。執筆を担当したのは、安藤梢さんという、医療ライター。先行上映を観て、大村医師のパワーに圧倒され、すぐに執筆したい、執筆しなければ、と思ったという。
その後、安藤さんの熱に押される形で、映画を観たさとゆみさん。その週に3回連続で見たほど、感動したそうだ。
まだ、日本での配給が決まっていなかったため、さとゆみさんも、なんとかこの映画を上映したいと、自費で上映会を企画。関係者を集めたこの企画も、大きな反響を呼び、結果的に、ポレポレ東中野でのGW上映が決定した。
安藤さんの想いは「書く」ことによって、確実に、何かを動かした。
その音が、あの、鳴り止まない拍手となって、響いた。

上映から何度も満席を記録し、当初の予定を延長し、6月上旬までの上映が決定したそうだ。
全ては、大村医師の熱い想いが伝搬し、この動きを作り出している。
上映後、コービー監督たちと並び、舞台上に立った安藤梢さんとさとゆみさん。その二人からも、生きる輝きが眩しさとなって届いた。
世界は、変えることができる。
そのことを、体験した瞬間だった。
私が聞いたのは、間違いなく、夜明けの音だ。
明けない夜はない。私は、私の朝日を迎えにいく。

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